2013年12月21日土曜日

できれば・・・いいなぁ。

今年から青汁に加えて酵素ジュースも作っている。

青汁は甲田式にしているが、酵素ジュースの方は・・・オリジナルだ。別に誰に教わった・・・というわけでもない。

ようするに砂糖漬け。けれど、それでも飲んでみるとやさしい気持ちが広がるので・・・たぶんだいじょうぶだ。


人間の身体の中には眠っている遺伝子がいくつもあるらしい。これからは、その眠っている遺伝子たちが目を覚ましていくはずだ・・・と、わたしは思っている。

遠いむかしの地殻変動や隕石の落下、水や大気の質も大きく変化した時代があったに違いない。火山国であるこの国では、放射性物質とは無縁であった・・・とは思えない。

さまざまな環境の中で伝え続けてきただろう、いくつもの生命維持のための情報。

それらが、長く穏やかな環境の中で必要性を失い、深い眠りについた・・・として・・・やがて何かのキッカケで開く・・・としても不思議なことではない。


眠っている遺伝子が目を覚ますには・・・意識の変化は大きな要因だが・・・意識をどの方向に変化させるか・・・その方向性によって目覚める遺伝子が変わるが・・・。

他には、微生物のチカラ・・・も、大きいと思っている。

微生物が正しく分布し、正常に活動し・・・そのチカラを充分に発揮することができれば・・・目の前の世界も大きく変化すると思っている。

そのために酵素ジュースが役に立たないか・・・というわけだ。


そういえば・・・トランス脂肪酸のニュースをどこかで見たが・・・米国議会で取り上げられて云々・・・という。

日本のコンビにでは、いつのまにかマーガリンと名のつく商品が普通に並べられている・・・ホントにこの国はどうなってしまったんだろう・・・。

味の素の話も以前書いたことがあるけれど・・・こういう状況は、たぶん米国のフードスタンプにつながるんだろう。日本版フードスタンプ。

日本人のほとんどが病気になる・・・というシナリオ・・・か?


いやいや・・・この微生物の栄える国では、そう簡単にはいかないだろう。この国の大地は豊かだ。どこでも種を蒔けば芽が出る。植物を栽培できる。

そんな自然を取り入れる技術は世界に誇れる。発酵や醸造や・・・それにモノ造りの技術も・・・考えれば考えるほどすごい国だ。

ただちょっと・・・常識に弱い。空気呪縛に陥りやすいだけだ。

だから、眠っている遺伝子が何かのキッカケで・・・パン!!・・・と開けば、すごいことになるはず。

テレビで紹介されるどこかの高級グルメ・・・ではなく、今そこの畑で採ってきたばかりのニンジンの丸かぶり・・・の方が、ずっと質の高い食べ物なんだ・・・ということがわかれば・・・そんな気分になれば・・・その一本のニンジンに宇宙のすべてが詰っている・・・ということが理解できれば・・・いいなぁ。



2013年12月14日土曜日

流れがウネって

室内温度・・・9度。寒いはずだ。ちょっとびっくり。

ところで、温暖化の大騒ぎがどうもマユツバものだ・・・というのが最近見えてきたが、それは人為的な二酸化炭素発生が原因で・・・ということについてである。

地球の気候に影響をあたえる太陽活動はどうなのか・・・というのは、あんまり聞かない。

中には寒冷化に向かう・・・という人もいたり、氷河期が来る・・・とかいう話しもあったりするが、今のわたしは・・・実は、そんなことどうでもいいと思っている。

大騒ぎをすれば、どっかでお金が動くんだろう・・・くらいにしか感じない。


それでも世界中で起きているこの異常気象については少々興味がある。これは・・・蝶になる直前のサナギの中の状態・・・にもとれるからだ。

微生物の世界・・・素粒子の世界・・・見えない世界が動き出しているわけだ。つまり、それは神の世界が動き出しているということ。

神の世界・・・と言っても。ナニナニ神が怒っている・・・とかいうのじゃない。「キ」の流れがウネっている・・・ような感じだ。

もちろんヒトの「キ」も、その内にある。いったいこれからどうなるんだろう・・・と、不謹慎ながら、こころのどこかでワクワクしている。


そういう意味も踏まえて考えてみると・・・これからの街作り、都市作りは今までとは違った視点に立って行なう必要がある。

今まで動いていたものは固まって動かなくなって・・・きっと別な要素になる・・・と思う。蝶はサナギの持っていた要素を作り変えて・・・建て替えてあのスガタになるのだから。

大きなビルを建て、大きな駐車場を造り、人気のテナントを集め・・・造られたナントカモール・・・などは集客できなくなる・・・かもしれない。

ヒトはきっと・・・今までとは別な要素・・・使命に気づいて、別な場所を求めて・・・まったく違う街を造り出すんだろう。


我欲を満たすために、何かを忘れ、変質させて、人々が集まってくる都会には、やはり我欲を満たす「キ」が充満するだろう。

それが時代を築いてきた・・・トキはよかったけれど、流れが変わろうとしている今は、やはり方向転換しなくちゃ・・・でも、現在あるシステムで機能している都市はどうしようもない・・・か?

自然の仕組みの本質的理解が・・・不足している・・・のだから・・・。やっぱり、みんなゴワサンにしてからなのかな。

宇宙の「キ」・・・自然の「キ」の理解が先か・・・な。





2013年12月7日土曜日

ひらけゴマ


頭のコンピュータを作動させるのは魂からの波動?・・・いや、魂からの波動を最初に受けるのは心だろう。感じることから始まるのだから。

魂からの波動を心が受けて、それが頭のコンピュータに響き、経験や知識や・・・意識を使って行動へとつなげる。

その行動の結果として現われる事象を身体は五感で感じ取り、それを心に送り、さらに心はそれを波動にして魂に送り返す。

魂は心が送り返してくれた波動を使って、過去世においてイビツになってしまった部分をツルン・・・とさせる・・・たぶん、そういうことだ。


心から魂に送られる波動・・・自分の意識の質や、物事の見方や、捉え方も含めて・・・は、だから質の高いものの方がいいわけだ。やたら安っぽかったりネガティブだったりすると、魂がツルンっとならない可能性がある。

それでは、魂がシッカリ成長できないということだ。せっかく、大いなる目的を抱いてこの世に生まれてきたのに、残念。


けれど、人はもう魂の存在なんて・・・ましてやその声・・・波動なんて感じることが出来なくなってしまったように思ってしまう。

これはきっと・・・魂の場から、頭と心が離れすぎてしまったからだろう。

頭だけがギュン・・・とスピードを増して、どんどん離れていってしまった。そのせいで、心まで引っ張られてしまった。

心は・・・頭を追いかけなければ、みんなバラバラになってしまう・・・と、さらに頭を追いかける。

頭と心と魂では、時間の長さがゼンゼン違う。それもそれぞれを引き離してしまった原因のひとつかもしれない。

時間はさらに加速して・・・いつか、それぞれがプツンとちぎれてしまって・・・やがて人は思うのだ・・・いや、頭だけで考えるのだ。

「自分は何者なんだろう・・・どこから来て・・・そして、どこへ向うんだろう」

いくら考えても答えが出ない・・・何故なら、「原因」が消えた世界には「結果」という問題しか残らないからだ。

「結果」という問題に「結果」という問いをかぶせて、幾重にもかぶせて・・・気がつくと、自分がココに存在している・・・という「原因」が視界から消えている。

魂の記憶を失くしたように、心の記憶までも手の届かない彼方に消えて・・・人はすっかり「モノ」・・・になってしまう。

そして、その「モノ」を誰かが使用し、あるいは利用する。


・・・あぁ、これは三次元的錯覚なのかも・・・。頭と心と魂は、そんなに遠くに離れることはないのに。

遠くに離れている・・・のじゃなくて、互いの扉が閉まっているだけで・・・その扉が開けば、人々を「見知らぬ自分」に変えてしまう空気呪縛も解けてしまう・・・はず。

みんなつながってるんだから。


2013年11月30日土曜日

やがてくるパン!!

目に見えるものだけを信じて進んでゆくことを科学的判断力というが・・・そもそも人間は何も見えていない・・・ということを以前書いたことがある。

水のホントの姿すら見ることができない。

何も見えないくせに、何かを見たつもりになっている。なんでも見えてるつもりになっている。

けれど、わたしたちは見えない世界の中で存在している。見えないチカラが、すべてを生かしめている。

見えない世界の中にありながら、見えない世界に背を向けて進んでゆく・・・ということは、つまり内へ内へと向かうこと。

どんどん小さくなって・・・硬くなって・・・しまいにはパン!!・・・と、弾け飛んでしまう。だから、科学的・・・といわれるものには注意した方がいい。


話は変わるが・・・今の経済システムは官僚が造った。

ナントカ法人という窓口を通して、お金を流してゆく。そのお金・・・で、大きな企業は潤ってきた。同時に官僚たちも潤ってきた。

官僚とは顔を持たない集団のことだ。そういう集団がいつ頃生まれたのかは知らない。

彼らの造り出したシステムの中で日本は成長し、人々の暮らしは豊かになっていった。いい思いをしてきた・・・と言ってもいい。

それが幸せだったのかどうかは別として、とにかく人々は田舎を離れ、都会へと向かった。そこには豊かさという魅力的な生活があったからだ。

これは都会の吸引力・・・陽のチカラのなせる技なのだろう。都会は物質界・・・という見方も出来る。都会は物質文明のコア。

田舎は陰となり、エネルギーを拡散していった。

陽のチカラを持つ都会は、バブル崩壊の後もそのチカラは継続・・・というか、止まることが出来ずに・・・ブレーキが利かずにドンドン極まって・・・ドンドン縮まっていった。

・・・あ、距離感が縮まるのもそういうことかも・・・。

陽が極まれば陰となるわけで・・・陰となる瞬間はどういう感じかというと・・・感覚的に想像してみると・・・大騒ぎして楽しんだ飲み会のあと、ひとりぼっちで帰る夜の暗闇・・・のようなものか・・・。


やがて都会へ向かう人はいなくなる。これからどんどん人口は減ってゆく。都会は寒々とした・・・コンクリートの墓場のように・・・いや、ひょっとしたら、途上国の人々が集まってくるのかも・・・昔の集団就職のように・・・。

けれどソコには昔のような未来はなくて・・・夢もなくて・・・貪りつくされた残骸だけで・・・その頃になれば官僚たちも、どこかへ居なくなっているんだろう。

パン!!・・・と弾けて・・・どこかへ消えてしまうわけだ。


その時からこの国は、遠い昔と同じように、雑多な民族・・・さまざまな人々がチカラを合わせて・・・「和」となって民生自治を広げてゆくことになる。

それが・・・「さざれ石の巌」・・・となりて・・・だ。

どうしてそうなるのか・・・日本語には人の想像力を育てるチカラがあるらしい。とても不思議なチカラ。その仕組みは宇宙的物理。

想像力とは、人の思いに触れるチカラのこと。人の痛みを感じることが出来るチカラのこと。日本語を語ることが出来る人は、根底にそういうチカラが流れている。

パン!!・・・と弾けてしまったら、頼れるのはそういうチカラだ。そういうチカラがなければ、人は動物次元に落ちてしまう。


人のチカラで解体できなければ、天のチカラが社会を解体する。システムを解体する。

人が道具を磨くように、天は人を磨き、人が道具を選ぶように、天はチカラある人を選ぶのだ。それは同時に、必要な人しか残ることができない・・・ということでもある。

未来を創るために必要な道具。意識を持つ・・・神の道具であるべき人になること・・・だ。


この「ス」の時代に、秘密保護法なるツマラナイものを振り回してるヒマなどないのだ・・・よ、ホントに。

あ・・・ひょっとして、官僚組織とグローバル資本と・・・せめぎ合っているのか・・・も、政治を使って。一般国民にとっては、えらい迷惑な話しだ。


 

2013年11月23日土曜日

神社の杜

以前からわたしは、キャベツの酵素ジュースや五種類以上の野菜を使った青汁を作っている。

今年から果実の酵素ジュースも加えてみた。今仕込んでいるのは、カリンと柿とゆずだ。

今年の春に、近くに群生しているヨモギで作ろうと企んでいたら・・・いつのまにか全部刈り取られていた。なんともショックだったが、来年は先回りして作ってやろうと思っている。


なぜ、酵素ジュースなのかというと、人間は微生物によって生かされていると思っているからだ。これは間違いない。

腸には腸の、胃には胃の、肝臓には肝臓の・・・その部位にはその部位でチカラを発揮できる微生物たちががんばってくれている。

この微生物たちの分布場所が変化したり、その数が激減したりするから体調が芳しくなくなってしまう・・・と思っている。

酵素ジュースが含有する酵素は、この微生物たちの働きに大きな影響を与える。酵素は加熱するとチカラを失くしてしまうので、「ロー」で摂るためにジュースや青汁にしているのだ。


体内で生きている微生物のことを腸内細菌・・・などといってもいいけれど、細菌とはなんとも印象が悪い。カラダの中で悪さをするような、そんな印象をあたえる。

医学や科学はどうして「細菌」とか「ばい菌」というんだろう。この世の生き物達は、みな必要だからそこにいるのに・・・。

腸の環境でチカラを発揮できる微生物が、何かの拍子に胃に紛れ込んでしまうと・・・胃にとっては邪魔なハタラキをしてしまう可能性だってある。

風邪菌だってそうだ、人体の中に入りたくて入ったんじゃないだろう。ホントはもっと別な場所で元気に活動したかったのかもしれない。

それがたまたま入り込んだ生物が人間だった・・・のかもしれない。カラダは、体内でそれ以上風邪菌が増えないように発熱を開始する。

自然治癒力の発動だ。

人間はその発熱が風邪菌の仕業だとして解熱剤を飲む。そしたら・・・発熱すべき時に発熱をするなという指令が送られて・・・カラダが迷ってしまう。

カラダの持つ免疫システムが狂ってしまって、そのうち単なる風邪じゃ済まなくなってしまう・・・ということになる。

アレルギー性の疾患が増えた理由のひとつでもあるが・・・これも風邪菌を悪者扱いした結果だろう。


すべては・・・あるべくしてそこにある・・・と思えば、ずいぶん世界が違って見えはしないか?

たとえば、人間が造ってしまった放射性物質・・・生まれるべくして生まれた・・・と考えれば、別な見方が出てくる。

「微生物に目を向けてみなさい」・・・ということ・・・だとしたら。微細なるものに何か隠されてはいないか?


無理やり引き剥がされた素粒子たちの怒りを、微生物たちが癒してくれはしまいか? 時間はかかるだろうけれど・・・微細なる存在たちが、放射性物質たちを抱きしめてくれはしまいか?

この国のいたるところにある神社には必ず「モリ」が備わっている。「モリ」は微生物たちが集う場所。この国の大地は微生物たちのチカラで維持されてきた。

地表表面の剥離などの除染は生態系をも壊しかねない。大切な微生物達の存在をも危うくさせる。かれらの分布状況が変われば・・・人体と同じように、大地は病気になるだろう。

それよりも、今少しずつ行なわれている微生物による放射能の無力化・・・そこにこそわたしは、大きな希望を見ることができる。



2013年11月16日土曜日

まだまだ

輸入米に対する関税を一部撤廃…という動きがあるようだ。

これは、つまり完全自由化に向かうためのひとつの段階なんだろう。

聖域…というのが崩れてゆく…というか、なんという茶番だったんだろ。

コメの自由化によって、国の保護というひとつの「依存」が消えてゆく。


かの福島原発事故は、原発利権への依存がどれほどのモノかを世間に曝け出すことになった。

…が、コメの自由化は、また別な意味で国の保証や保護…という名目の依存性を曝け出すことになる。

農家は大打撃だ。


さらに、来年には間違いなく医療福祉の利権にもメスが入る。

いまだに続く放射性物質の飛散は、このままで終わるはずはない。

保険や薬品メーカーのCMがやたら増えたことが、この国の近未来を表している。


医療福祉予算が、国家予算の三分の一をこえれば、その国は破綻する…というが…はたして、この国の先が…見えはしないか?


そんなわけで、国家予算に群がる利権屋たち…はたまた、政治屋たちが持ち出したお金に依存している組織の多くは崩壊することになる…かも。


すべては…「自立しなさいよ」…という天の声にきこえる。

自立なくして調和はありえない。

それぞれが自分の顔を持っているからこそ「彩り」となれる。美しい織り模様となるのだ。


最近、瀬織津姫の名が話題に出ることが多い。

瀬織津…とは、見えない世界から流れ(瀬)出るエネルギーを、織り成し繋げる…ということになる。

そのためには、自立、自覚を持った「個性」が必要なわけだ。

何かに依存しなきゃ「自分」として存在出来ない…というのは、織りの模様をボヤけさすだけ。

瀬織津姫の仕事の邪魔になってしまう。


日本は中庸の国。中津国。酸でもアルカリでもなく…陰でも陽でもなく…右でも左でもなく…揺れの真ん中。

真ん中がグラグラしてはいけない。

グラグラしてる政府を当てにしても、そんなわけで未来はこない…ということになる。

来週には燃料棒の移動…と、その事に気づかせてもらえる出来事が…まだまだ続きそうだ。

2013年11月9日土曜日

お上より

共感できる「ウタ」が聞きたい・・・といつも思っている。

それも表面的な共感じゃなくて、ずっと奥の・・・血の部分、あるいは記憶の向こうの過去世からの・・・そんな響き合いを感じてみたい。

そしたら、たぶん・・・何かが目を覚ますかも・・・。

意識の奥・・・遺伝子たちの片隅に眠っている「何か」がムクッと目を覚まして、見える世界がガラッと変わる・・・ような気がする。

そうか・・・誰かに作ってもらうより・・・自分で作ればいい。



人々の・・・いや、ひとりひとりの・・・個人個人の意識が目覚めることが大切。目覚めた人が、自らの足で歩き出す。響き合う人々と歩き出す。

未来を創るとはそういうことなんだと思う。



ピラミッドの底辺の四隅を固定して、てっぺんの尖ったところを内側からグイグイ下へ向かって引っ張って・・・そしたらペコッ・・・と裏返ってしまうんじゃないか・・・なんてことを最近考えてしまった。

底辺が上になって、てっぺんが底になる。

人々の意識が変化し始めると、こういうことが起こるかもしれない。つまり、「上」を必要としなくなるわけだ。

現実世界で、未来への一歩を踏み出すにはスクリーンの中じゃなくて、今ここ・・・この現実の世界で踏み出さなきゃいけない。

民生自治とはそういうことだ。

「上」を必要とせずに歩むということは、横のつながりを広げるということ。横に手をつなぎ未来を創ってゆく。

ちなみに、これを業界用語でテロという・・・のかも。


「上」を「カミ」と読んでもいい。「カミ」を必要としなくなるというのは、お上を手放す・・・常識を手放すということ。

「カミ」はその時、外から内に・・・内なる「カミ」が目覚める。「カミ」はもともと内に有る。内に有ると書いて「ウチウ」・・・宇宙という。

宇宙は神のふところ。深い共感は神を呼ぶのだ。



さて、こんな極まった世の中になっても、未だにどこの局でも同じニュースを流しているが、もうどうにも身動きがとれないんだろう・・・というのがよくわかる。

ネガティヴな意図に引き込まれたまま硬直。これは老化・・・現象と言ってもいいんじゃないか。

リフォームできないセットものの住宅みたいだ。ひとつひとつネジを外して、ひとつひとつバラしていかなければならない。なんともめんどくさい話。

めんどくさがり屋のわたしには、その方法を考えるのもめんどくさい。


最近、気のせいか赤色灯をクルクル回しながらウロウロしているパトカーをよく見かける。人々が横につながろうとしている動きを敏感に感じ取っているのか・・・なんて余計なことを思ってしまう。

報道では、物騒なニュースばかりやたら流してるし・・・みんなつながってるんだろう。意図的に造られた大きな流れを感じる。

そういえば・・・銀河鉄道999の最後の場面・・・たしか、人工の惑星がバラバラになっていった記憶があるが・・・。

宇宙各所から集めたれた人たちのカラダで組み立てられた惑星が・・・何かの目覚めによってバラバラになってゆく・・・違ったかな。

「999」とは・・・すぐそこに新しい未来が待っている・・・という数字でもある。



だから・・・お上のカミより、内なるカミ。


2013年11月2日土曜日

解体軸

質の高い外交をしようとしても、すでに世界の舞台で大ウソをついてしまったし・・・。おまけに人に言えないシッポをつかまれて・・・。盗聴されてるくせに、海外に信用される政府になるため・・・とか。

ボロボロと出てくるのは、溜め込んだ「負」の隠し事。

笑ったり、あきれたり・・・ホントにひっくり返った世の中になったが・・・ひっくり返っては困るのが燃料棒の取り出し。海外ではどう見てるのか・・・。

さてさて、常識がどんどん解体されて崩れてゆくので、わかった人から前へ進まなければ・・・すべては個々人の自覚と勇気なんだな・・・と思う日々。



水を構成している粒子たちの姿は人間には見えない。それでもそれが水として見えるのは、水の粒子たちが揺れているから。

ペットボトル一本に入った水の素粒子たちの体積を全部合わせても、全体の二割にも満たない。あとは空間・・・「空」。

水だけではない。人のカラダも事物もみんな・・・みんな似たようなもの。「空」・・・だらけ。

だから、見えない世界の方がはるかに広い。人間には何も見えていない・・・ことがよくわかる、と同時に、人間世界は見えない世界に包まれている・・・ことになる。

見えない世界の内にある・・・か?


ところで、この世界をカタチあるものにしてくれている・・・「揺れ」。この「揺れ」とは振動のこと。波動のことだが、この波動がコトバになったものを言霊という。

実は、この言霊の流れ・・・動きを表したのが日本語の五十音図・・・なので、今日使われているカタカナは、漢字から導き出された文字ではない・・・ということになる。

波動エネルギーの動きを二次元的に表現したものが「流体文字」なら・・・カタカナはその辺から導き出されたのだろう。

コトバを口に出して、感覚的に捉えればよくわかると思うが・・・「ク」という文字は「ク」というの音を感じるし、「サ」という音は「サ」という文字になるような気がする。それぞれの響きが感じられる。

こういうことは科学的・・・でなくていい。科学とは科(トガ)を背負った学問のことだ。見えない世界に背を向けてしまった学問のこと。

これは見えない世界の話しなので、だから当然、科学的でなくていい・・・わけだ。

だから、カタカナは・・・カタカムナ図象やエネルギーの二次元的表現によって生まれたもの・・・そう解釈したほうがシックリいく。


こんなふうに、常識を解体していくと、新たな展開が始まる。未来が始まる。

たとえば・・・揺れるということは、どこかに軸があるということ。軸が無ければ揺れるどころじゃない。飛んでいったきり帰ってこれなくなる。

軸・・・つまり真ん中に戻ろうとするからこそ揺れる。軌道が生まれる。

物事が極まれば、すべて真ん中に戻ろうとする・・・戻る力が働くとも考えられる。真ん中・・・原点でもある。人間としての原点。


解体すると、いくつもの道が生まれる。科学、医学、経済、政治,倫理、宗教、社会・・・見えない世界の法則に当てはめて組み立て直すと・・・いろんな発見があるんじゃないかな。


2013年10月26日土曜日

未だ見ぬ

いつの日にかネットの世界でも、発信者の文章、言葉を見ただけでその人物がどういう人物なのか・・・というのが、感覚的にわかる時代がくるのだろう。ずっと先だろうけど・・・。

言葉は、発信者が完成させるのじゃない。受け止めた受信者のこころで完成する。

なんでもそうだけれど・・・受け手が何を感じ、こころのどこに収めるかで発信者の質が・・・受け手の中で決まる。

発信者の自覚も必要だが、受け手の自覚は更に必要なのだ。感性と言ってもいいし。度量と言ってもいい。

気がつかないうちに孤立していたり・・・悪人に仕立て上げられていたり・・・おだてられ持ち上げられ、自分を見失ったり・・・。

それはネット世界の・・・仮想世界の落とし穴でもある。


ところで、特定秘密保護法の全文が報道にも出たが、法律の文章もまた受け手の解釈で変化するもののひとつだ。

だからこそ法律といのは、生活の安全を守る・・・という理由で、人を拘束し、利用し、閉じ込めてしまうことも出来るわけだ・・・公的な力で。


あの共謀罪の部分がわたしは気になっている。特に「共謀罪」を自首すれば免罪される・・・と言う部分。

何者かの意を含められた者のウソの自首によって、無罪でありながらすでに拘束されている人物を貶めることが・・・できないか?


いずれにしても、なんと時代錯誤の法律なのだろうか・・・と、あきれてしまう。後ろ盾を無くすことが、よほど怖いんだろう。何も手放したくないのだ。

先が細くなって、どんどん狭くなって・・・そんな世界だ。キリキリと、気づかぬうちに闇の中にはまり込んでゆく。

もう彼らは、そのスパイラルから抜け出すことが出来ないんだろう。気の毒な人々。


関西で今はやりの偽証は、有名ホテルレストランでの食材偽証・・・いや、疑惑か。つまらなすぎて、こちらのニュースもあきれてしまう。

だまされたぁ~・・・と、笑い飛ばせばそれで済む話だ。

たとえ名も無い食材でも、その食材はイノチを宿していたのだ。だから、おいしかったぁ~・・・という気分のままでいるのが、一番平和なのだ。

ところで、こういうニュースは、どういう経路で表に出てくるんだろう・・・と勘ぐってしまうのは、わたしだけだろうか。

スピンコントロールのために、あちこちに転がしてある爆弾のようなものなのか・・・な。爆発させすぎて・・・その爆弾の数も減ってきたのかもしれない。


とにかく、ニュースでも法律でもネットでも、受け手の自覚は必要だと思う。特に今のようなクチャクチャに詰め込まれた情報の中ではなお更だろう。

自分の「内」にある「ス」のこころで感じ取れればいいけれど・・・なかなかその「ス」の声が聞こえない。

「ス」の声は魂の声。「ス」の世界ではみんながつながっている。みんなでひとつ。みんながひとつ。

だから、人を疑うことは自分を疑うこと、人を貶めることは自分を貶めること、人を拘束することは自分を拘束すること・・・となる。

時間という無限の流れの中で、空間という方向性をもった世界を生きるわたし達には、だから「ス」の世界(イノチ)から託された大きな使命がある。

それは「調和」。いかにして「大調和」へ向かうのか・・・。

引き合い、押し合い、潰しあい・・・ながら、大きなウズ(リズム)の果てにやがて次元を超えてひとつになる・・・はず。そういう世界ができる・・・はず・・・たとえ一部分だけでも・・・。

それが、わたし達の「ミライ」。未だ見ぬ、ウズ(ラセン)の果てのイノチ。


「時間」は前にしか進まない。「前」とは、自分の顔が向いている方向・・・見つめている方向のことだ。その方向へ「時間」は進んでゆく。

いろいろと錯綜し、めんどくさい話しが溢れているけれど・・・みんなちゃんと前へ進めればいいなぁ・・・といつも思っている。

キリキリと進む人、ガタガタと進む人、ズンズとン進む人、フラフラと進む人・・・それぞれの生き方で、それぞれの道を、それぞれに認め合いながら進めればいいなぁ・・・。

それはわたしの祈りでもある。




2013年10月19日土曜日

見えない世界・・・からの

さてさて、大きなウズから小さなウズまで、目に見える世界・・・目に見える社会では目まぐるしい日々が続いている。

この世はそんな激動のトキではあるけれど・・・なんと、見えない世界での建て替えはすでに終わっているらしい。

そう言われても、見える世界に生きているわたしたちにとっては、そういうことはちっともわからない。

見えない世界が先で、見える世界が後・・・というけれど、見える世界に生きているわたしたちにとっては、それでもやっぱり見える世界の方が大事なんだと思う。

見える世界での生きる姿勢が大事なんだ。その姿勢が見えない世界に影響を及ぼす。


見えない世界の存在たちは、きっと自分のため・・・だけでわざわざこの世に生まれてくることはない・・・と思う。

彼らこそ・・・全体のゆがみを感じて、そのゆがみを自らの行為によってなんとかしたい・・・と思ってこの世に産まれてくるんだろう。

そのために肉体を持ち、やっかいな時間と空間に縛られながらも、純粋な使命感を胸に大いなる勇気をもって産まれてくるのだ。

産まれてきた以上は・・・だからこそ、この世で生きている自分を大切にしなければならない。彼らの勇気を無駄にしてなならない・・・と思う。

凛!!・・・として生きてゆかなければ・・・と思う。


ところで、世の中に予言というものが存在する。この予言とは、いったいどういうふうに予言者のココロに届くのだろう。

はっきりと、言葉や映像として直接届けられるのだろうか。

それとも・・・その言葉や映像は、見えない世界からの波動を受けて予言者のココロが、予言者自身の経験や知識や感性と響き合って生み出されるのだろうか。

ココロのフィルターは存在しないのか、フィルターを透してくるのか・・・わたしは予言者ではないし霊能者でもないので、その違いがよくわからない。

わからないけれど、いつも考えてしまうのは・・・この世に具象化した出来事は、見えない世界における、いったいどういう波動がカタチになったものなんだろう・・・ということ。


なぜそんなことを考えるのかというと、最近、地震を始めとする天災の予言をよく目にするからだ。

確かにわたしもこのブログの中で、水の動きが顕著になる・・・というようなことを書いたけれど、それは縦の霊(火)と横の血(水)の関係から述べたもので、わたしの予知能力によるものではない。

言霊は宇宙的物理なので、それをひも解いて行くと、なんとなく・・・ではあるけれど感じてしまう。

けれど・・・たとえば地震学などの物理的調査や統計なのではなく、純粋に予言・・・お告げとして言葉や映像が浮かぶのは・・・いったいどういう波動がそうさせているのだろう。


見えない世界の存在が、見える世界の誰かに波動を送るのは知っている。よくわかる。ただ、その波動がこの世に届いたときに・・・どういう具象化をするのかがわからない。

天変地異などはイノチにかかわることだ。つまり・・・明日、どうなるかわからないぞ・・・という感じがする。覚悟は出来ているのか? それで大丈夫か? ・・・というような感じがする。

これはまさしく・・・「ス」に還るトキがきた・・・というような、あるいは自らの「ス」を取り戻すトキがそこまで来ている・・・という、見えない世界の波動・・・ともとれる。

すでに建て替えが終わった霊界の波動が、いつまでも前世紀のままのこの世に届くと・・・終末感のような雰囲気に具象化してしまうのかもしれない。

大掃除のあとのゴミ収集場所のような・・・。


建て替えが終わって、霊界がすっきりしたのなら、その次はこの世・・・ということになる。霊界が先でこの世が後・・・なのだから。霊主体従。

知りたくない・・・今のままでいい・・・と思って目をつぶっていても、だからやっぱり、どこかで「ス」に出くわしてしまうのだ。

気がつけば・・・そんなニュースばかりである。

2013年10月12日土曜日

的外れな・・・

秘密保護法・・・という、「報道の自由」の首を絞めるようなキソクにたいして、当の新聞やテレビから大きな声が聞こえない。

この状態が社会のカタチを表している。いわゆる行き詰った状態。息が詰った状態。新鮮な空気が吸えない・・・吸えないから声が出ない。


原発反対・TPP反対・オスプレイ反対・・・と声を上げる者はみなサヨクとみなす警察も同じ。みな同じ顔に見えているのだろう。

「組織」の空気には、その「組織」が強力で大きいほど「酸素」が少ない。ヨソの空気など必要としない。邪魔になるだけだ。


ちなみに、酸素欠乏症は脳細胞の破壊を招く。外に流れる新鮮な空気は、とても大事・・・ひとりの人間に戻って、おもいきり深呼吸してみればいいのに。


戦前の治安法では、30万人の人々が投獄され、数千人の命が失われた・・・というのに、何故同じような法律をつくろうとするのか・・・。

感覚として漂っているのは・・・今までたくさんウソをついてきて、これからもつき続けなければならない・・・と思っているんじゃないか・・・ということ。

ウソをつきつづけていれば、未来は消えない・・・だから、地獄のように狭い世界へ閉じ込めて・・・。


ところで、非常識というのは常識に非ず・・・ということだ。だから「非常識な人」というのは「異常な人」と言えなくもない。

けれど、その元になってる常識というのが、そもそも「的外れ」だとしたら・・・「的外れ」の常識を守っている常識人は「的外れな人」ということになる。

常識といわれるものをひとつひとつ解体して調べてみると、けっこう「的外れ」な常識があるので、世間には想像以上に「的外れ」な人が多いんだろう。

「異常な人」と「的外れな人」が言い争っても・・・たぶん、決着はつかない。


・・・と、いったい何が言いたいんだろう・・・わたし。


そのむかし・・・

おおらかで楽しい人達は、その言い争いを笑い飛ばして・・・みんなで「ワ」になってお酒でも呑んで、たちまち仲良しになってしまったんだろうけれど・・・臆病で悲しい人達はそうはいかなかった。

相手を突き飛ばして・・・二度と立ち上がれないように「チカラ」というものをぶつけたかもしれない。

突き飛ばされた方も、臆病で悲しい人達なら・・・きっと「ウラミ」が残って、未来へばら撒いてしまう。「カルマ」はそういうふうにして生まれた・・・。


ちなみに・・・

「八拳剣の判断力」の人たちは物質的欲望の出処を知らない。知らないから抑えられない。抑えられないから他人のものまで欲しくなる。そのために頭を使う。

「九拳剣の判断力」の人たちは物質的欲望の行き先を知らない。知らないから恐れきらう。滅私・・・に対して無感覚になり、神と信じるもののために命を投げ出す。

「十拳剣の判断力」の人たちは物質的欲望の出処も行き先も知っている。知っているから操れる。さらに・・・やがて自分は、見えない世界(表裏のない世界)へ還ることを知っているので自分にウソがつけない。

自分にウソがつけないから良心に生きることができる。肝がすわって、いさぎよい。


世間では、世の中は戦前の雰囲気に戻っている・・・と言われるけれど、わたしの感覚は少し違う。どうも室町時代の、あの幕府の存在感がしだいに薄れてゆく感覚に似ている。

もし、わたしの感覚が当っているなら・・・当てモンみたいで不謹慎だが・・・民生自治・地方自治の時代がやって来ることになる。

そういうこともあって、アメリカの情勢を興味深く見ている。

来年あたり、どこかの州が独自の地域通貨を打ち立てて独立・・・ということになるかもしれない。どこの州も連邦政府の借金の肩代わりはしたくないだろう。

後ろ盾であったアメリカに風穴が開けば、日本もただじゃ済まない。政府の影は、あの室町幕府末期のように限りなく薄くなってゆくかも・・・。

税金利権・・・をナリワイにしてしいる人たちも同じように・・・いや、彼らはひょっとすると、すでに逃げ出す準備が完了しているかも・・・。次の手を考えているはずだ。欲望は止まらないから。


さてさて・・・秘密保全法という、国民を分断してしまう法律なんかサッサと捨ててしまいなさい。

そんな縦のチカラの法律なんて、日本人の国民性にそぐわない。そぐわないどころか、国民性を壊す法律だ。日本をとりもどせない公約違反。

だいいち自らのウソを隠すために国民を利用してる場合じゃない。

横のつながりなくして復興などありえない。縦割り行政や資本優先など前世紀の常識は、そういうことで近々解体してしまう・・・とわたしは思っている。

そして、人々の願いは民生自治へと変化してゆく。それがこの国の人々・・・この国と深い縁をもつ人々の血の中に流れているサガ・・・なのだから。


2013年10月5日土曜日

文明社会

文明とは何だろう・・・と考えてみる。

大自然・・・地球に負担をかけない文明ならば、たとえば、その文明が滅んだ後は跡形もなく・・・自然と同化して、その存在の痕跡は消えてしまうだろう。

自然のリズムの中で、完璧な循環システムを作り出していれば、彼らの使用するものはやがて自然へと還るはずだから。

逆に、歴史で習う「文明」・・・大地を掘り起こし、海を埋め立て・・・大自然を造りかえてゆく文明ならば、その文明が滅んだ後は・・・循環することもなく今に残っていることになる。まるで、傷跡のように。


ちなみに。「原始」という言葉を手元の辞書で調べてみると・・・自然のままで、文化の進歩していないこと・・・とか出てくる。「原始時代」となると・・・文化が未開で、動植物を採取して生活していた時代・・・となる。

「原始」・・・の基準は、だから「文化」ということか。

あ・・・それじゃぁ・・・自然の循環システムを取り入れ、自然のままの生活空間・・・や、必要な野菜だけを自給自足する・・・という暮らしは、ひょっとして「原始生活」ということになるんだろうか。

この辞書には「文化」の後に「意識」が抜けているのじゃないかな。「文化」だけじゃなくて「文化意識」にすれば、わたしみたいなヘソ曲がりにも通じるのに・・・。


話しが別の方向へ行ってしまった。


さて、ヒトの身体は大自然の創造物だ。つまり、地球の物質で出来ている。ということは、自然から分離して考えるわけにはいかない。

だから、自然が何なのか・・・それを感じることが出来なければ元気でいられない。

さらに、人間が造り上げるモノ・・・も、地球の物質から外れることは出来ない。

地球にはホントにお世話になっているわけだ。

地球はアイのかたまりだから・・・人間がいくら地球上に穴を掘ろうが、動物たちの世界を壊そうが・・・何も言わない。ちっとも怒らない。

けれど、地球や地球をとりまく太陽系や銀河や・・・すべての宇宙を包み込んで・・・いや、すべてを存在させてくれている何か・・・は、そうはいかない。

地球のアイだとか、ヒトのオモイだとか・・・そんなもの意に介さない。

別に怒ってるわけじゃないんだろうけれど・・・そんな感情の次元をはるかに超えた世界の・・・たったひとつの法則の内で動いている。

歴史で習う「文明」での科学では、そのたったひとつの法則が・・・よく見えない。

銀河や太陽系や地球や・・・そして人間社会までも巻き込むその法則が、残念ながら人間の造り上げた「文明」ではよく見えない。


上古代の人々は、その法則を的確につかみ、流れを読んだうえで・・・読んだからこそ、あえて闇に隠れた。


長い歴史の中では、多くの支配者が現われ、その支配者に付き従うものが現われ、流されるままの者が現われ、支配者を糾弾する者が現われ、未来を創る者が現われ・・・ウズのように入れ替わり、巻き込まれ・・・巻き込まれながらもその時代の幸せを求めて・・・。

今もその歴史の流れの中にいる。歴史は繰り返し、繰り返し・・・また繰り返そうとしている。

確かに、わたしたちは歴史の繰り返しの中にいるけれど・・・少し違うステージに立っていることに気がつかなければいけないと・・・わたしは思っている。

それは・・・繰り返してはならない「トキ」の中にいること。


これこそ文明社会・・・と教えられてきた社会は・・・はたして、これからも文明社会と呼んでもいい社会なのか。それは未来に残したいシステムなのか・・・。

わたしが神様ならば・・・あ、神様の世界には時間という概念がないようので、未来とか過去とかよくわからないけれど・・・あえて言わせてもらうと、こんなシステムの文明社会なんて・・・たぶん、断捨離するよ。


この国の上古代の人々は、横のつながりの大切さを知っていたはず。

今の現状を見れば、税金の抱え込み・・・税金が決まった場所にしか流れなくなって、つまり毛細血管にお金が流れるとは思えないので・・・あちこちで壊死する地方自治体ができるような気がする。

政府からの資金が地方に流れなくなれば、横につながる必然性が出てくるわけで・・・これはまさに応仁の乱以降の国体の変化に似ていると思う。

武器を持った戦いではなく、生きるために互いの良さを認め生かし合う・・・平成のラン・・・のような。

希望的・・・すぎるかも。

けれど、これこそ上古代の人々が闇に隠した智恵・・・その智恵がトキ満ちて現われた・・・といえなくもない。大きなチャンスが巡ってきた・・・ということだ。


先ほどの辞書で「文明」の意味を引いてみる。

「人知が開け、その精神的文化に対して、物質的生活を発達させた状態」

・・・ということになっているが、ヘソ曲がりなわたしは、この「精神」と「物質」という言葉を入れ替えてしまおうと思う。

文明とは・・・

「人知が開け、物質的文化に対して、精神的生活を発達させた状態」

・・・なかなかいいかも。


  

2013年9月21日土曜日

陽極まって・・・

来年か再来年には・・・オリンピック中止・・・ということになるような気がする。こんな状況でオリンピックなんて、どう考えても正気とは思えない。

わかってて選んだのか、知らずに選んだのか・・・そこまでは知らないけれど、日本の代表団たちの演説に動かされて決めた・・・なんてことはない。

前から決まってたんだ、きっと。そんなこんなで、IOC内部のいろんな事も・・・ついでにひっくり返るかもしれない。

世界を元気にしたい・・・ならマドリッドだろうし、世界に平和を・・・ならイスタンブールだろう。東京のメリットは・・・と、考えても浮かんでこない。お金が・・・くらいだ。

もちろん現ナマじゃないだろうから・・・いいオモイをしたのか、これからするのか・・・するんなら誰がするのか・・・詮索すればキリがないが・・・原発や汚染水問題や・・・ひっくり返ることは山ほどあるんだろう。

・・・と言いながら、実はわたしにはちっとも興味がない。


ひっくり返るといえば・・・陽極まって陰となり、陰極まって陽となる・・・という自然の法則があるが、どうも今まで上にあった地獄がひっくり返りはじめているようだ。

上にあった・・・というのは、先にあった・・・というか、社会はそっちの方向に向かってた。

目指すべき社会人のあり方・・・世間的信用度・・・と思われていた常識が崩れ始めている。つまり、世の中を動かしてきた何かが崩れ始めている。

流れがググッと変わったので、いろんなことがひっくり返るわけだ。みんなボロが出てくる。ホントにそれで幸せなの?・・・という感じで。


地獄の特徴はいくつかあるけれど、その内のひとつは、縛りが多いこと。

法律や決まりが多くなればなるほど地獄に近くなる。窮屈になって息も出来なくなる。監視管理社会。

もうひとつは仮面が必要だということ。自分らしさを出すと迷惑がられてしまう。みんな同じ色でいることが善良な市民ということになる。

やがて自分というものが消えてしまう。自分が何者なのかわからない。

同じスピードで学べないものは弾き出され、隔離される。保護というなの優越感や利権が生まれる。

陰陽でいうと陽の極み・・・なのかな。極まると陰になるので、こまかな崩壊がそこらじゅうで起こってしまう。


そういう地獄が崩壊してゆく。それが宇宙のリズムなんだろうと、世の中の情勢を見ながら感じてしまう。おそらく3000年くらいのスパンなんだろう。

もちろん、宇宙リズムに合わせて地球も変化する。すでにそのスイッチは入っている・・・らしい。

だから地獄の仕組みの中で生きてきてた人は、その感覚をサッサと改めた方がいい。人間社会が造り上げた仕組みではなく、宇宙の摂理に合わせた感覚・・・うまく言えないが。

内にある「良心」の響き・・・のようなもの。

というか・・・まず、自らの内に有る「良心」に気づけるかどうか・・・って人もいるかもしれないけれど・・・。


人間の意識から出される波動が未来を創る・・・ので、人間の意識が宇宙レベルの感覚に変化してゆくと、穏やかに地球も変化できると思う。

その方が地球も安心なんだろう。

人間の意識が地獄のままだと、地球もガクンガクンとギアチェンジしなければならない。


ずっと闇に向かって進んでいたのが、カーブを曲がって今度は光に向きだした。光はもちろん天国・・・と、いう方が判り易いかも。

いろんな言い方はあるけれど、ようするに地獄とは反対の世界だ。地獄とは反対の常識がある。

・・・いや、常識という概念は無いかも・・・縛るものが無いのだから・・・。

天国と地獄、どちらが正しいのか・・・なんてことは言えない。お腹と背中・・・どっちが自分?っていうことだから。


ほんのちょっとしたキッカケで・・・あ、そうか・・・ってわかるのだけれど・・・何かそういうものを・・・そういうことに気がつける何かを創りたい。



2013年9月14日土曜日

オニ考

経験(オ)が煮(二)詰まる・・・あるいは、知識(オ)が煮(二)詰まった状態を「オニ」というのだろう。

経験が出口を失った・・・ということは、カルマを清算できなかった・・・ともとれる。知識が出口を失った・・・ということは、溺れてしまって過ちに気づかない・・・ともとれる。

戦争はカルマのオニを生み出し、縦社会は溺れたオニを造り出す。どれほどのオニの足跡を刻み・・・そしてこれからも刻んでゆくのだろう。

退治される側だけがオニではない。鬼征伐と称して自らを正当化しようとする側も、またオニとなる。

オニに怯え、オニを見つめることをしなかった平安貴族たちもまた、オニを育てるオニ・・・にしか成りえなかったのかもしれない。

やがて、チカラを持ったオニが国家を動かし、庶民はホトケにすがることになる。


・・・最近、警察や検察のスガタを見るたびに・・・あぁ、ここはオニの巣窟か・・・と思うときがある。

彼らは自らのオニに気づいていないのか、それともオニであることを自覚しているのか・・・そういえば「法」の番人なる言い方があるけれど・・・自らをエンマと見ているのだろうか・・・。

オニにならなければ守れないような法などいらない。


オニといえば「酒呑童子」だが、酒呑童子のようなオニはあちこちにいただろう・・・と、わたしは思っている。

彼らは縄文の血を引く、縄文のシステムで生活していた人々なんだろう。

どこかの国のネイティブと白人の関係を見ればよくわかる。日本では「賎民」と呼ばれた。「せんみん」・・・「先民」のことだ。

チカラと法でからめて、すべてを奪ってゆく。

縄文人は「オニ」の正体を知っていたのだろう、自らのオニを目覚めさせることを避けるために山に入った・・・と考えればよくわかると思う。

酒呑童子の国は理想の国なので、こころある人々はそこへ訪れ・・・中には居ついてしまう人もいたのだと思う。

これが「失踪」というこになって、こころよく思わない人々の鬼退治伝説につながる。

抑圧され、奪われ・・・中にはオニになってしまった縄文人もたくさんいたと思うが・・・そのカルマは時代を経て、後の人々に受け継がれてゆく。

カルマ・・・という経験は出口をうしない、煮詰まって、そこかしこにネガティブな波動を残して・・・とうとう、「今」につながった。


さて、このネガティブな波動を浄化させるには・・・たぶん、人間の意識波動しかないんじゃないか・・・とわたしは思っている。

それは、世界中にオニを生み出した、わたしたち人類の責任でもある。

「オ」の対は「エ」。「えがお」「えだ」「えらぶ」・・・どの道を選ぶのか・・・。「エ」は「オ」の経験智に対しての実践智でもある。

こころのオニを笑顔で抱きしめて、オニといっしょに考えれば・・・いい方法が見つかるんじゃないかな・・・たぶん。







2013年9月7日土曜日

人間は食べたものになる

前回、アメリカはシリアに参戦しないだろう・・・と書いたけれど、なんとも中途半端な姿勢になっているようで、議会の決定待ち? 参戦してもミサイル攻撃と空爆だけらしい。

それじゃ、アサドを倒すこともなく・・・かえって民間人の犠牲がふえて、さらに評判を落としかねない・・・ような気がする。

中途半端ではあるけれど、これで大きな何かが動き出しそうな・・・もうホントに逃げられないのだろう。


逃げられないといえば、日本も同じだ。海洋汚染から逃げられない。オリンピック誘致で、こっちもさらに掘り起こされてゆく。

やがて「世界」が乗り込んでくる・・・かもしれない。そうなれば・・・いや、そうなっても政府は何も出来ないと思う。ありゃりゃ・・・だ。どうするんだろ。


ただ、気になって・・・というか、こころに引っかかっているのが「・・・250キロ離れている」・・・と言ったJOC委員長のことば。

もちろんこの「・・・250キロ」云々というのは、福島へ帰ろうキャンペーンをしている政府の方向性とは矛盾していて、つまりは福島の切捨てを感じ取ることができる・・・が、わたしが引っかかっているというのはそういうことじゃない。

何かに動かされているような・・・皇族としてのことば・・・としてだ。2000年の歴史の中で、重要な立場にあり続けた皇族のことばには、それなりの「意味」があるのじゃないか・・・ということだ。波動のレベルで。

まだ、感じたことがまとまっていないので、ここには書かないが・・・どうも引っかかってしかたがない。


さて、日本の東1500キロの海底に大きな火山が見つかったそうだ。標高4000メートル・・・もちろん海底での話しだが・・・日本列島がみんな入ってしまうほどの裾野の広さらしい。

活動しているのか、眠っているのか、それとも死火山なのか・・・は知らないが、なんとなく、ちょっと不気味ではある。

こんなニュースに出会うたびに、人類は地球のことが何にもわかっちゃいないんだ・・・と思ってしまう。まるで、恋人のことが何もわかっていなかった・・・と、ある日、気がつくように。

なんで気がつかなかったんだろう・・・と、いろいろな意味で後悔しても手遅れだったりする。


たとえば・・・沸騰して素粒子の振動数が上がった水が、気体になって目には見えなくなる・・・ように、自らの意識の振動数を上げて、素粒子の次元から世界を眺めてみると・・・これは「神」に近い次元でもあるが・・・すべてのモノがひとつの生命体の中で暮らしている・・・ことがわかると思う。

・・・なかなか出来ないかな。

そうすると、食べたものが人間になる・・・という感覚が理解でき、さらに人間は、その食べたものになる・・・ということが理解出来ると思う。

だって、みんな同じこの宇宙の・・・似たような素粒子で出来ているんだから・・・。

人間のカラダは、今までに食べたもので造られているので、素粒子レベルで自分を診ることができれば、どの辺りがどういう波動を出しているのか・・・どういう共鳴の仕方をしているのかがわかる。

病気の原因が・・・見えてしまうまもしれない。便利だ。


人工的なものが増えれば増えるほど、自然から離れてゆく。だから地球のことがわからなくなるわけだ。

あ・・・恋人とは同じものを食べることが長持ちの秘訣・・・ということか。これはたぶん、地産地消にもつながるんだろう。

大地を食べる。大地につながる。


人間は食べたものになる・・・とは、食べ物だけじゃなくて、耳から目から入ってくる情報も同じで、こころに溜まる・・・こころを造るという点で、人工的なこころになってしまう。

そういう意味では、都会じゃ地球の・・・大自然の気持ちが伝わりにくい。おまけに加工食品がいっぱいで・・・人工的ということは機械的に片寄ってしまう。

地球から離れてしまうとどうなるのか・・・今の世相がそれを具象化しているんだろう。極まった物質至上主義。


都会を歩くたびに思うことがある・・・人は、むかし田舎を捨てたように、近い将来、今度は都会を捨ててしまうのだ・・・生きてゆくために・・・と。

 

2013年8月31日土曜日

リンゴを食べたのは自己責任

環太平洋ナントカ・・・ではないが、太平洋を取りまく国々では放射能汚染が心配されている。カリフォルニアで獲れたマグロ全頭から放射性物質が検出されたらしい・・・。

そんなこんなで、汚染水の海洋投棄の実態が明るみになるにつれて・・・わかっていながらやっている・・・となれば、間違いなく保障問題になるだろうし・・・どれほどの賠償金になるのか想像もつかない。

そんな最中に原発輸出だとか・・・未だに終息していない原発をしりめにオリンピックだとか・・・。だいいち、福島原発は東京のための原発だった・・・というのに、お金の使い方を間違っていないか。

核エネルギーというのがこんなに恐ろしくて、異常で、破壊しかもたらさない・・・ということを、せっかく天から教えられているのに・・・同時に、新時代への飛躍のチャンスを、わざわざこの国に与えられているというのに・・・なんとも残念な人たち。


さて、国際情勢もいろいろ大変な状況で・・・いちいち状況分析が出来るほど達者じゃないので余計なことは書かないが・・・アメリカが勇み足で突っ込んでしまえば、上陸部隊はたぶん・・・集団的自衛権というやつで日本の自衛隊がするんだろう・・・くらいのことはわかる。

そうなれば・・・シリアと同盟関係である中国・北朝鮮・ロシア・・・のうち、どこかからミサイルが飛んできても文句は言えない・・・くらいのこともわかる。

第三次世界大戦・・・ということだが、そうはならないだろう・・・とも思っている。

何故なら、当のアメリカの様子がおかしい。戦争ビジネス華やかだったころの様子ではない。

お金でお金を生み出してきたことのツケが回ってきたのか・・・戦争被害者たちの怨念なのか・・・知らないけれど。

アメリカがそんな状況なので、途上国もそうとう揺れていると思う。中国だって今やっている権力闘争を途中でやめて、上層部はどっかへ逃げ出すかも・・・は、ないか。

その向こうにある闇のロシアのことはよくわからない。最後にモワっと出てくるのかも・・・。


話は変わるが・・・太古のむかし、人は神と一体だった。

神と一体・・・とはどういうことだろう。

たとえば・・・「エデンの園」はそういう世界のことかもしれない。
ただ、蛇にそそのかされてリンゴを食べた・・・ことになってるけれど、蛇はわざわざ人間をそそのかさない。

蛇がそそのかしたんじゃなくて、イヴとアダムが勝手に食べた・・・とわたしは思っている。おいしそうで・・・とにかく食べたくなったから食べた。その方がすっきりする。

それが自覚と自立・・・責任ということ。悪者なんて何処にもいない。

リンゴを食べたらハダカでいるのが恥ずかしくなった。「素(ス)」でいられなくなったわけだ。

「素」でいられないから神と分離した。神と繋がらなくなってしまったのだ。つまり魂の思いがうまく掴めなくなってしまったわけだ。

「良心」を見失った・・・と言えるかもしれない。

「罪」を背負うというけれど「罪」とは「積」のことで「カルマ」を背負ってしまった・・・と理解すれば判り易い。それを「経験」といってもいい。

そういう「カルマ」の波動が人生のそこかしこに残っていて、その波動が魂との響き合いを乱している・・・ということになる。

魂と響き合えないから、何をすればいいのか・・・よくわからなくて、不安に怯えたりしてしまう。

実は、魂は自分に降り掛かってくる出来事の意味をみんな知ってるので、魂とつながることが出来れば内から湧き上がってくる感情に怯えることもない。

怖れも不安も、みんな「ウチ」に・・・みんな「和」の中に取り込むことが出来る。すると自死なんて無くなるわけだ。

今、為すべきことは何か・・・知りたい感情はどういうものか・・・そんなことが、なんとなくわかって・・・感じ取ってしまう。

人生のそこかしこに残っている・・・あるいは、世界中のそこかしこに残っているカルマの波動をクリーニングできれば・・・人は太古の感性を取り戻す・・・ことができる・・・ということだ。

これが神と一体になる・・・ということだと思う。

そして・・・「ス」の時代というのは、魂とつながる時代のこと。神と人とが再び一体となる時代ということ。


人はみな、その時、その場所、その感情での何らかの波動を出していて、その波動を感じ取ることができれば・・・今、自分に必要な人々、感動、出来事・・・それらを探しに出かけることが出来る。

ま、そうなるのは何年・・・何十年先かもしれないが・・・とにかく、今わたしたちはそういう未来への曲がり角に立っている。

だからこそ、クリーニングしなきゃならない時期に、カルマをさらに増幅させる戦争なんて・・・と思うわけだ。

片方は神と一体になる未来。片方は今のまま・・・分離分断の延長線上の未来。さて、どっちに曲がろうか・・・その決定は、もちろん自己の責任において・・・ということになる。


2013年8月24日土曜日

で、どうするんだろう・・・。

資本が、とうとう政治を食べてしまった国がある。資本のバックがなければ大統領になれない国がある。それも大国と呼ばれる国だ。

貧困大国。

フードスタンプという制度・・・食べ物の質を、人々の生活を、そして命をも「資本」の手のひらに乗せることが出来る。

・・・何故、そんな国になってしまったんだろう。


人間社会とは・・・見えない世界の見えないエネルギーが、人間の意識によって具象化した社会。

それならば、いったいどんなエネルギーが「資本」というものを具象化したんだろう。ちょっと気になっている。

「資本(43)」は「統一(43)」と同じ言霊数・・・で・・・なのかな。あるいは「運命(43)」・・・とも。


前世紀までは「1」の上昇エネルギーが強すぎたわけで・・・「1」の上昇エネルギーが「2」の存在を見失って暴走。だから広がらなかった。

広がらずに、なんでもかんでも呑み込んでは突き進んできた。上へ上へ・・・向上向上・・・。目立つものが勝ち。強いものが勝ち・・・。勝者こそ正しい・・・と。

科学のチカラを借りていながら、その科学までも資本は呑み込んで・・・自らの道具にしてしまった。

以前、科学というのは「科(とが)」を背負った学問だと書いた。

見えないものに背を向けるという「科(とが)」。「隠り身(かくりみ)」である「カミ」に背を向ける「科(とが)」・・・ということ。

だから資本は、見える世界だけを追い続けてきた・・・と言える。そして辿り着いたのが、東西の最前線であるこの国・・・というわけ。

日本が狙われだしてもう何年になるんだろう・・・少なくとも、あのザビエルの頃までは遡ることができるはず。


そんなに昔から日本は狙われているが・・・なかなか陥落しない。不思議。

見える世界のことしか理解出来ない資本というのは・・・実は、見えない世界から木霊のように届けられる「精神性」のカベを越えることが出来ないのではないか・・・も。


資本は、この深い精神性を崩そうとあの手この手で攻めてくる。もちろん物心ともに攻めてくる。

3S政策は有名だけれど、他にも・・・この国の歴史を壊そうとする。たぶん「女宮」創設云々の話は、ここに辿り着くはず。

街宣車による拡声器の怒声は右からの・・・記紀神話の否定から始まった学校教育は左からの・・・日本人としての「誇り」への破壊工作。

天皇制廃止・・・などと叫ぶ人がいるけれど、あれなど最たるものだと思う。本人が気づいているのかいないのかは知らない。

知る気もないけれど、天皇制廃止は無駄。天皇制を利用しようとするヤカラは、天皇制が無くなっても別の「道具」を見つけてくるだけだもの・・・。

それよりも歴史を失うことの方が、計り知れないほどの大きな穴を国民のこころに空ける。


資本による攻撃は、やがて貧困国家へ導き・・・放射能で命を削り・・・フードスタンプで国民を釣り上げ・・・ドロのように眠らせ・・・で?

で、どうするんだろう・・・。

見える世界でしか生きられない「資本」は結局、出口のない闇の中をアテも無くさまようことしか・・・できないわけだ・・・利益を求めて。


さて・・・「1」は縦で・・・火。「2」は横で・・・水。いっしょになって「火水(カミ)」。創造の元になる「3」へ続く。

同時に「2」は「にほん」でもあって・・・瑞穂(みずほ)の国。どう考えても、この世界の大きな曲がり角に、日本が大きな役割を担っていることは間違いない。

「2」がしっかりしなきゃ火と水のバランスを取り戻せない。「カミ」と和合できない。

出っぱったところをヘコませ、ヘコんだところを引き上げ・・・いびつになった世界をまんまるに・・・もう一度見直してみたら・・・いいかも。


2013年8月17日土曜日

日本人をとりもどす

ここ数日、よく「2」という数字が目にとまる。「2」「22」「222」・・・。「ふ」と読めば「ふじ」・・・「に」と読めば「にほん」・・・。

「2」は「お」でもあって・・・天常立神。大宇宙・・・大自然・・・の記憶。

ふたつに分かれて、振動を生み、波動を生み、呼び合い反発し合い・・・やがて具象化してゆく歴史。

歴史を学び、和合せよ・・・と? 見える世界と見えない世界とを結べ・・・と?

馬鹿な頭で考えてもよく判らない・・・いや、頭で考えるから馬鹿なのか・・・いやいや、考えるとは「神還る」で・・・「思う」ことから初めてみれば・・・思えば開ける・・・などと、結局・・・思いながら・・・いろいろ考えているわたしで・・・ある。


ところで、エジプトで虐殺があった。

あれを虐殺と言えない日本のメディアは・・・つまり、指示を出したのが何者なのか・・・知ってるんだろう。

知ってて言えないから・・・合同演習は中止したが、エジプト軍への支援の中止はない・・・と、お茶を濁しながら表現している。

ややこしいから、はっきり書けばいいのに。


ニュースといえば・・・NHKの19時のニュースを見ながら・・・この番組はホントにダメだな・・・と思う。

いや、しゃべってる女性の服装のことじゃない・・・ま、それもあるが。

・・・あれはたぶん、番組としての「絵」しか見えていないんだろう。着ている人間のキャラはどうでもいいという・・・。むかし、NHKの天気予報を見ながら同じ事を感じたことが・・・あったような。


熱中症による死亡のニュース。司法解剖したのか・・・どうかも言わない。ただ、熱中症によると見られる・・・だけだ。いいかげん。

報道のプロが、こういうニュースを平気で流す・・・ということをウラ読みすると、いろいろと見えてくる。国民に、何を感じさせようとしたのか・・・何を隠そうとしたのか。

解説にくる専門家・・・と呼ばれる人々は、わたしでも言えそうなことを言って・・・さらに念を押す。


世間には「空気呪縛」というのがある。

空気呪縛に捉えられると視野が狭くなるので「今」を解体することが出来ない。解体し、組み直すことが出来なければ、進化は止まる。

愚民はこれに気がつかない。気がつかないうちに、大きな渦に巻き込まれる。


「自由」「平等」「平和」・・・という言葉があるが、日本人がこの言葉を考えるとき、やはりすべての人々・・・すべての民族のそれを考えるだろう。

でも、欧米人は違うようだ。とくに政治的な場面で使われるときは違うらしい。つまり、同盟を結んだ国や民族・・・そいう枠の内側の人々に限定される。

身内にとっての「自由」「平等」「平和」・・・ということだ。身内にならない民族には牙をむいても・・・あるいは利用してもかまわない・・・というこになる。


日本は明治以降、西洋文明をしきりに取り入れてきた。やがて終戦ということになって、それ以降はさらに・・・異常なくらいの欧米化だった。

そのおかげで世界の日本として成長できたわけだが・・・どうだろう。

「自由」「平等」「平和」・・・に関して考えるとき、地球にとって必要なのは欧米人の感覚じゃなくて、日本人の感覚だろう。

でなきゃ、ホントにえらいことになってしまう。

日本人らしい日本人は、とっても優秀な地球人でもあるわけだ。優秀な地球人としての自覚と責任。

明治以前の日本人は、それをしっかりと身につけていたと思う。そう感じることがよくある。

だから・・・「日本をとりもどす」じゃなくて、いつのまにかどこかの子分になってしまった日本人が、日本人としての自覚に目覚めること・・・つまり「日本人をとりもどす」・・・が正解。





2013年8月10日土曜日

親孝行しろよ

東電の家宅捜査もせずに全員不起訴・・・前代未聞。おまけに、東電の元幹部はみんな海外在住だそうで・・・。

核兵器の原料を生成する原発を稼動させておきながら、問題の核兵器は罪悪という政治家・・・自分が何を言ったかなど、気にしちゃいない。

殺人事件や交通事故のニュースばかりしか流さない報道番組・・・何故最近になってやたらと増えるのか・・・事件自体の持つ闇の仕組みまでもがチラついてしまう。

高額収入に馴れてしまったのか・・・「保身」という河に、悲しく流されるジャーナリズム・・・たち。


やがて消え去ってしまう雲の群れを、地上からぼぉっと眺めている・・・ような無責任な自分ではあるけれど、わたしには手を差し延べるほどのチカラはない・・・残念ながら。


さて、未来は人々の「思い」が創造する。人々が何にしあわせを感じ、何に喜びを感じるのか・・・それが未来を創造してゆく「種」になる。

だから、しあわせのカタチ、喜びのカタチが変われば・・・あるいは、望めば未来は変わる。求めれば未来は変わる。

人類の未来は宇宙の未来でもある。つまり、宇宙はひとつの存在。

そのことに、すでに多くの人々が気づき始めている。そのことに気づくことが、たぶん・・・本道への道しるべになるはず。

そこから割り出して、自らの進むべき道を見出すことが大事なんだと思う。

ただ、宇宙は人の内にも有るが、人は宇宙の内にしかない・・・ことを忘れてはいけない。ややこしいか・・・。


放射能とは、無理やり引き裂かれた素粒子たちの悲しみのエネルギー・・・のようで、そのエネルギーが素粒子レベルの人間の「遺伝子」に影響を与えるのはごく自然の成り行き・・・ともいえる。

すべては「ひとつ」。

彼らを癒せるのはやはり素粒子レベルのエネルギー・・・なのだろう。微生物などによる癒し。高い意識圧を持った「何か」・・・との共鳴・・・共感。

早く、こういうことが普通に理解される世の中になってほしいと思う。そして、一日も早く、気の荒い放射能たちを穏やかなエネルギーに変える日がくることを祈る。

各地の民族の特性と、その民族が暮す大地の特性と・・・比べてみると、何か不思議な一致が見られないだろうか・・・。


害虫とは、実は植物たちが呼んだ虫たちのこと。虫たちが落とすフンやその亡骸などによって、土を生き返らせてくれと・・・そのために自分たちのカラダを食べてくれと、植物たちが呼び寄せた虫たちのこと。

だから、ホントは「害」を及ぼすのは農薬の方で・・・土のチカラを奪う農薬や、大地を痛めつける大きな機械や、人間の作り出した経済システムの方が、植物たちには大迷惑なわけだ。

そういう視点から見てみると、今何が起こって・・・さらに何が起こりそうなのかがわかると思う。

人間が特別だと思うのは大きな間違い。土も植物も虫も・・・そして人間も、みんなつながっている。そこから、ホントにこのままでいいのかということを考えた方がいい。


「分断・分別」のエネルギーが造り上げてきた現実は、もう限界。つながって共感し合えれば地球の思いがわかるはず。だって人類は地球の子供だから。

生命樹の一番てっぺんまで登りつめた人類なのだから、親である地球を喜ばせてもいい頃なのに・・・なぜ人類は地球を悲しませることばかりすのだろう。

さっさと自立した大人になって、しっかり親孝行しろよ、人類。


 

2013年8月3日土曜日

戦略的お人好し

うちの近くで盆踊りが開かれていたようで・・・今はもう静になったが、風に乗ってやってくる拡声器の歌声は、大きくなり小さくなり・・・日本の夏を思わせる。

そんな夏になると戦争の話しがあちこちから聞こえてくる。テレビでも新聞でも特集が組まれる。特に今年はいろいろとあるので特に多いのかもしれないが・・・。

そういえば・・・ナチスのことをしゃべった人がいる。あれは冗談のつもりなのか・・・。本人は冗談のつもりでも、世界には冗談では済まない国があることぐらいわたしにだってわかる。

あれでユダヤの国に・・・借りを作ってしまったわけだ。

歴史認識は歴史家に任せる・・・とかいった首相と同じで、この国の内閣はみんな外交音痴なのか・・・ね。

あ、もうひとつ・・・東南アジアのどこかの国で買春をしてシッポをつかまれた議員もいたそうな。

シッポをつかまれたら言うことを聞くしかないってことで・・・なんともはや・・・・いやいや、ブツブツ言うのはやめよう。


戦争の特集の話に戻すと・・・どこの番組でもたいがい戦争の悲惨な部分を取り上げる。それも必要かもしれない。

必要かもしれないけれど、わたしは少し不満だ。

戦争をするとどうなる・・・というより、なぜ戦争になったのか・・・あるいは、戦争へ導かれるのはどうしてか・・・というのをもっと詳しくしてほしいと思う。

つまり、戦略としての戦争・・・を、国民はもっと知っておくべきだと思う。

スイスでは一家に一冊「民間防衛」という本が配られる・・・そうだ。ちなみに、この本はアマゾンでも手に入る。もちろん翻訳本。

その中には、災害時の避難の仕方などとともに、他国が浸入してくる「手口」も書かれている。人心掌握の手口なども書かれている。

見事・・・だと思う。ヨーロッパならでは・・・といえるが。今や日本でも、こういう本は必要なのだろう。大きくなったメディアは人心掌握の恰好の「道具」となる危険性を持っている。


戦国時代、多くの武将は野党・・・盗賊を家来にしていた。家来という言い方はきれいすぎるかもしれないが・・・早く言えば飼っていたわけだ。

盗賊はいろいろと便利な集団だったと思う。周囲の村々を襲わせれば、警備という名目で自国の兵を入り込ませることが出来る。治安は維持してやるから言うことを聞け・・・というわけだ。

まるで・・・警察みたい・・・。

自国から逃げ出そうとする農民や、他国から逃げてきた農民を襲わせたり監視したり・・・隣国内を撹乱させることにも利用できる。

昔から「戦わずして勝つ」というのが最良の戦(いくさ)・・・なわけだが、その中ではスパイというのも大切な役割を持つ。

スパイの仕事は「盗み」と「詐欺」。情報を盗み、敵国を煽動によって内部から撹乱させる。でも、忍者のように外部から忍び込んで・・・なんてことはしない。スパイは常にその国の中枢にいる。

日中戦争から太平洋戦争に至までの、当時の中枢部を調べ上げれば、きっとスパイが浮き出てくるはずだ。だからその人物の名は、だれもが知っている名前・・・ということになる。

戦争の特集を組むなら、こういうことを調べてほしいと思う・・・が、無理だろうな・・・。


無差別な大空襲による殺戮や、広島・長崎の原爆実験・・・あれは間違いなく実験だった、とわたしは思っている・・・そういうことをされても日本人は戦後、アメリカ大好きになっていった。

なんてすごい国民なんだろう・・・と思う。ホントはすごく次元の高い・・・人間性の高い国民なんだと思う。

それでも戦時中は・・・一億玉砕を叫ぶ軍人も多くいたわけで・・・そのために、戦争終結を・・・武装解除を速やかに行なうために、天皇は各前線に宮家の人たちを勅使として派遣した。

南方や大陸や・・・勅使でも命がけだ。

沖縄では集団自決を強要する者がいたり、国内でも極右といわれる人々がいたので、たとえ戦争が終わったとしても、治安を維持することが難しい状態だったと思う。

その治安をアメリカに任せた。占領軍の力を借りなければ、自国の治安すら守れなかったわけだ。


大きな流れにつかまれると、止めどなく流れてしまう。集団が生み出す常識に逆らうことが苦手な国民性。空気呪縛に陥りやすい。

社会保障制度が崩れそうな今、不安に揺れる国民を大きな流れがつかもうと・・・あるいは、その不安を利用しようと何かの力が動き始めているかもしれない。

社会保障制度が崩れるというのは、実は「おんぶ」されたままじゃいけないよ・・・という天からのメッセージなのだと思う。

ここにも「自覚と自立」をうながすシルシが現われているんだろう。

盗賊に怯え、盗賊から守ってくれるという支配者に従うという時代はもう終わる。だって、明るい時代には支配者の姿がどんなだか・・・しっかり見えているのだから。

盗賊に怯えてばかりじゃラチがあかないので、その高い人間性で・・・盗賊をも仲間にしてしまえばいい。お人好しな日本人だったらきっと出来ると思う。

そういう高い高い意識にならなきゃ、この大峠は越せない。

意識が低いと逃げることしか考えられないけれど、意識が高ければ高いほど、いくついくつも未来へのアイデアが生まれてくる・・・はず。

 

2013年7月27日土曜日

いやはや・・・

国債という錬金術は近いうちに終わる・・・というか、うまく作用しなくらるらしい。国のお金が無くなるわけだ。

・・・それを見越して、最近やたらにジャブジャブと造っているのかも・・・。

国にお金が無いとなれば、お金を集めるのが政治家・・・という今の常識が崩れてしまう。つまり、今の政治家の値打ちも無くなるということ。

お金が流れないのなら、地方財政や地域産業・設備投資などは・・・今のシステムのままでは立ち行かない。

職員の給与だって退職金だって・・・市や町だって倒産するのだ、夕張市のように・・・。

徐々に・・・ならば対処のしようがあるだろうが・・・こういうことはわたしも経験があるが、ある日突然に・・・という感じでやってくる。びっくりするほどあっけない。

いよいよ破綻国家に変わって、資本が世界を支配する時代へと変わってゆくのだろうか・・・名実ともに。

まるで・・・近未来を描いたSF映画を観ているような感覚。

そういえば米国の保険会社が、日本政府が株主のはずの郵貯と手を結んだ。とうとうアヒルに喰われたのか・・・?。以前話題になった社内公用語を英語にしようというのも同じだ。カップヌードルのCMを思い出す。

たぶん・・・10月~11月・・・かな。日本だけじゃない。アメリカも中国も・・・みんなおかしい。何かを孕んでいて・・・なんとなくゾクゾクするような感じ。激動だ。

それでも、わたしの中では何故か・・・不思議と未来は明るい。明るい人は闇の時代でも明るいものだ。きっと・・・頭の中の常識というシステムが壊れているからだろう。変化こそ未来の種。


「・・・何が起こってもまず喜んで迎えねばならんぞ、近づいてくるのは呼び寄せたからじゃ、こんな嫌な、汚いものはごめんぢゃと申す人民もあるなれど、それは皆己の心の写しでないか。
内に無いものが外から近寄る道理ないのぢゃ、どんなものでも、喜んで迎えるとよろこびとなる結構な仕組み、よく会得せよ。」(日月神示 扶桑の巻 第十帖より抜粋)


常識の解体というのは何回か書いたけれど、医学や物理学や・・・学問といわれる世界での常識はいったん解体したほうがいい。それは身の安全のためでもある。

一例をあげると・・・たとえば、赤血球は腸で造られる。腸で造られた赤血球は全身に回って、その各部位において各細胞へと分化する。つまり、赤血球が各細胞に変化する。

飢餓状態になると今度は細胞が赤血球に可逆する。赤血球に戻る。

以上のように、千島学説からの視点で細胞や血液を見ると・・・赤血球に核が無い理由、皮膚細胞が内臓細胞に変化(ips細胞)する理由、断食による血液の浄化、骨髄以外で発見される幹細胞・・・などなど、いろいろと説明できるわけだ。

現代医学の常識というものに捉われていると、現在の医療システムから逃れられない。これは医療利権から逃れられないということでもある。

保険のシステムが危うくなるという今、病気への不安を考えるとやはり常識に捉われない正しい知識というものが必要になってくる。真実を知ることは、自覚や自立への道でもあると思う。

先書いた・・・お金を集めてくるのが政治家の仕事・・・などは、まさに凝り固まった「常識」のひとつだ。こんな「常識」が国難を招いたんだろう。


「・・・今に昇り降りで忙しくなり、衝突するものも出てくるぞ、他人におんぶされたり、車に乗せられていた人民たちよ、もうその時は過ぎているのであるから、自分の足で歩まねばならんぞ、大地を踏みしめよ、大地の気が身内に甦るぞ。」(日月神示 扶桑の巻 第十五帖より抜粋)


しかし、激動の時代がやって来る・・・と聞いて、何故かワクワクしているわたしは、やっぱり変人なんだと思う。やっと自由になれる・・・というような不謹慎な感覚。いやはや・・・。


2013年7月20日土曜日

ひとりごと

安倍内閣は消費税を成立させる役目を持っている。成立すれば・・・早期に解散だろう。

社会状況が本格的に転げ落ちてゆくのはそれから・・・いや、転げ落ちるとすれば・・・それからだ。

領土問題は選挙のために使われている。焦点を隠しながら、不安を煽って・・・こっちにいれば安全だ・・・というわけだ。

焦点はTPPと消費税、それと原発。

最近、ようやく大手メディアからも原発の問題点が出てきているようだが、そんな「フリ」は選挙が終われば消える。

状況がおかしくなってから選挙に不正があったことが発覚しても遅い。その事実は当然闇に消えることになる。

すでに野田政権時代に、ネット関連の規制の仕組みは出来上がっているので、大切な情報が国民のもとに示されることはない。

テレビ・新聞などの罪は重い。国民を煽動していることに一日も早く気づくべきだ。気づいて、どうするかは組織が決めるのではない。個人が決め個人が動く。そういう時代がすでに来ている。自覚と自立・・・というわけだ。

安定は希望ではない。安定はいつも腐敗を孕んでいる。だいいち、希望とは変化することだ。視点を間違ってはいけない。

さて、以前にも書いたと思うが、戦争は縦のチカラの爆発。強い弱いの世界。だから弱者は虐げられ陵辱される。つまり人間が動物次元に落ちることを戦争という。

だから、戦争を臭わす・・・あるいは、導こうとする政治家や資本家は、動物次元の思考を公的な立場で優先させる。当然・・・弱者のことは考えない。眼中にはない・・・ということになる。

かのポン引きや迷彩服の人たちは弱者のために何もする気はないだろう。弱者をダシに・・・することしか考えていない・・・と言ってもいいと思う。

それほどコキ降ろしていいものか・・・とも思うが、いや、きっと彼らは、知られてはいけないシッポを2~3本誰かに握られて、骨抜きになってしまったんだろう。

考えてみれば、気の毒な人たちだ。

ついでに言うと、戦争は儲かるビジネスでもある。戦争をすると、国家の借金はチャラになるが国民は疲弊する。ホクホクするのは、だから強者・・・戦争ビジネスを操っている一部の資本・・・だけだ。

そんなわけで、強者・・・権力にくっついている人たちはみんなよく似ている。


話はまったく変わるが・・・「ふんどし」について気がついたことがあった。
古代文明に生きていた人たちはみんな「ふんどし」を締めていた。ツタンカーメンだってそうだ。マヤ文明もそう・・・。

その「ふんどし」が、今も日本に残っている。

これは・・・この日本にも古代文明が存在していた・・・ということにつながらないだろうか。

そして、日本の場合は他の古代文明のように「消えた」わけではなく「隠れた」だけで・・・だから、もうそろそろ、その古代文明が甦る・・・と。

古代の人々は、いまの人よりもずっと魂とつながっていた。つまり「覚者」だった。「覚者」は怖れない、常識に捉われない、執着を必要以上に持たない・・・本当に自由な人のことだ。だからこそ「隠れる」ことが出来たんだろう。

最近、巷にもこの「覚者」が増えてきたように感じるのはわたしだけだろうか。

いつまでも前世紀の仕組みから抜け出せないでいると、そのうち進むべき道がなくなるぞ・・・と、遠い過去から教えてもらってるのに・・・早く気づけよ。

・・・と、ひとりごとを言ってみる。

2013年7月13日土曜日

暗闇の中で探し物をしている

兵士たちはドロのように疲弊していた。大地にへばりついたまま動こうとしない。

最前線ではすでに銃弾も尽き、援軍を待っている。しかし兵士たちは、その援軍も役には立たないことを知っていた。何故なら、世界が戦っているのは「病気」という目に見えない敵だったからだ。

自国の識者は言う「技術は格段に進歩した 病気はすでに敵ではない」
さらにメディアは言う「兵士はみな保険に入ろう それで安心だ」

誰も病気が無くなるとは言わない。無くそうともしない。

「病気」は後から後からやって来た。その「病気」がどこからやって来るのか、実は誰も知らない。「病気」が何者なのかもよくわからない。

時折、兵士たちの頭上を砲弾が飛んでゆくが、その砲弾ですらどこからやって来てどこに着弾するのか・・・誰も知らなかった。

「もういいかげん やめませんか この戦い」

ぼくはそばにいた上官・・と思しき人物に語りかけた。

「ばっかもん!! わが国が病気に喰われてもいいのか!!」

そういってしたたか殴られたぼくは、その夜とうとう脱走した。いや、戦場から逃げ出したわけではない。ぼくはそのまま前線へ走った。兵士の群れを抜け出し、漆黒の闇へ向かって走り出した。

漆黒の闇の向こうに、「病気」という敵がいるはずだった・・・いや、いると教えられてきた。その時はまだ、ぼくもそう信じていた。「病気」は敵なのだと信じていた。

その敵にどうしても聞いてみたかった。何故戦うのか・・・そして、あなたは何者なのか・・・と。

ところが・・・最初のうちは意気揚々と進んでいたが、しばらく走り回ってその戦場の広大さに愕然とすることになる。見渡す限りの荒野。

ほどなくぼくは不毛地帯を足を引きずりながら歩くことになった。

どれほど彷徨ったかわからない。何回かの夜を向かえ何回かの朝に目覚めたある日、はるか彼方にひとすじの川が見えた。ぼくは川の光に勇気をもらい、少し足取りも軽くなっていった。

ところが、やっと辿り着いた川には・・・その周囲に一本の草木も生えていなかった。

心なしか悲しげなせせらぎの音を聞きながら、ほとりに腰を下ろしてぼくは考えた。たぶん・・・この川は、川である自分を見失っているんじゃないだろうか。

川は山と海をつなぐ糸。山は自分のエネルギーを川に託し、海は川から届けられた山の力を、さらに無数のいのちに分け与える。

自然の循環が、どこかで断ち切られたのだ。

ぼくはふと、自分の歩いてきた道を思い出した。人間の戦いが生み出した不毛の大地・・・。何処までも広がる荒野・・・。

人間の戦いが大地に薬物を撒き散らし。その薬物が川を汚した。あるいは戦いのための兵器を造るために、川の流れを変え汚物を川に流した。

流れることを拒めない川はその薬物や汚物さえも海へ届けてしまう。その悲しさに、川は流れることを拒み、やがて自分をも見失ってしまったのだろう。

ぼくはおもむろに、流れる水を手のひらですくって、乾いた大地へポトポトと垂らしてみる。小さな砂埃が舞って・・・すぐ消えた。

何度も何度も同じこと繰り返しているうちに・・・もっともっと、この乾いた川のほとりを潤したくなった。

やがて・・・ぼくは川の中にザブザブと入って・・・そして、気がつくとバシャバシャと岸辺に向かって川の水を両手でかき出していた。

かき出す水が岸辺の砂に落ちるたびに埃が舞い上がる。舞い上がってはすぐに消え、消えては掛け、消えてはまた掛け・・・そうしているうちに、しだいに岸辺が潤い始める。

「ほら きみが大地を守ってるんだよ きみが大地を甦らせてるんだよ」

ほら・・・ほら・・・。ぼくはビショビショになりながら、何度も何度も川の水をかき出した。

とうとう、もうこれ以上は動けない・・・というくらい疲れはてて、川から上がって横になった。寝そべったまま川を見ると、気のせいか川面がきらきらと光り始めている。

その光に、少し自信を取り戻したような・・・川の歓びを感じて、ぼくはなんとなく幸せな気分になった。

そうだ・・・ほんとはこういうことじゃないのか?世界を救うというのはこういう・・・その先の言葉がなかなか出てこない。言葉にならないもどかしい感覚。

少しはがゆい思いで岸辺に立ち上がると、上空で・・・ヒュー・・という音がした。次の瞬間ぼくを白い閃光が包む。人間の世界から放たれた砲弾が、目の前の川面で炸裂したのだ。

水がはじけ飛び、ぼくはゆっくりと後方へ飛ばされ、ころころと岸辺の砂の上を転がった。不思議な感覚だった。時間がゼリーのように重くなって、そしてそのドロドロとした時間の中を意識が暗闇の中に落ちていった。

                                  (いつか・・・つづく)

 

2013年7月6日土曜日

はなび

何も考えずに、空っぽで過ごす。

人間は空っぽの方がいい。空っぽだと魂の声が響き易い。

「生」「老」「病」「死」・・・という四苦があるけれど、空っぽだとこんなものどうでもよくなる。
それは「流れるまま」というわけじゃなくて、つまり・・・「覚悟」が出来るということ。

「覚悟」が出来ると怖れるものは何もなくなる。魂の響きのまま。こういう人を「覚者」という。魂とつながっている。

魂は何でも知ってる。何でもわかっていて・・・わかっているから、あなたのすべてを愛している。すべてを「天意(あい)」で包んでる。

魂にありがとう。

魂が何かを思ってくれたおかげで、わたしは人間として産まれてきた。そして人間として生きていける。よかった。


話は変わるけれど、最近・・・まるで、社会全体が魔法にでもかかったように感じるのは、わたしだけだろうか。

ある理由があって、しかたなしにテレビを観ているわたしだが・・・とても不思議な感じがしている。何かに・・・あるいは何処かに引き寄せられるような雰囲気。

・・・あるいは、吸い寄せられる・・・と言うか・・・それは直線的なエネルギー・・・砂浜でやったロケット花火が、最後にヒューって消えていく、あの感じ。

昔の歌の文句じゃないけれど・・・もう、どうにも止まらない・・・みたいな。

その現象が、正しいのか間違っているのか・・・ということではなく、まさに「天の計らい」・・・で・・・何を書いているのだろう・・・自分でもよくわからない。


やがて、政府の力は地方に及ばなくなって・・・というか、もともと地方自治体は独立したものなので、たとえば、こころある指導者・・・導き手の多くいる地方自治体では地域通貨を発行して、人間味あふれた世界を創っていく・・・というような。

「円」が無くなるわけではなく、「円」は「円」として存在はするが、実質的機能は様変わりするんだろう。

そしてそれは・・・そんなに遠い未来の話しではなく・・・気がつくと・・・「国家」というものが消えていて、人々は自主的な横のつながりの中で生活を楽しんでいる・・・というようなイメージが、わたしの中には広がっている。


遠い遠い昔。まだ国家というものが無かった頃、人々は「和」の内にいた。

どんな争いごとも「和」の内にあるので、仲に立つ人格者・・・長老の助言で誰もが納得できた。
ましてや紛争になどに拡大するはずもなかった。

まだ、直線的な欲望が生まれる以前のことだが・・・。


人々はどこで曲がり角を間違えたんだろう。

たぶん・・・「原因」を見失ったとき。「結果」しか見えなくなったとき・・・だとわたしは思っている。

「結果」を「結果」で隠そうとする人間は操りやすい。「結果」を積み重ねて、積み重ねて、さらに積み重ねて・・・ヒューっと、花火のように消えてゆく。

「原因」は最初の入り口。「結果」は出口。けれど出口は次の「結果」への入り口でもある。だから次の「結果」を探して・・・つまり出口を探して、そして入り口に出る。

いくつもいくつも出口の入り口を通ってきたので・・・最初の入り口がわからなくなった。

こういう時は上から眺めればいい。ダンジョンを俯瞰しみればいい。それは常識を解体すること。そしたらホントの入り口が見つかる。

そしてホントの入り口は魂の世界につながっていることがわかる。「原因」の世界とは魂の世界。何故なら、この世は目に見えない世界から生み出されたのだから。

見えない世界の、見えない自分が見えた時、人は覚者に一歩近づく。


2013年6月29日土曜日

・・・かもね

どこの局でも同じニュースが流れると・・・あぁ、またか・・・と思ってしまう。

どこかで大事なニュースが隠されているのか・・・どうなのか。なんともゲイの無いテレビメディアである。

そんな中、最近よく感じるのは・・・いよいよ公務員受難の時がきたのかなぁ・・・ということ。

むかしから庶民たちの不満のガス抜きに利用される公務員ではあるけれど、なんとなくそういう意図的なチカラだけでは説明できないような・・・。

もちろん、部署や組織の誰かを「みせしめ」にすれば反抗分子たちへの粛清にもなる・・・ので、いざ、という時のために、そこらじゅうに爆弾を転がしてある・・・のかもしれない。

が、その爆弾の意味が・・・たぶん、変わったのか・・・も。

今までの常識的な「安定」に浸かっていては抜けられないよ・・・ヒトとしての自覚と、その道を歩むための自立・・・に目覚めなさいよ・・・という宇宙からのメッセージ・・・の、ような。

だから、企みを隠すために、やたらと爆弾に火をつけていると・・・そのうちトンでもない爆発が・・・ある・・・かもね。


この国を大きく変えた出来事はいくつかあるけれど、西暦663年の白村江の戦いは、そのトンでもない爆発のひとつだったのだと、わたしは思っている。

大きな敗戦は国家のカタチをも変えてしまうから・・・。

この白村江から、やがて奈良時代に強力になってゆく律令制・・・までの辺りに、この国のスガタを大きく変えた何かが・・・変遷があったのだと思う。

あらがえない大きなチカラ。


奈良時代には街道が整備され「宿」が設けられる。「シュク」・・・だ。元明天皇は、旅をする者はお金を携帯するように・・・というフレを出した、と、続日本記にある。

「宿」を利用する人々はそれほど多かったのか・・・そして、その行き交う人々はお金を携帯するという感覚が無かったのか・・・いろいろと想像してしまう。

お金というのは、それより千年も前、大陸では春秋戦国時代・・・のときにはすでに使われていたらしいが・・・この国の人々は、奈良時代になってもお金というものに馴れていなかった・・・わけだ。

お金の仕組みは、大陸から持ち込まれた・・・ということになる。

当時の旅は命がけ・・・命がけの旅をしなければならない人々。どういう素性の人々だったのだろう。想像は尽きない。


もうひとつ、奈良時代には多くの人々が西から東へ移住した・・・と思える。

畿内河内から武蔵の国へ多くの人々が移住したのもこの頃らしい。摂津の為奈部という民が伊勢へ移り住んだのもこの頃。

西日本から三河を経て美濃、信濃、越後へ抜ける日本海側へのルート。あるいは、武蔵から房総、常陸への太平洋側のルート。

自ら望んだのか、余儀なくされたのか、あるいは強制的なのか・・・そこのところはさまざまだったろうが・・・多くの人々が移住していった。

もちろん白村江以前にも移住はあったろうが、白村江から平安遷都までの130年ほどの激動は、より大きかったように思う。


トンでもない爆発が起こると「常識」という結び目が解けてしまうので、まるで秩序が失われたように思えるけれど・・・ドッコイこの国の人々はその高い精神性で国体を維持してきた。

それはまさに民衆の智恵・・・縄文時代からメンメンと流れている「血」のようなものだと、わたしは思っている。

縄文時代・・・という言い方で区切ってしまうのはあまり好きじゃないが・・・そのころの人々は「無垢」だったので「宇宙の声」「自然の声」を感得することが出来た・・・と思っている。

それはつまり、身の危険を感じ取ることが出来ること・・・と同時に争い・・・戦争が残す禍根の意味をよく知っていたはず。未来へ残るネガティブな波動を知っていた。カルマともいう。

だから、いつの頃からか増えだした新しい人々とは争わずに、辺境へ辺境へと身を隠していったのだろう。

この国の人々の底に流れる「血」。「血」は「水」でもある。「水」でつながっていることは・・・そういうことでもある。

縦の「常識」から抜け出せない人々が起こすトンでもない爆発は、実は人々のこころの底に眠っている縄文の「血」を・・・はからずも、甦らせることになる・・・かもね。


  

2013年6月22日土曜日

憑かれたわたし

人の思考も波動なので、その波動を感じ取れれば・・・その人の発する言葉に惑わされず、その人の思考・・・思いのカタチを感じ取ることができる。

ただ、自身の意識波動に影響を受けてしまうので、こころはいつもクリーンでなければ・・・クリーンとは「無垢」な状態・・・これがなかなか大変。

潜在意識の中に、いっぱい詰っているだろう何千年何万年かの記憶がナカナカ整理できないので、こころのアチコチに「闇」ができている。その「闇」に遮られて、魂からのメッセージがまっすぐ届かない。

「闇」はオモイので、こころをいづれかの方向に傾けさせてしまう。傾くと魂からのメッセージが歪んでしまうのだ。

メッセージがまっすぐに届いて、それが理解出来れば・・・いつでもどこでも、何が起きても笑っていられるのに・・・。

この「闇」にヒカリを当てることが・・・最近よくいわれるクリーニングだ・・・と思っている。


人の思いのカタチがわかれば、騙されることがない・・・ということを言いたいわけじゃない。騙されまいと思えば思うほど、騙したいと思っている者が近づいてくる・・・だろう、と思うし・・・。

ただ、わたしが感じているのは、人の思いのカタチがわかれば・・・たぶん、それぞれの波動に合ったコミュニティー、社会、世界・・・が形成されてくるだろう・・・ということ。

合わない波動の中では居心地が悪い。

それではストレスがないので、進歩しないのでは?・・・と、ふと思ってみたりもするが、人類の最終目的は調和だ。大調和。

このまま分離分断・・・な世界のままではいづれ崩壊することになる。崩壊してしまえば調和もクソもない。

調和とは「みんないっしょ」・・・じゃ完成しない。「みんな別々」・・・でなければ調和とは言わない。別々だからこそ「調和」できるわけだ。別々だからこそ理解し合える。

それには魂のレベル・・・物理的に言うと「素粒子」のレベル・・・つまり、目に見えない最奥の響き合いが必要だと思う。

それには・・・やっぱりクリーニングなのだろう。

潜在意識に積もった「闇」にヒカリを当てること・・・除去じゃなくてヒカリ。ヒカリを当てること。


ところで、資本の力・・・物質文明のチカラは東から回って、やがて日本にやって来る。西回りのチカラと東回りのチカラがこの日本で合わさる・・・と思う。米国と中国(支那)がとうとう手を結んだ今、いよいよだと感じている。

けれど、彼らの文明には入口と出口がない。向かっている場所は永遠にスパイラルを繰り返すルツボ・・・のようだ。

スパイラルのルツボというのは直線。果ての無い直線的な欲望。その欲望は、いったい何処で生まれて、何処へ向かうのか・・・きっと彼らにもわかってはいまい。

我欲には「顔」が無い。「顔」が無いから周りが見えない。周りが見えないから調和が生まれない。

調和の無い世界は、崩壊、拡散を繰り返す。食品が「腐敗」する姿を見ればよくわかる。まさにあのスガタ・・・あの結末が物質文明の未来でもある。大組織の「腐敗」など典型的だ。

ただ、最近では腐らない食べ物もあるようだが・・・何をか言わんや・・・である。

ところが「腐敗」ののち、食べ物は自然へと還ってゆく。つまり、人間が造り出したスパイラルでさえ宇宙のチカラの内にある。宇宙のフトコロの中にあるのだ。

宇宙の回転は、真ん中へ戻ろうとするエネルギーが織り成す「永遠」でもある。「永遠」こそイノチの源。人類の存在理由がそこにある。


小賢しい我欲など人類の目標でも何でもない。そこに人類の存在理由などありはしない。


東西から巡ってきたチカラがココで渦になり上昇する・・・ことをイメージしてみる。一厘の仕組み。

物質次元であればこそ生み出せる未来がそこにある。みんなが別々であって、別々であればこそ調和している世界。

不安や恐怖に取り憑かれている現在の指導者たちには想像も出来ない・・・したくないような未来が、間違いなくやって来る。

百匹目のサル現象が、この国で始まったように・・・最初に目覚める人類はこの国の人々、あるいは日本語が話せる人々だ・・・と信じている、変なわたしである。


 

2013年6月15日土曜日

一段上の位

「神(かみ)」のことを「火水(かみ)」と書いたりする。「火(ひ)」は「霊(ひ)」。魂の流れ・・・縦のエネルギーでもある。

それに対して「水(み)」は横。すべての物質は「水(みず)」を含んでいる。つまり、すべては「水(みず)」の力でつながっている。

だから「神(かみ)」は縦と横・・・「十」と描いても表現できる。

前世紀までは、何らかの原因で・・・たぶん、宇宙の呼吸のような気がするが・・・縦の「火」のエネルギーが重要な意味を持っていたのだと思う。

縦のチカラが歪んでしまうと、強者弱者を生み出し、貧困や差別が絶えない。

ちなみに、戦争は縦のチカラの暴走のひとつでもある。戦争は人間を人間ではない生き物にしてしまうので、せっかく輪廻転生の果てにやっと今の状態まで引き上げてきたのに、それをいっきに動物以下に引き戻してしまう。

だから戦争とは・・・たとえ「やむを得ず」であろうと「正義のため」であろうと、全体にしてはいけないことなのだ。

ところで、世界の歴史や現在のスガタをみれば、縦のエネルギーによる進化が行き詰っているのがわかる。

今世紀になって、次第に横のエネルギー・・・「水」の時代へとシフトを始めた。世界各地で起こっている「水」による出来事を見れば、なんとなくわかる。

宇宙の呼吸が、吸う息になったのか、吐く息になったのか・・・とにかく変化した。その変化を地球が受け止めて、自らを宇宙の呼吸に合わせようとし始めた・・・のだろう。

地球と話しができないので、なんともこころもとない・・・わたしではあるが・・・それでも、地球が人類に対して「うんざり」してしまうと大変なことが起こってしまうことくらいはわかる。

地球が人類に対して・・・うんざりしてしまわないように、人類はこの横の力・・・「水」のハタラキを歪めてはならない。

このまま歪めたままなら・・・たぶん、人間が自分の持ち物を「断捨離」するように地球も人類を「断捨離」したくなる・・・と思う。そんな地球の気持ちも、わからなくもない。

この状態は、まだまだ続くのだろう。何故なら、人類は未だ横のつながり・・・すべての存在(生物・無生物のすべて)との「調和」へのシフトには至っていないようだから・・・。

シフトが変わるとはどういうことかというと、意識波動が変わるということだ。

宇宙には・・・というか、この世界には人間の五感で感知できるものは、ほんの少ししかない。人間の身体だってスキマだらけだ。

コップに入れた水が見えるのは、水の分子や原子たちがプルプルと揺れているからだ。振動しているから目に見えている・・・それが液体に見えている。さらに振動数が上がって気体になると見えなくなる。

五感で感知できない世界の方がはるかに多く、広い。そして素粒子たちはそれぞれ固有の揺れ・・・振動を繰り返している。

もちろん人間のカラダも揺れている。その固有の振動数が変わる・・・つまり、意識波動も変わる・・・。

波動数が変わるということは、もちろん五感感覚も変化する。

どういうことかというと・・・今まで見えなかったモノが見え、聞こえなかった音が聞こえ・・・ということでもある。

「水」の粒子が見え、それがすべての存在物とつながっている姿が見え・・・みんながひとつなのだと理解できるようになる・・・ということだ。

それは「神」の姿を見ることができる・・・ということでもある。

実際には「見る」という肉体感覚ではなく、「感じる」という意識感覚に近いものだが・・・潜在意識にこびりついている余分な何かが溶け落ちてしまえば、こころの目で・・・こころの肌で感じ取ることができる。

そうなると誰もウソはつけない。真実しかソコにはない。だから、地球に対して・・・「神」に対しては、だから真実しか通じない・・・わけだ。

神社の境内に佇むとき、自ずと凛としてくる・・・というのは、真実しか通じないということを、誰もが潜在的に感じ取っているからに他ならない。

小賢しい我欲や保身を捨てて・・・あるいはカオを失った自分に気づいて・・・「ス」の自分でいられるようになると、いつしか縦と横の歪みがとれて、しっかりとした「十」が描けはじめる。

「十」とは一段上の位ということでもある・・・それが次元上昇ということだ。

 

2013年6月8日土曜日

「良心」のまま

携帯番号をアカウントに登録・・・なる表示が出た。なんでもその方が安全だそうだ・・・。米国で、つい先日、公的機関による個人情報の回覧騒ぎがあったという・・・この時期にだ。

どっちが安全なのか、よくわからないが・・・どっちにしても、たいしたブログでもないのに・・・騒ぎにもなるまい。そのまま捨て置いた。

けれど、この国にも、この国とかかわる国にも、どうしても表に出てほしくない情報というのが、どうも昔からあるらしい・・・ということはわかる。それがどういうものなのかは言えないが、それでもイワトが開いた今となっては・・・びっくりするほどのコトでもない・・・と思っている。

なんでも表に出て・・・ひっくり返ってしまう世の中になったのだから・・・。


ひっくり返るといえば・・・戦車に乗ってよろこんだり、ポン引きのまねをして開き直ったり・・・なんともお粗末なひっくり返り方をしている昨今だが、もう何をしても露骨に見えてしまって・・・彼らは、アガけばアガくほど抜けられそうにないように見える。

テレビニュースのキャスターも同じようなもので、オスプレイの訓練のために八尾空港を明け渡したところで、沖縄の基地負担軽減には逆立ちしたってつながらない。

軽減どころか、訓練場所を公的に認めてしまえば戦略上さらに重要性を増してしまう・・・ことくらいシロウトのわたしでもわかる。テレビのキャスターも、ひっくり返ってしまっている・・・というわけだ。


だいいち、年収が150万増えたところで人の幸せにつながるものでもない。そろそろ経済の右肩上がりが人の未来を豊かにする・・・などという錯覚から目覚めなければいけない。

右肩上がりというのは、モノが増えるということだ。モノが豊かになるということだ。

モノが豊かになれば、なんとなく幸せで豊かな文化生活・・・のような気がするが、それはモノの次元からしか見えていないからだ。

「ウ」の次元の「欲」の側から・・・分かり易く言うと、物質次元の側から世界を見ているわけだ。

物質次元は客体で、人の本体は向こう側にある。見えない世界にあるのだ。だから物質・・・モノを追いかければ追いかけるほど、心の空洞は広がる。

食べても食べても、空腹感が無くならない・・・ようなものだ。


経済もさることながら、医学においても物質次元への流れが極まっているように思う。

今までにも何回か書いたけれども、対症療法というのは・・・「症状」という結果に「治療」という結果を被せるので、当然「原因」というのが見えてこない・・・というか、「原因」を探し出すシステム自体が無いようにも思える。

これは明らかに資本が入り込んでいるからで、「治療」というカネ喰い虫が・・・食べても食べても満足しないのだろう。

これでは、生活という営みが続く限り、資本が飼っているカネ喰い虫は永遠に人間生活に巣くうことになる。

原因不明の病をいくつも生み出してきた対症療法の医学は、まさに物質次元の・・・「欲」の次元の暗闇をさまよっているので、真実という出口が見えない。


宇宙の法則に従って、片寄りすぎたエネルギーは真ん中へ引き戻される。

どちらかに片寄ったエネルギー・・・あるいは歪にねじれたエネルギーを「穢れ」という。そしてそれを真ん中へ戻す・・・あるいは完璧な球体に戻すことを「禊祓い」という。

物質次元に、社会も人間の意識も片寄ってしまった今、宇宙は新たな次元へ向けて大きなカーブを描いているとみて間違いない。

大きなカーブを曲がったために、ガラガラと解き放たれた「シクミ」たちは、まるで瓦礫のように幾本かの川のように分かれて、それぞれの未来へ流れて行く。


今、精神世界の上層階では・・・というか、最深部というか・・・とにかく高次元の世界では、さらにその上へ、奥へ・・・と拡大が始まっている。

それで、たとえば希薄になった空間に吸い上げられるように・・・この次元の魂たちも・・・という言い方は変だが・・・高次元に上昇しようとしている。

ただ、もちろん今のままのレベルでは上昇できない・・・はず。だから魂のレベルの上昇は不可欠ということになる。

魂のレベルが上がる・・・ということは、つまり魂の器としての人間にも試練が必要だということになる。

どんな試練が用意されるのか・・・は、知らない。

もちろん、怖れることじゃなくて・・・怖れるどころか、上昇できるよろこびを感じられる・・・強さや、やさしさや、豊かさや、いさぎよさや・・・とても大切だ。

魂の思いは「良心」を通して届けられる。

ひっくり返った時代だからこそ「穢れ」のない世界から送られてくる「良心」・・・のままに生きていたい。「良心」のままに生きていれば何があっても平気だ。

・・・と、最近、強く感じる日々である。

 

2013年6月1日土曜日

仁・霊性・徳

卵子ドナーというのが始まったそうだ。エッグバンク・・・とうらしい。それを聞いて、骨髄バンクと同じような冷たいものを感じたのは何故だろう。

同時に頭をよぎったのは・・・少子化対策委員会・・・女性手帳・・・抗がん剤やホルモン剤・・・不安と希望・・・。

純粋な気持ちで働いておられる方々にトヤカク言うつもりもない。でも・・・なんとも重いものが心に残っている。

親が子を選ぶのではない。子が親を選んで産まれてくる。周囲の環境をわかった上で、その中でしか感じることが出来ないものがあるから、その親を選んで産まれてくる。

卵子ドナーの力によって産まれてくる魂は何を学ぼうとしているのだろう。魂の世界では、何が起こっているのだろうか・・・。

物質中心の文明の医学は、もちろん人間をモノとして取り扱う。ついでに「命」もモノと同じように取り扱っている・・・ような、そんな気がしているのかも・・・わたしが。


なぜ骨髄バンクと同じような・・・と言ったかというと、骨髄で血液は造られていないからだ。

昔から、食べたものは血となり肉となる・・・というように、血液は腸で造られる。腸で赤血球が造られ、全身に回って各部位の細胞へと分化する。

いろんな細胞に分化できるように、だから赤血球には核がない。

たとえば幹細胞というのは、細胞に分化途中の赤血球の姿であり・・・もともとどんな部位の細胞へも分化できるコードを持っているので、たとえ皮膚の細胞でも内臓細胞へと分化することも出来るわけだ。

たしか・・・これはips細胞につながるはずだ。

さらに、飢餓状態での細胞はもとの血液に可逆する。もとに戻るわけだ。だからこそ、断食による血液の浄化が可能で、なおかつガン細胞の消滅も説明できる。

もう60年以上も前に出された千島学説だが・・・医学界の「無視」がなければ、どれだけの悲しみや、絶望や、苦しみや・・・生み出さずに済んだことか・・・などと思ってみたりもする。

骨髄移植では、致死量を越える抗がん剤を投与する。他人の骨髄液が体内に入るので、免疫力をゼロにする必要があるためで、けれど、いったんゼロになった免疫力はもとに戻らない。

抗がん剤は、回転の速い細胞から攻撃を加える。毛根細胞、内臓の内壁細胞、血液細胞。この苦痛は・・・本人の苦痛はもちろんだが、肉体や細胞たちの苦痛も含めて、魂に残るような気がしてならない。

だいいちガン細胞は悪者ではなく、血液の危険を伝える身体からの究極のメッセンジャーなのだから。


医学は仁、宗教は霊性、政治は徳・・・の質が目安になると思う。

愛が曇った医学、霊性を失った宗教、徳が地に落ちた政治・・・へと、世の中が向かうのであれば、その下を走る断層がグラグラと揺れ動くことになるのは当然。

それが宇宙の法則なのだからしかたがない。

けれど、せめて「言霊の幸倍う」この国の・・・この国の言葉をしゃべる人たちには、医学は仁、宗教は霊性、政治は徳・・・であってほしいなぁ。

なぜ、イザナギ大神はアマテラスにだけ「ミクラタナ」を授けたのか・・・。そこには深い意味がある。

近いうちに、世界中の人々がこの国を目指してやって来る・・・だろう、その日のために。

 

2013年5月25日土曜日

見えない世界 見える世界

「食」のことを「ケ」という。「ケ」は「化」と同じで・・・昔の人は食べ物は人間に化けると感じていたのかもしれない。

たしかに食べたモノが人間を造る。食べたモノが人間になる。逆にいうと、人間は食べたものになる・・・ということでもある。

「食」を「ショク」と読むと「職」を連想してしまう。

これは・・・食べ物を得るために職業が必要・・・というよりも、「職」というものがその人間を「食」してしまう・・・かな?

いつの間にか、人間性まで「食」されてしまう人が増えたみたいだ。

こういうふうに日本語は同じ読みの場合、その言葉のもつ意味合いが重なるものが多い。ほとんどすべてと言ってもいい。

これは言霊のエネルギー・・・大自然のエネルギーに合わせたからで、これが右脳を刺激する。つまり、虫の音(ね)がどう聞こえるのか・・・ということにつながるわけだ。

もうひとつ言うと「見えない世界」と「見える世界」のつながり・・・の捉え方にも現われる。

日本には祈りの場所が多い。小さな祠や石の地蔵さんや・・・みんな含めるとたぶん世界一だと思う。数えたことはないけれど・・・。

見えない世界をいつも身近に感じていたわけで・・・これは日本語を構成する言霊のエネルギーが自然にそうさせていた・・・といえなくもない。

見えない世界のことは量子物理学などでしだいに明らかにされてきてはいるが、物質文明の側から見ているだけでは永遠に理解できない。

そらそうだ、なにしろ見えない世界なのだから。

それでも、見えない世界の側から、こちら側・・・見える世界を見れば、いろんなことがわかってしまう。何故なら「見えない世界」が先で「見える世界」が後に出来たからだ。

言い方を変えると、「見えない世界」が「見える世界」を創った・・・わけだ。

このことはとても大事なことだと思う。このことがわかれば「宇宙のたったひとつの法則」も理解できるはず。「古事記」神代記の冒頭の部分の秘密も見えてくる。

だから向こうからこっちを見れば・・・見るチカラがあればの話だが・・・なんでもよくわかるはず。

たとえば、人間の身体は見えないものが集まって見える身体を造っている。そしてその見えないものたちはみんな揺れている。振動しているわけだ。

この辺までは素粒子のことを考えればわかる。

その振動は、人間の思念・・・意志の波動とも共鳴する。脳波は「粒」・・・揺れる波なので、人間の身体の各部位の持っている特有の振動と共鳴する。響きあう。

身体の中では「ガイアシンフォニー」が響き渡っている・・・と考えてもおかしくはない。

もしこのオーケストラのどこかのパートがおかしな音を出したら?それが脳・・・思念や意識から発せられる音だったら・・・。

量子力学は見えない世界に近づいてはいるが、医学はちっとも進まない。

対症療法は・・・アロパシーは原因を探す医学ではない・・・とハッキリ書いてもいいと思う。症状を抑え込む、あるいは削除する医学だ。平気で人間の身体にメスを入れる。

自分で見なければわからない・・・見える世界だけの智恵。だから病気はなくならない。増える一方だ。つまり、ちっとも進まない。

「見えない世界」と「見える世界」のつながりがわかり始めると、間違いなく今の医学は行き詰る・・・というか、方向転換を迫られる。

あ・・・そういえば、方向転換を迫られているのは・・・医学だけではなかったっけ。数え上げればキリがない。

モノと人間の関係は、人間と神との関係によく似ている・・・と以前書いたが、物質至上の文明は・・・あるいは資本至上の文明は、人間を「モノ」の次元に貶めた・・・と言ってもいい。

人間の未来は「モノ」に近くなるのか、それとも「神」に近くなるのか・・・どちらを選ぶのか、なんていちいち考えなくてもわかっている。でも、考えていなければ気づかない。「モノ」は自分が「モノ」だと気づかないのだから。

「見えない世界」と「見える世界」の間にいつしか生まれたヒズミ。どこかのパートが違う音を出してしまった不協和音。たぶんそれは、人間の歴史の中に・・・ネガティブな波動として残っているのだろう。

これ以上、大きくしてはいけない。


 

2013年5月18日土曜日

意識の自由


どう意識するかはとても大事だ。意識が変われば未来が変わる。

・・・意識。

時間が前へ進むように人も前へ進む。いかなる場合でも前へ進む。前とは顔の向いている方向のことだ。顔がどこを向いているのか・・・目の前の出来事をどう意識するのか。その意識が未来を創る。

常識が意識を作り出すのではなく、意識が常識を作り出す。常識とはだから個人的な錯覚にすぎない。

意識が変わるキッカケのひとつに「知る」という行為がある。知ることは明らかにすること。ホントのことを知れば内なる常識が変わる。

だから情報が制限されると、当然視野が狭くなり造られた常識に操られることになる。
同時に今のままでいいと感じ、変化を・・・進化を嫌うことになりかねない。

情報を制限して常識を植えつけてしまえば人を思うように誘導できる・・・ということでもある。

世論誘導とはそういう性質を利用したもので、これには今の時代、マスメディアの責任は想像以上に重い。

人の意識が未来を創るのなら、どういう情報を提供するのか・・・は、人類の未来をも左右することにつながる。だからこそ責任と自覚は不可欠。

そういう視点で世間のマスメディアを見渡してみると・・・言葉も出ないほど荒涼としているので、それでわたしは・・・かれこれ十年ほど前から、感覚に従ってさまざまな情報を自分で辿ってきた。

まさに混沌の時代だと実感しきりである。混沌の時代とは本性の時代でもある。上っ面では生きてゆけないということだ。隠してもボロボロとこぼれ落ちる。

つい先日、政治家の器じゃないことが露呈した人がいたが、その発言に対しての各界の人々の反応の中にもボロボロとこぼれ落ちる本性が見えた。

彼はそういう役目を担っているのだろう。

政(マツリゴト)とは「マ」のつり合わせのことだ。間をつり合わせるには「徳」がなければならない。「徳」とは言霊「エ」の次元。国常立神(クニノトコタチノカミ)・・・でもある。

税金をナリワイとしているようでは、いずれにしても一度バラして建替えなければならない・・・と思う。たぶんそういうことになると思う。

いったん荒野になって・・・再生準備。さなぎから蝶へ。羽化の準備は整っている・・・かな?

わたしは、実は荒野が好きだ。目の前の荒野が、どんな未来に変化するのか・・・考えるだけでワクワクしてしまう。こんな時、少し変わっている自分で良かったと感じる。

意識を自由にすれば、元来の生成発展の本性が現われる。それは宇宙全体がそういう性質に包まれているから。宇宙とつながるということ。

目の前に伸びるのは見慣れた道ではなく、自由に選べる荒野・・・がいい。足を踏み入れたことのない荒野だからこそ、理想の未来を創造することが出来る。

2013年5月11日土曜日

常識愚民

サブタイトルの「非常識な常識人」というのは、つまり・・・「無害なバカ」ということだ。

たとえば「受験勉強」の意味は知っているけれど、その価値が理解できない・・・というような。

わたしは子供の頃から、そして今でも「点数を取るための勉強」の必要性が理解できないでいる。

知りたいことは山ほどあったので、いろんな本を読んだ。たぶん・・・けっこういろんな事を知っている子供だったろう・・・と、自分では思っている。

けれど、得た知識は点数とは関係なく、さらにそれで「点」が欲しいとは思わなかった。だから学校の成績などどうでもよかった。どうでもいいから、どうでもいい成績だったが・・・。

今でも、ちっとも理解できないので・・・やっぱり、ずっと「非常識な常識人」のままでいる。

理解できる常識人よりも、理解できない非常識人のままでいいとも思っている・・・が、なんとなく今の世相を見ながら・・・「非常識な常識人」なりに思うことがある。

やがて・・・

やがて・・・「点」をつけられることに慣れ・・・馴染んだ人間も、「点」をつける側になる。
「点」をつけるとは、人を評価するということ。
ならば、「点」がつけられない「個性」というものに、彼らはどういう採点ができる・・・だろう。

さらに・・・さまざまな問題点というのは「解決」の前に「発見」という大事な仕事がある。

「点」をとることに慣れた人間は、たしかに提示された問題に対する「解決」能力はあるかもしれない。だが、それは誰かが問題を提示してのこと。

日々の流れの中・・・日常の「常識」の中では・・・たぶん「発見」できない。「発見」できなければ、問題点は「解決」できない。

そして・・・なんとなくおかしい・・・という感覚のまま、幾枚も幾枚も「常識」が被せられて行く。


日本人には「常識」というネバネバしたものがこびりついているという。以前書いた「一般的」というものとよく似ている。

たとえば、「法律を守るのは常識」・・・という常識が、国民をとんでもない方向へ引きずり込んでしまう場合がある。

司法に属する組織は国民を守るための組織ではなく「法律」を守るための組織だ。いつも権力側から見ている。

だから、いざという時には国民にキバをむく。そんな事例などいくらでもある。

「常識」に捉われていると、その空気の変化が読めない。


野蛮人だからこそ法律が必要・・・ということを、ホントはみんな潜在的にわかっている。それで、法律を幾重にも重ねられると、心の中で・・・「自分たちは野蛮人」・・・という「無意識」が動き出す。

「法律を守っていると平和に暮らせる」・・・という「常識」が芽を出す。

どこかのコマーシャルも同じ。人としての当たり前のモラルを、わざわざTVで流す。「自分たちは、こんなこともできていないのか・・・情けない」・・・と、潜在意識に刷り込む。

これを愚民政策という。


「女性手帳」・・・なるものが出来るそうな。女性の出産行為を・・・変な言い方だが・・・管理しようというらしい。出産年齢の制限を設けよう・・・とウタってあるらしい。

ついつい・・・戦時中の「国防婦人会」を連想してしまった。政府の代表が、メイサイ服姿で戦車の上から手を振る・・・ような国だ、さもありなん・・・と。

さらに、大手メディアの沈黙に背中が寒くなってくる・・・が、この寒さが愚民にはわからない。わからないからカゼを引く。

カゼを引いて熱が出れば「常識」という解熱剤を呑む。愚民は、発熱が免疫反応ということを知らない。発熱によってカゼ菌の繁殖を抑えるカラダの智恵に気づかない。

やがて「常識」というクスリなしには生きてゆけないカラダになってしまい・・・愚民政策は大成功をおさめる。


「常識」・・・はマジメな人間を抱きこんで・・・大きな渦になって・・・やがて、暗闇の彼方で拡散し、ケシ粒となって消えてゆく。

自らの「良心」の声。「常識」よりも、ずっとずっと大事な「良心」の声。マジメな人ほど聞いてほしいと思う。

身についた「常識」を一度解体して、ホントの「天意(あい)」に気づいてほしいと思う。



2013年5月4日土曜日

神の御稜威


旧約聖書の「出エジプト記」の冒頭部分に、イスラエルの民の数が増え続けるので、エジプト人が恐怖を感じた・・・とある。

ところがいくら抑え込んでも増え続けるので、イスラエルの民を奴隷にし圧制・圧迫をかけた・・・と記されている。

この話、なんとなく・・・なんと言うか・・・いや、うまく言えないから、やめておこう。


イザナギ神が黄泉の国で見た妻イザナミ神の身体にはウジがたかっていた。ウジとは「ウ」の字で、「ウ」次元の・・・つまり物質欲に取り付かれた姿ということだろう。

そのあまりの変わりように恐れを感じて、逃げ帰るイザナギ神は追ってきた黄泉軍(よもついくさ)たちに向けて・・・「その坂本にある桃子(もものみ)三つを取りて、待ち撃てば・・・」・・・桃を三個投げつける。

イザナギ神は、この桃に「意富加牟豆美命(おほかむずみのみこと)」と名づけ・・・「人々が苦しい状況に陥ったときには助けなさい」・・と言う。

意富加牟豆美・・・とは、大いなる神の御稜威(みいづ)。

ちなみに、「三つ」とは言霊の「ヱ・ヲ・ウ」ということらしい。桃とは「百」。言霊五十音と、鏡合わせの操作方法の五十・・・合わせて百のこと。

黄泉軍(ヨモツイクサ)たちは、言霊の奥の深さ・・・その完成度に、物質次元での研究・探求だけでは到底及ばないことに気づき、恐れ入って逃げ帰ってゆく。

話は変わるが・・・。

大型小売店・・・ショッピングモールや大規模な都市計画というのは、その土地の買収や建築だけのお金が動くわけではない。

周辺の不動産や関連企業の株の値段にも大きく影響する。

つまりその計画の流れをつかんでおけば数億のお金を手にすることだって簡単なわけだ。

ところで、ビルの管理にはそれなりのお金が掛かる。維持するにも、改装・拡張するにも、はたまた解体するにもそれなりのお金が掛かる。だからお金を稼ぎ続けなければならない。

領土問題や憲法改正・・・などで、どこかに隠れてしまった・・・隠されてしまった「消費税」や「TPP」のことを考えると、前世紀のままの都市計画など早急に行き詰るような気がするのだが・・・。

3年、もつかな・・・。

不動産や株の値段が上がって・・・そのまま売り逃げすれば、いい思いが出来そうだ。

もちろん、いい思いをするのはわたしではない。ほんのひとにぎりの誰かなんだろうけれど・・・その誰かを糾弾しようなどと思っているわけではない。

ただ、わたしにはそれらがみんな「二十世紀の残像」に見えてしかたがない。残像を追いかけて、とうとう自分まで残像になってしまった・・・ような。

残像は永遠に止まった時間なので、そこに進化はない。

去年の暮れに間違いなくシフトした地球の流れは、それらをみんな置き去りにしていくだろうと思っている。それがどういう状態なのか、残念ながらわたしには見えないないが・・・。

イザナギが投げた言霊「ヱ」は、利他共生の増殖をあらわす。愛・調和・慈悲・徳・寛容・謙虚・・・。

そして・・・叡智の「え」。笑顔の「え」。それに気づいた人は、きっと幸せになれる。


2013年4月27日土曜日

マボロシの国


ホントにこの国はどうしてしまったんだろ・・・と、また感じることがあった。

マーガリンや味の素が健康に及ぼす影響について、あれだけ騒がれていたというのに・・・そのために、それらはこの国から出て東南アジアに流れていった・・・のに、今また普通に売られている。

まるで・・・過去の騒ぎなんて何もなかったような、そんな気さえする。

この国で認定された難病奇病は・・・たしか5000を越えたはで、そのすべてとは言わないが、わたしは食の質の劣化が大きな要因だと思っている。

身体の各部位と脳とをつなげる「道」がうまく繋がっていない。だから免疫機能や自己再生機能が正常に作動しない。トンチンカンな動きをしてしまう。

合成アミノ酸やトランス脂肪酸などがその原因・・・と思っている。もしくは、脳内伝達物質に何らかの影響をあたえている・・・とも。

ホルモン系統に影響を与えることはマウスなどの実験でわかっているはずで・・・それで日本から出ていったはずで・・・ホントにこの国はどうしてしまったんだろ。

その現状があまりにもアッケラカン・・・という感じなので、さらに奥へ・・・この国はホントに存在しているのか・・・という感覚にまで入り込んでしまった。

日本という国は・・・ホントはマボロシなんじゃないのか・・・と。

遠いむかし・・・少なくとも八幡の民が戻ってくるまでは、わたしはココに、今でいうところの「国家」は無かったと思っている。

それは文明が未熟だったというのではない。精神次元が高かったということだ。精神次元が高ければ「国家」という仕組みなどいらない・・・ということだ。

「大道」は、その当時・・・廃れていなかった。

やがて八幡の民を追いかけて・・・追いかけてきたのか、慕ってきたのか・・・よくはわからないが、多くの民がやって来る。それがいつの頃なのか知らないけれど・・・。

大陸における春秋戦国時代には、東方に宝の国がある・・・不老の国がある、といわれていたと聞く。

壬申の乱以降の、あの国書編纂は実に怪しい・・・いや、実に不思議。まるで唐からの「押し付け」のようだ。「国家」を無理やり押し付けられ・・・つまり属国として成立させられた・・・としたら。

日本は世界に類例を見ない、長い平和な時代が平安期と江戸期にそれぞれ200年ほど続くが・・・その平安期における平和は唐の滅亡が要因だろう。

宗主国が無くなったので、本来の高い精神性が表に現われた・・・といえないだろうか。

平安末期になって、宋との貿易によってまた・・・物質的チカラが入り込んでくる。長い平和の反動から「チカラ」の武家社会へと流れてゆき、応仁の乱へと向かうことになる。そして戦国時代。「国家」を失う。

江戸期の平和は、強力なキリシタン弾圧。それと鎖国。またもや閉鎖によって、本来の高い精神性が復活してくる。

幕末の混乱には疑問な点がいろいろあるが、とにかく西洋に合わせようとして日本らしさを捨ててしまった感がある。足軽政府に日本らしさを求めてもしょうがないが・・・。

そしてそのまま太平洋戦争へ誘導・・・終戦。再び属国。近々、植民地になるかもしれない。

さて、二度の長い平和は対外的に関係を絶った・・・のちに続いているが、歴史を振り返っても対外関係を絶ってしまってはその反動がいかに大きいかがわかる。

ヒカリとヤミを分離してしまってはいけない。

本来の高い精神性をもって、その高みから見下ろせば・・・なんて馬鹿なことをしていたんだろう・・・と、気づく時がきっと来る・・・いや、来るはず・・・来るかな?

この国は、日の出る国。「日(ヒ)」とは「霊(ヒ)」。言霊の・・・宇宙創造のエネルギーの幸倍(さちは)う国。護身のために「銃」を必要とするような、どこかの野蛮な国ではない。

世界中の人は、きっと日本が好きだと思う。そのことに、早く多くの人々が気づけば・・・いいのに。



2013年4月20日土曜日

勝ちさび・・・の果て

いまから思えば裁判員制度も、そういうことだったのか・・・ということがわかる。どこかの大学の秋入学の話や、どこかの会社の公用語が英語になる・・・という話も。ネット販売の会社が保険を始めたり・・・実にわかりやすくなった。

資本による世界統一。

政経・・・ではなく経政。政治よりも資本が前に来る。いや、上にくる。これは物質文明が極まったということだろう。

何千年も前に、「精神」ではなく「物質」による学びを求めて出ていった人々が・・・その学びの完成の報告に、この国に帰って来る・・・ということか。

時代はこの時を待っていたように急転回だが・・・大きな渦は、これから何処へ向かうのだろう。その先がよく見えない。

ひょっとすると彼らは・・・いや、彼らと言っても特定の人物や民族ではないが・・・彼らは、この国に入ると日本人の顔になり、そして日本人の顔で世界を動かそうとするかもしれない。

何故なら、かの国は世界中に悪評をフリ撒きすぎた。日本人の顔ならば世界は安心する・・・かもしれない。


古事記の中に、スサノウが高天原の田の畦を壊し、クソを撒きちらす場面がある。この田の畦とは、言霊五十音図の「田」のことだ。クソは「組素」。それぞれの言霊の組み合わせ。

つまり、宇宙の法則である言霊の仕組み・・・宇宙の理(ことわり)をバラバラにしてしまった・・・ということになる。

太陽も、地球も、人間の身体も・・・みんな宇宙の摂理・・・自然の仕組みで出来ている。

人類が、宇宙の法則から離れれば離れるほど、その反動は大きい。宇宙の持っている自然治癒の力・・・真ん中に戻そうとする力に人類は勝てない。

・・・というより、人類はその力の中でしか生きられない。


その段の最後に・・・天の服織女(はたおりめ)見驚きて、「ヒ」に陰上(ほと)を衝きて死にき・・・とある。

「ヒ」とは・・・(ホントは漢字にしたかったが変換できない)・・・「霊(ひ)」。陰上(ほと)は陰部・・・産まれ出でる場所のこと。

言霊のエネルギーが乱れてしまって、何も生み出せなくなってしまった・・・ということになる。未来が創れなくなってしまった・・・ということでもある。

そしてアマテラスは岩戸を閉じて、世界は暗闇となる・・・わけだ。

これは遠い昔に、実際に起こってしまった出来事かもしれない。エネルギーは時空のハタラキによって螺旋となるので、同じようなことを繰り返していると、再び同じような出来事が起こってしまう。


未来をどう創るのか・・・大きな渦に、答えを見出せない。


以前にも書いたが、年に二回執り行われる大祓のときに奏上される祝詞に、この状況を回避するための方法が宣られている。


「天津金木を本打ち切り末打ち断ちて 千座の置座に置足はして 天津菅麻を本刈り断ち末刈り切りて 八針に取裂きて 天津祝詞の太祝詞事を宣れ」
(あまつかなきを もとうちきり すえうちたちて ちくらのおきくらにおきたらはして あまつすがそをもとかりたち すえかりきりて やはりにとりさきて あまつのりとのふとのりとごとをのれ)


世界を変えるのは大変・・・でいて、とても簡単。人が求めるモノを変えるだけで世界は変わる。

資本は、お金の生まれない場所には興味がない。お金が生み出せない場所では生息できない。この辺に・・・なんとなくヒントがあるような気がする。



2013年4月13日土曜日

ヤミにヒカリをあてる


陰陽のハタラキは揺れを生み、波を生み、波動を生み、渦を生み、螺旋を生み・・・そのエネルギーは地球をもめぐっている。

東回りのエネルギーと西回りのエネルギーは、やがてこの国で交わって・・・交わったエネルギーは光となって闇を照らす・・・が、この「闇を照らす」とはどういう事象として現われるのだろう・・・などと考えている。

お金の世界では、今や陽のハタラキが極まってしまって・・・それでも留まる事を知らないまま、どこまでも吸引を繰り返している。陽極まって陰となるのもあと僅かな気がする。

もともと、八拳剣の判断力から生まれたシステムなので終わりが・・・行き着く場所がない。それは循環ではなく回転。螺旋での上昇は望めそうにもない。

あまりにもネガティブなエネルギーが多すぎで、間違いなく宇宙の法則に反している。宇宙の法則に反しているものは、やがて淘汰される。それが自然の摂理だ。

ところで日本は(81番)光(81)の国なので闇に光をあてるのは日本の役目なんだろうが・・・闇に光をあてるとはどういうことなんだろう。

わたしは、どうもこの国の歴史の中に何かがあるように思えてならない。隠された何か・・・忘れ去られた何か・・・。

三次元の世界である以上、闇の存在は必然だ。人間にお腹と背中があるように、光には闇が生まれる。切り離してはいけないものだ。
その切り離してはいけない闇に光があてられ、明るい場所に現われる・・・とは、真実が見出される・・・と単純に捉えてもいいのか?

確かに、政治や司法の闇が暴かれたことは事実だが・・・さらにもうすぐ医療や宗教の闇にも光があたるだろうが・・・それだけで人類は光のもとへ導かれるのだろうか。

彼らが、避難を浴び社会的に抹殺されてゆけば結局そこにまたネガティブなエネルギーは蓄積されてゆく。

数千年の間に生み出されたネガティブなエネルギーは計り知れないくらいあるだろう。そのチカラが、人類の意識の上昇を引き留めている可能性は大いにあると思う。

過去の時間の流れの中に閉じ込められたネガティブエネルギーは、きっと表に出たがっているだろう。自分たちの存在を知ってほしいに決まっている。

切り離してはいけない闇とは・・・わたしたちの先祖の生きた道・・・なのかもしれない。それはすべての人の魂の歴史でもある。そこに光をあてる。

・・・ヒカリ。

世界中に残っているネガティブエネルギーに光をあてるのが日本人の役目・・・だとしたら、なるほど納得がゆく。

日本は過去にあれほどの「無差別爆撃」を受け、二度の「原爆実験のモルモット」にされた・・・のに、こんな国に・・・いや・・・なんてお人好しで、あったかい国民性なんだろうか。

それはつまり、世界の闇に光をあてるために天が授けてくれた・・・とても尊いチカラ。


大きなチカラが、この国の尊厳を蝕もうとしている。人々の人生を我がモノにしようとしている。けれどヤミのチカラはヒカリ無くして存在しえない。

ヤミにヒカリが溶けるのではなく、ヒカリにヤミが溶けるのだ。

 

2013年4月6日土曜日

百花を知って一花を知らず


毎年、駐車場に咲くスミレ。何処からかやって来て、わずかな割れ目に根を下ろした。

少しだけ抜き取って、ここよりはちょっとはマシな場所で育てよう・・・としたことがある。けれどダメだった。

種を集めてプランターで育てようとしたことも・・・手を掛けすぎてダメになってしまった。

それ以来、ずっとそのままにしている。「ココがいい」・・・って言ってるようだ。

わたしとしては、もっと広い場所で・・・群生できるような広い場所で咲いてもらいたいけれど、彼らの気持ちは彼らにしかわからない。

そういえば、去年よりだいぶ大きくなった。また今年・・・種を拾い集めて、挑戦してみようか。今度はホッたらかしにして・・・彼らの力に任せて・・・。


アスファルトの割れ目で生きている草花は人間の目を気にしているとは思わない。だから、自分の境遇を悲しい・・・なんて思っていないだろう。彼らは「ただ生きている」。

けれど人間は不思議で、そんな彼らの存在を歌にしたりする。


花屋の店先にも綺麗な花たちが並ぶ季節になった。切花から鉢植えの苗まで・・・野菜の苗もたくさん出回っている。

いろんな品種が溢れ、色とりどりで・・・見てるだけで楽しくなる・・・というか、ついつい衝動買いをしているわたしだ。

それも・・・売れ残って、根っこもパンパンに張った・・・いわゆる瀕死寸前のものばかり。いや、ただただ生かせてあげたい・・・という思いが出てしまうのだ。

今は、去年買った「瀕死状態のハイビスカス」が気にかかっている。蘇ってほしい・・・。


花を育てながら思うのは・・・先のスミレの話しにも書いたが、手を掛けすぎてはいけない・・・ということだ。

この花はこう、この野菜はこう・・・と、いろんな知識が頭の中に詰っていても、結局はその植物の持っているチカラこそが最も頼りになる味方・・・なわけだ。

福岡翁のコトバを・・・ふと思い出す。


「人間は自然を壊せても、自然をつくることはできない。子供が玩具をいじって壊すようなものである。
人間の知恵は、いつも分別に出発してつくられる。したがって人知は分解された自然の近視的局部的把握でしかない。自然の全体そのものを知ることはできないで、不完全な自然の模造品を造ってみて、自然がわかってきたと錯覚しているにしかすぎない」

「人間は、本当に知っているのではないということを知ればよい。人知が不可知の知であることを知れば、分別知がいやになるはずである。分別を放棄すれば、無分別の知が自ずから湧く。知ろう、わかろうなどと考えなければわかるときがくる。
緑と赤を分ければ、その瞬間から真の緑や赤は消える。天地を分別すれば、天地はわからないものになる。
天地を知るためには、天地を分けず、一体としてみるしかない。天と人の融合である。
統一、合体するためには、天地に相対する人間を捨てる、自己滅却以外に方法はない」

                        福岡正信「わら一本の革命」より抜粋


 

2013年3月30日土曜日

平均的

法治国家とは野蛮な人々が統治する国のことだ。野蛮な人々だからこそ法律がいる・・・とは、ただの理屈・・・か?

テレビを見るのがイヤになったのはいつ頃からだろう。画面に現われる人々の・・・なんというか、ある種類の人々の顔を見ると、背中がゾッとするのだ。なんとも不思議な話だが・・・。

それよりも、草花を見ている方が気持ちがいい。梅も桜も清々しくて・・・それから空を眺めるのもいい。人間が造ってきたモノではなく、大自然の造形の中に安らぎを感じる。

あの引き込まれるような・・・溶けるような感覚が好きだ。そういう意味では、わたしは変わってるのだろう。間違いなく平均的な人間・・・ではない。

ところで、この平均的・・・という比較の仕方は、どこから取り入れたのだろう。古来から日本にあったのだろうか。

人は神の生き宮・・・という考え方がこの国には存在していたはずで・・・人を平均的でくくってしまうことは、神の個性をも削ぎとってしまうことになる。

一人ひとりが神・・・なのだから、互いに認め合い尊重し合いながら暮らしてきたはずだ。

そう考えると、やはり外からやってきた・・・人間比較の考え方なのだろう。

平均的という基準に当てはめると、その人物の顔が消えてしまう。顔が消えるということは、その存在をも消えてしまうことになるかもしれない。

おまけに平均的・・・からはみ出せば削除できるので、国民の管理がしやすくなる。

それでいて平均的な暮らし・・・という響きは、なんとなく平和で幸せ・・・をかもし出す。それは、ひとつの安心感かもしれない。

けれど、顔を失うことで安心感を得るなんて、やっぱり変だ。自らの顔を失うということは、産まれてきた意味までも失うことになる。

世間では顔を失った・・・その世界では名の通った人々がいるけれど、オゾマシイとしか感じない。あるいは、オキノドク。

自らの顔を削り取ることは、神の顔をも削り取ること。魂を削り取ることでもある。

魂を傷つけてはいけない。

平均的という安易なモノの見方・・・安易な価値の認識は、個性を排除し自己の発見をも妨げてしまう。

この国では若者の自死が増えているという。自己の発見を妨げる平均的な社会は、その事実に何らかの加担を・・・してはいないだろうか。


2013年3月23日土曜日

何の根拠もないけれど

白村江の戦いから壬申の乱・・・のあたりの日本は、実に激動の時代だったと思う。多くの変化を生み、また多くの謎を残した。

この時代にのみ「天」とつく天皇が二人存在する。これも妙な話のひとつだ・・・とわたしは思っている。が、そのことについては今は書かない。

この時代を経て、日本は国書の編纂を始める。

それまでは国書を必要としなかった・・・のか、それともこの時期を経て何かが・・・外交上の大きな変化が生まれたのか。

普通に考えると、唐の存在を意識して国家の体裁が必要だった・・・となるだろう。

たとえそうだとしても・・・その国書の中に言霊の仕組みが、それも隠すように埋め込まれていることは、なんとも大きな謎で・・・同時に、大切な歴史的変遷を物語っているように思う。

言霊の仕組みを未来の人々に・・・残さなければならず、なおかつ当時の何者かの目から、隠さなければならず・・・。

それだけで、想像以上に巨大な力が押し寄せてきたことを感じてしまう。


日本には、漢字導入以前に文字があった・・・とわたしは信じている。いわゆる「神代文字」だ。さらに、その神代文字からカナ文字が生まれた・・・あるいは、カタカムナ図象からカナ文字は生まれたのか・・・とも思っている。

いずれにしても漢字導入以前・・・恐らく、はるか昔には文字が生まれていたと思える。言霊の国だ。そう考える方が自然だろう。

それなのに何故、漢文として国書を編纂したのか。日本固有の文字でないのは何故か。唐の存在の大きさ・・・ということか。

神代文字は一語一文字。ひとつひとつの音が、ひとつひとつの宇宙を持つのだ。

そのそれぞれの宇宙を漢文に織り交ぜながら古事記はまとめられた。並大抵の感覚ではないことがよくわかる。素晴らしい快挙。

現在の日本語表記をみると、大陸から渡ってきた漢字を実にタクミに取り入れているのがわかる。同じ発音でも漢字の違いでその意味が理解できる。

こういう表記が他国にあるのかどうなのか門外漢のわたしにはよく分からないが、現在の日本語表記になるために古事記の存在は大きかったとも思う。


当時はまさに国難の時代だったはず。大国の唐がすぐそこまで押し寄せてくる。百済からは多くの人々が逃れてきただろう。

都を近江に移したことがそれを物語っている。摂津の海岸線は、神戸から難波あたりまで避難民で溢れかえっていたのではないだろうか。


ふと・・・


TPP後の日本の未来をイメージしてしまう。世界中から集まってきた移民たちや、職を失った日本人たちが・・・巷に溢れかえっている。

巨大な力に為すすべも無く、この国の指導者たちは大きな波に呑まれてゆく。


ひょっとすると・・・いや、まったくの想像だが・・・その昔、この国には国家という体裁が無かったのではないだろうか。

「倭人」・・・「和」の人々。

国家という体裁を必要とせず、ただそこに大きな「御柱」のみが聳え立ち・・・人々はその「御柱」の下に集い、分かち合い、つり合いながら暮らしていた。独裁者も支配者もいない。

漢の時代、「倭人」と呼ばれる民は朝鮮半島からベトナムの辺りまでの海洋民族の総称・・・だった、と何かの書で読んだことがある。


政府が無くなっても、この国は無くならない。日本語が存在するかぎり日本国は無くならない。何故なら、言霊の仕組みは大自然の仕組み・・・大宇宙の仕組み・・・人のこころの仕組みだから。

唐の巨大な力をその深い懐で受け止めたように、今回の国難も・・・すぅ~っと呑み込んで、新しい未来に変えてしまうような・・・まったく何の根拠もないけれど、あたたかい思いが胸の中に吹く。

人間が、ホントに必要なものに気がつけば、そしてそれを求める生き方に向かえば・・・資本主義など、煙のように消えてしまう。言霊の仕組みは、そこへ向かう大きなエネルギー。これが一厘の仕組み・・・なのかも。


2013年3月16日土曜日

酒呑童子


酒呑童子というオニが丹波にいたという。

丹波は「タニハ」で、田の庭。「田」とはその形状から言霊五十音図の例えとして度々出てくる。
田の庭は、言霊の庭・・・とも読める。
田とは命の糧を生み出す場所。エネルギーを生み出す場所・・・という意味にとれなくもない。
そういう国だからこそ酒呑童子というオニがいた・・・のなら、それはそれで納得がいくような気もする。

酒呑童子を倒したといわれる源頼光は藤原道長と同時代の人だ。だから酒呑童子もその時代なのか・・・というと、わたしはそうは思わない。もう少し前の時代ではないか・・・。

いや、実際にオニがいた・・・というのではない。後の世に酒呑童子という名のオニにされてしまう何者か・・・あるいは人たちという意味でだ。

道長と同じ時代ならば、たとえば紫式部日記などに何かそれらしきものが見えても不思議ではない。式部日記には宮中に盗賊が押し入ってくる場面は出てくるが、オニが都で暴れている・・・などという記述はない。

源頼光と彼の四天王が酒呑童子を倒すのは、ずっと後の人々が作ったのだと思う。話としてはおもしろい。武家社会が始まってしばらくして創作されたのだろう。

酒呑童子とは、体制から逸脱した人々のことだとわたしは思っている。朝廷の体制に従わず、別な自治力をもって多くの人々に慕われる「理想郷」・・・を建設しようとしていた。

市場原理のシステムとはまったく違う、ひょっとすると縄文時代のシステムを・・・カタカムナの科学を操っていたのかもしれない。

その「理想郷」の存在を知った若者たちが、荒んだ都から集まってきた。そういう状況を、オニに連れ去られた・・・と形を変えたのだと思う。

都からすれば実に疎ましい存在だったろう。

時代を推測すると・・・平城京から平安京への過渡期か、それとも平安京のごく初期か・・・。

遷都するというとは、その場所では良くない何かがあったということだ。
マツロワヌ人々が、戦闘的であっても非戦闘的であっても、少なからず存在したと見てもおかしくはない。国家を安定させるために都を移した。

カタカムナのような、高い精神性を中心とした科学は、どんなにその技術や知識が高くても戦いのためには使えない。智恵を使って、時の体制のスキをつきながら生き延びることしかできない。酒呑童子は確か・・・騙されて酒をのんで討ち取られる。

酒呑童子は時のシステムから外れて理想郷を造った。物質文明でのシステムだ。今とそんなに変わらない。基本は縦の支配。

酒呑童子は横のシステムを使って、誰も飢えることなく、誰も絶望することなく、ひとつの社会を造っていったのだと思う。それは究極の自由。ホントの自由な社会。

今や人類は「オ」「ア」を方便とする「ウ」次元の力が極まってしまった。とても姑息で狡賢くて、普通の智恵では手に負えない。

けれど、古来より伝わる大祓祝詞の中に、実に見事にこの極難を乗り越えるヒントが宣られている。

「天津金木を本打ち切り末打ち断ちて 千座の置座に置足はして 天津菅麻を本刈り断ち末刈り切りて 八針に取裂きて 天津祝詞の太祝詞事を宣れ」
(あまつかなきを もとうちきり すえうちたちて ちくらのおきくらにおきたらはして あまつすがそをもとかりたち すえかりきりて やはりにとりさきて あまつのりとのふとのりとごとをのれ)

簡単に言うと「天津金木」とは現代のシステム。人の考え方と言ってもいい。それをバラバラにして、天津太祝詞を宣れ・・・と言っている。システムをバラバラにして作り直せということだ。

酒呑童子は「ウ」の次元から見ていたのではなく「イ」「エ」の次元から世界を見ていた。

「イ」を経て「エ」の世界から見ると、全部が透けて見えるので闇は光に溶ける。
透き通って、すべてを見通す世界から酒呑童子は手招きをする。
「こっちから見てみろよ 何が必要で何が不必要か・・・一目瞭然だぜ」

 

2013年3月9日土曜日

「八」の混沌世界

「食べる」・・・番組の多さは、食の価値を貶めているようにしか思えない。あまりに多いので、見ているだけで気分が悪くなる。

食べ物というのは、つまり「いのち」なので、あれだけ見せられると「いのち」の価値まで下がってしまう。

食べ物の数や種類は必要以上に溢れ、その分、捨てられる食べ物の量もハンパではない。食べることは、食べられること・・・まさに人は何モノかに食べられてしまったように思える。

欲望には底がない。食欲も性欲も・・・だからお金になる。

物質文明では、お金がなければ生活が成り立たないのはわかるが、それと引き換えに何を手放したのか・・・。

手放したモノが未来に必要なものなら、即刻、取り戻す努力をしなければならない。もう、あまり時間がない・・・と思える。何の根拠もないけれど・・・。


話は変わるが、ある女子高生のニュースが流れた。いつかアナウンサーになって、地域に貢献したい・・・という。

わたしは、台本を読むのがアナウンサーの仕事・・・言いたいことを言えない仕事・・・だと思っているので・・・複雑な思いでそのニュースを聞いていた。

そういえば、いつの間にか「トランス脂肪酸」とか「合成アミノ酸」などの話しが聞かれなくなった。商品名に堂々と・・・「マーガリン」・・・とつけられているものまで登場している。

ほんとうにどうなってしまったんだろう・・・この国は。


以前・・・西洋は「八」の判断力。東洋は「九」の判断力。そして、日本は「十」の判断力と書いた。

「八」の判断力とは、「ア」と「ワ」を除いた間の「八」文字・・・この部分だけの判断力。この部分は、具象化していくエネルギーなので、ここだけが勝手に動き回ると「出発点」も「帰着点」も見失って・・・収集がつかなくなる。

物質至上の文明は、この部分のエネルギーによってココまできたのだろう。産業革命は西洋で生まれた。

「九」の判断力とは・・・「ワ」を除いた「ア」から「ラ」までの判断力のこと。
向こう岸の「ワ」がないので、答えにたどり着けない。出口のない迷路のような、答えを見出せない不完全な判断力といえる。

主だった宗教はみんな東洋で生まれた。

「十」の判断力とは「ア」から「ワ」までの十音全部を踏まえた判断力ということ。人の在り方と人を動かすチカラを踏まえた判断力。十拳剣(トツカノツルギ)

酸性、アルカリ性・・・と分けると、中性。中つ国。中庸の国・・・ということ。どちらにも片寄らず、どちらをも抱いたチカラ・・・でもある。

ちなみに、神社の鳥居は・・・十の理(ことわり)・・・十理(トリ)を表している。他には、「金の鶏」の言い伝えなど・・・これは十理(トリ)・・・言霊のことだろう。


日本の人々はその昔・・・「十」の完全な判断力を有していた。

江戸時代、一般庶民の識字力の高さはアングロサクソンを驚かせた。ゴミひとつ落ちていない町並み。

神社の神聖さは、今でも他国の聖域とは比べ物にならないほど清らかだという。

なのに・・・何だろう、この現状は。GHQの政策が仕上げとなって、とうとうこの国の国民も何者かのシモベとなったのだろうか。


今、北朝鮮を孤立させることは、戦前の日本が孤立させられたことと・・・同じじゃないだろうか。そのことが一番判るのはこの国だろう。

中国や韓国も・・・国民レベルで手をつなぎ合うことが出来ないだろうか。

遠い昔、この国は朝鮮と手を携えて国づくりをしてきた。なぜ日本が「朝廷」・・・と呼んだのか、少し「常識」から離れて考えてみればいい。

中国からも多くの文化を輸入した・・・と学者は言っているじゃないか。


・・・あ、食の話しから、とんでもない方向へ流れてしまった。

いつのまにか「八」の世界に姿を変えた・・・この国の混沌が、じわじわと表面に浮かび上がってくる・・・日々。

これも宇宙の・・・神の計らいなのかと思ってみる・・・が、答えは、時間と次元の向こうにしかない。

2013年3月2日土曜日

未来予想


人間は一個の惑星を破壊出来るほどの核兵器を造り出した。たとえ破壊出来なくてもその軌道を変えることぐらいは出来るかもしれない。一個の惑星が軌道を変えて動き出すことの、全宇宙への影響は計り知れない。

人間の暴走は宇宙の存在をも危険に陥れてしまう。そんな人間と宇宙の関係は、ガンと人間の関係とよく似ている。ガンの暴走は人間の命を危険に陥れる。

宇宙のガン細胞となった人間の未来はどうなるのだろう。宇宙の法則を刺激し始めた人間という細胞に対して、宇宙は知らぬ顔はできない。

宇宙が何らかの処置をとるとしたら・・・さて、宇宙は人類に対してどういう処置をとるのか。

人間のレベルで考えると・・・現代医学での処置・・・アロパシーでの処置が行なわれる・・・と予想してしまう。つまり、人類が50年も60年も同じことを繰り返している処方(削除・焼却・薬物)で、ガン細胞としての人類を処理してしまうこと・・・がすぐに頭に浮かんでくる。

アロパシーという医学が宇宙の仕組み・・・法則に沿っているのなら、宇宙はそのように人類を処理すると思える・・・もし宇宙がアロパシーを選んだのなら、俗に言う「天罰」のような未来が訪れることになる。

人間がガン細胞に対して「天罰」を下して・・・今度は人間が宇宙から「天罰」を受ける・・・ということか。どっかの映画のようなストーリーだ。大衆的で、なかなかおもしろい。

不安を煽る社会システムと符号する結末だ。

けれど、宇宙はアロパシーを選ばない。対症療法というのは分離・分断による治療法なので、宇宙の本質に合いそうにも無い。

だいいち、宇宙はガンの正体を知っている。ガンは免疫反応なので、人間が宇宙のガン細胞だとすると、人間は無意識のうちに宇宙に対して警告を発している・・・ということになる。

宇宙や自然には当然のように自然治癒力が備わっている。人間が宇宙に対して送っている無意識のSOSは、宇宙が治癒へ向けて大きく舵を切るための信号となる。

自然治癒力とは、宇宙の生成発展の姿の投影でもあると思う。すべては生成発展するように出来ている。

自然治癒力とは、だから宇宙の法則でもある。片寄ったエネルギーの流れを真ん中に・・・中性に戻そうとするハタラキ。

ちなみに、自然治癒力を喚起させる医学をホメオパシーというが、ホメオパシーを知ることは宇宙の法則に触れることとなる。

ということは・・・ホメオパシーを知ることは、宇宙が人類に対して行なう処方を知ることになりはしないか。

それはつまり、人類の未来に起こる出来事・・・と言えなくもない。

ホメオパシーでは、レメディの服用によって自然治癒力の喚起・・・身体が忘れかけていた自然治癒システムの記憶を思い出すように働きかける。

宇宙に無駄なものが何ひとつ無いように、人間の身体の中にも無駄なものは何処にも無い。ただちょっとバランスを崩しているだけだ。それぞれの部位が、それぞれの仕事を・・・忘れてしまったのか、やる気をなくしたのは知らないけれど・・・出来なくなっただけなのだ。

レメディはそのことを思いださてくれるのかもしれない。「あ、自分は必要な存在だったんだ」・・・と、気づかせてくれるのかもしれない。

それでは・・・ガン細胞に姿を変えた人間に対して宇宙が取るホメオパシー的処置とは。そして、その処置の後、人類はどうなるのか。

たとえば、ホメオパシーによって癒され、治癒したガン細胞は・・・消えてしまうのか・・・それとも体外に排出されるのか・・・はっきりとはわからない。

千島学説から推察すると、ガンが治癒するとは・・・ガン細胞が血液に可逆する(戻る)か、あるいは正常な細胞に戻るか・・・ということになると思う。

血液に還るということは・・・地球の大地に還る・・・ということか。あるいは、人間が人間であることに気がつく・・・宇宙の一部ということに・・・大きな命の中で生かされている・・・ということに気がつくということか。

そこには・・・「原子転換」・・・もあるかもしれない。人類の「原子転換」?・・・興味津々。

やっぱり、ここでも自覚と自立・・・かな。霊長としての自覚、霊止(ヒト)としての自立。

グローバリズムは、なんでもかんでもマッタイラに均そうとするけれど、自覚と自立が生まれれば、デコボコなまま調和できる。

調和こそ宇宙が望む未来。もうひとつ上の調和へ向けて、無事に自然治癒の波に乗れますように。

  

2013年2月23日土曜日

ひとつの命の中で

光と闇のことを考えている。たしかに、光は闇ではないし、闇も光ではないので別々な存在だと考えてもかまわないのかもしれない。

光と闇を結ぶ一本のチューブの中を歩いていると・・・。

光に向かえば一歩ごとに明るくなってゆくが、背中は暗い闇。逆に闇に向かえば、一歩ごとに闇が深くなってゆくが背中は光となる。

つまりこれが分離なのか・・・も。

光と闇は、神と悪魔・・・と、世間では比喩されるが・・・それでは、光と闇は互いに背を向け合っているのか、それとも合い対して睨み合っているのか・・・。

このままでは永遠に・・・光と闇は、和解できそうにない。

光と闇の分離は、「ア」と「ワ」が二つに分かれた部分に相当する。陰と陽に分離した・・・ということだ。

つまり「自我」が生まれて、その「自我」を見ているもうひとりの自分・・・と言ってもいい。「ア」は「吾」。「ワ」は「我」。あなたとわたし。主体と客体。

「ア」と「ワ」は「ウ」から生まれる。「ウ」とは・・・「うずく」「うごめく」「うまれる」などなど、得体の知れない思い。その思いが「うず」のように心に広がって、やがて「あっ!! そういうことか」・・・と気がつく。

気がつく・・・ということは「自我」が生まれた、ということ。だから「ア」と「ワ」。

古事記でいうと・・・「ウ」はアメノミナカヌシノカミ。「ア」はタカミムスビノカミ。「ワ」はカミムスビノカミ・・・ということになる。

それでは、「ア」と「ワ」を生んだ「ウ」は、どこにいたのか。どこで「うずき」「うごめき」「うまれ」たのか・・・というと、そこは「ス」の世界。

「ス」・・・「素」。「ス」の世界には何もない。「空(くう)」の世界。

何もない・・・ことは、なんでもある・・・ということだ。やがてすべてを、そこから生み出すのだから、つまりそこには何でもある・・・わけだ。そういう世界を「空(くう)」という。

さて・・・永遠に和解できそうにない光と闇は「ア」と「ワ」。光と闇は元々ひとつの存在だった。

神と悪魔は元々ひとつだった・・・が、その「ひとつ」が語られない。語られない以上、やっぱり光と闇は永遠に和解できない・・・ということだ。

言霊の世界は、その「ひとつ」を表すことができる。おまけにその「ひとつ」が生まれた「空(くう)」の存在も語ることができる。

宇宙という、ひとつの命の中でいつまでも和解できないことは、ちょっと悲しい。

「空(くう)」の世界に満ちているエネルギーを循環させれば、つまらない利権や私欲など消し飛んでしまう・・・というのに。

それとも・・・宇宙は、より高い精神性、人間性を求めていて・・・精神性・人間性とは、意識の波動のことだ。

人間が不要なものを排便するように、宇宙も意識波動の低い不要な生命体を・・・排便してしまう・・・準備をしているのかもしれない。

できれば・・・宇宙の細胞のひとつでありた。ウンコには・・・あ!!

「ウ」・・・なるほど、それで「ウンコ」か・・・いやいや、ウンコの言霊解説はやめておこう。

2013年2月16日土曜日

自覚と自立が必要なワケ

・・・ここに千引きの石(いわ)をその黄泉比良坂(よもつひらさか)に引き塞(さ)へて、その石(いわ)を中に置きて、各(おのおの)対(むか)ひ立ちて、事戸(ことど)を渡す時・・・

イザナミ神は「一日に千人、絞(くび)り殺さむ」と言い。それに対してイザナギ神は「一日に千五百の産屋を立てむ」と言うが・・・これは人間を「絞(くび)り殺さむ」と言っているのではなくて、「真のコトバ」を奪う・・・と言っているのだ。

「一日に千の真のコトバを偽のコトバにしてやる」「それならば一日に千五百の真のコトバを生み出そう」・・・と言い合っているわけだ。

日本語は上古代の人々が、その事象の持つエネルギーをそのままにコトバにした言語だ。だから、言葉のひとつひとつに、その事象の真を感じ取ることが出来る。

物にも、自然にも、こころにも・・。だから、真のコトバは誤魔化せない。

コトバは言霊というエネルギーを放つ。真であろうと偽であろうと、エネルギーを放つことに違いはない。ただ、そのハタラキが違うだけだ。

ハタラキが変われば神の名が変わるように、引き寄せるモノも変わる。

たとえば・・・シオニストが行なっているといわれる「3S政策」などは、真と偽を見分ける力を削ぐ政策なのだろう。

何かおかしいなぁ・・・というストレスが溜まっても、スポーツや映画やセックスで発散させ、どこかに消えてしまう。いったん消えてしまっても、翌日になればまたストレスを溜めに出かけて行く。

肉体や心を病むほどのストレスを生み出す社会システム自体が間違っている・・・ことに気がつかなくて・・・見分けがつかなくて・・・いつのまにか其処から逃れることも出来なくなってしまう。

それが当然のこと・・・になって、世の中にはストレス解消のビジネスが広がる。

それが、いいことなのか、よくないことなのか・・・どっちにしても進化するためにはストレスが必要なので・・・と思ってみたりもするが・・・。

ストレスをちょっとづつ落としていって・・・その落としたストレスがどこかへ流れていって・・・流れたストレスがとんでもなく積もり積もって・・・とうとう地球がこんなことになってしまった・・・のかも。

いやいや、そういう話しではなく、真と偽を見分けるには・・・というのを考えてたわけで・・・話しが反れてしまった。

民主主義は多数決によって・・・決めるというが、この多数決というは数の力のこと。民主主義というのに・・・どこかおかしい。力を持たなければ役に立たない。

だから、民主主義は平等じゃない・・・という「平等」というコトバも、どこか変だ。何か足りない。

人はそれぞれに、食べる量が違うし好みも違う。鼻は耳の仕事が苦手なように・・・おしりはおなかの仕事が出来ない。

それで、それぞれの言い分を主張し始めると争いが起こる・・・それじゃ平和的解決にはならない、という平和・・・というコトバも変だ。片寄っている。

平和というコトバの中には「力の下に集まれ」・・・という空気を感じてしまう。わたしが変なのか?

人間は・・・平等とか平和を目指しているのか?ほんとに・・・などと思ってしまう。

人間は、平和とか平等とか・・・そんなあたりまえのことを目指してるのじゃなくて、ほんとのほんとは「調和」を目指しているのだろう。

「調和」して、みんなでいっしょに上昇したいのだろう。

いろいろな国・・・人々が調和するために力はいらない。他を認め、自分を認める広さが必要だ。他のために生きる勇気もいる。

何よりも「真」がなくてはならない。日本古来の言霊はそのことを、この時代に生きるわたしたちに伝えてくれる。

ところが、絞(くび)り殺された人には、真のコトバが発せられない。

何故、絞(くび)り殺されるのか・・・というと、たぶん何かに依存しているからだろう。自分の外の「カミ」にすがりつくために、重い荷物をいっぱい身につけているのだと思う。

「カミ」は外にいるのじゃなく内にいる・・・というのに。

さらに、余計なモノをいっぱい身につけているくせに、その中に自分の答えが見当たらない。見当たらないはずだ・・・絞(くび)り殺された時から、ココに自分はいないのだから。

自分も、自分の「カミ」も見失うということは、主体(あおうえい)と客体(わをうゑゐ)の両方を見失うことでもある。出発点も帰着点も見失うことだ。

そうなると、創造意志の「イ」段の言霊たちが右往左往してしまう。だから答えに辿り着けない。

それでも、人が人として自覚し、自立へ動き出すと・・・不思議に真のコトバが見え出してくる。ということは、偽のコトバも見分けることが出来る・・・ということだ。

それをたぶん・・・サニワというのだろう。

人が人として自覚する・・・というのは、主体(あおうえい)と客体(わをうゑゐ)が定まってくる・・・ということだと思う。五十音図での左右の枠・・・この神を和久産巣日(わくむすひ)神という。

この神の子が豊宇気毘売(とようけひめ)神・・・伊勢外宮の祭神・・・であり創造八神(ち・い・き・み・し・り・ひ・に)ということだ。具象化してゆくエネルギー。

未来を創ってゆくには・・・いまこそ自覚と自立が必要なのだ。



2013年2月9日土曜日

「物」を大切にするということ

仕組みとしては、人間は本来「物」の気持ちがわかるように出来ている。何故かというと、「物」にとっての神は人間だからだ。

自分が神に望むものは何なのか・・・どんな神なら信じ、敬い、従えるのか・・・を考えればいい。この神のためならがんばれる・・・とか。

人間が神にお願いすることを、「物」も思っている。

だから、「物」を慈しみ、大切にすることは、「物」が人間の思いに応えてくれることにつながる。身の回りの「物」について照らし合わせてみればよくわかると思う。

大切な「物」、そうでない「物」、忘れ去られた「物」、邪魔な「物」。みんなその通りになっていると思う。

「物」は、大切にされることを・・・愛されること願っているんだろう。愛されるからこそ、神に利用されることに喜びを感じるのだろう。

そういうふうに見てゆくと、消費経済社会は「物」にとっては恐怖社会・・・かもしれない。人間社会との相似象になっている。


人間が「物」を捨てるように神も人間を捨てるときがあるが、ただ、ゴミとして捨てることはない。いらない人間は、一人もいないからだ。

その死にすら意味があることを神は知っている。そこが神と人間の次元の違うところだ。

ゴミを出し続ける限り人間は神の領域には入れないだろう・・・だから、たぶん・・・高次元の宇宙人の仲間には入れないってことだ。

・・・ざんねん。


人間は「物」をゴミにしてしまうが、とうとう手に負えないゴミまで作り上げてしまった。

手に負えないゴミをさらに作りつづけていくことは・・・順番から言うと、人間自身が神にとっての「手に負えないゴミ」・・・ということになる日がくる・・・いや、もう来ているかもしれない。

神とは「ハタラキ」のことだ。

大宇宙の「ハタラキ」に異変が生じようものなら、神の存在・・・その維持に大きく支障をきたす。宇宙の存在をも危うくしかねない。

そんなことをする人間を、大宇宙の「ハタラキ」・・・神が放っておくはずがない。人間が「物」をゴミ処理するように、神も人間を処理するだろう。

地球がかつて地上には不必要になった資源(地下資源)を地下に埋め込んだように、不必要になった人間を、みんな地下に埋め込んでしまうかもしれない。

ちょうど、人間が放射性物質を地下に埋没させようとするのと同じだ。

・・・おそろしい。


古来、日本の職人は「道具(物)」を我が身と同じように大切にしてきた。西洋での道具と人間との関わり方と少し違う。道具をまるで生き物ののように扱ってきた。

同時に、作業場や家の中にはいたるところに神が宿る場所がある。

「道具(物)」「人間」「神」・・・その関係を大切にし合いながら、この国は歩んできたような気がする。それはまさしく高い精神性を、伝統として維持してきたということだ。

「神かかり」という言葉があるが、「物」を大切にすることによって、「物」が喜び。喜んだ「物」が人間に尽くし・・・「物」の純粋な思いに人間という神がかかり・・・「物」と人間の響き合いが、さらに高次元の・・・人間にとっての神を呼び・・・神が人間にかかる。

出来上がった作品の素晴らしさに、人間は神を感じ感謝する・・・そして、神かかりの連鎖が果てしない上昇を生み出してゆく・・・。

「物」を大切にするという・・・小さな小さな行為は、つまり壮大な絵巻物のように・・・永遠に、神かかりの響き合いの中で、未来が広がってゆく・・・ことにつながっているのではないか。

「物」を大切にすることは未来を大切にすることといえる。



2013年2月3日日曜日

かぐや姫考


かぐや姫は竹の中から生まれた。

竹とは松竹梅の真ん中。中性をあらわす。松は陰。梅は陽。アルカリ性と酸性・・・でもある。
日本に一番多いのは竹・・・だそうだ。もしそうなら、この国はまさしく中庸の国。

ところで、ケガレとは偏りが生み出す。どこかに何かが付着しているのでうまく回転できない・・・つまり、循環できない状態のことだ。だから「気」が枯れる。それをケガレという。

その付着した何かを削ぎ落とすことをミソギ。ミソギをして回転を正常にもどして・・・浄化。

かぐや姫は真ん中の・・・浄化された状態を暗示しているように思う。
そこは十拳剣の判断力によって護られた精神世界・・・かもしれない。あるいは、純粋無垢な赤ちゃんの世界。

かぐや姫に言い寄ってくる五人の男たちは五官感覚の「ウ」・・・物質次元を表しているのかも。

かぐや姫の所望したモノ・・・といえば、仏の御石の鉢・蓬莱の玉の枝・火鼠の裘・龍の首の珠・燕の産んだ子安貝。

これらはおそらく自然界の見えない仕組みを象徴したもので、物質として作り出すことが出来ないのだろう。人間にはそのハタラキを利用することしか出来ない。

最後には帝まで現われ、かぐや姫を屈強な兵士たちに護らせる・・・が姫を迎えにやってきた、次元の違う月の使者たちに対してこの世の武器は何の役にもたたない。

この時、闘おうとしたのは帝の兵士たちの方で、月の使者たちは何もしなかった。帝の兵士たちは自ら自滅するのだが、このことはけっこう大事なことのように思う。

先に書いた、純粋無垢な中庸の世界観・・・これにはいかなる物質文明も歯が立たない。

月に向かう前に、かぐや姫は帝へ宛ててフミをしたためるが・・・はたして帝は、かぐや姫のフミを解読できたのだろうか。


2013年1月26日土曜日

ある島の言い伝え


世界がまだ泥のように混沌としていたころ
その泥の中から最初に動き出したのが龍であった

秩序といえるものなど何も無く
龍たちは情動のおもむくがままに暴れまわっていた

あるものは炎を吐き あるものは嵐を呼び
「世界」は喧騒と怒号にあふれていた

やがて・・・砂浜の砂粒の数ほどの
気の遠くなるような月日が過ぎ去り

生き残ったわずかばかりの龍たちは
それでも争いを止める気配も見せずに
傷つき疲弊した体でにらみ合っていた

しかし すでにそのころ海の中では
新しい生命(イノチ)が生まれていた
妖精である

さらに・・・砂浜の砂粒の数ほどの
気の遠くなるような月日が過ぎ去り

海から陸にあがってきた妖精は
不思議な歌を龍たちに聞かせることができた

年老いても
いっこうに静まる気配を見せない龍たちだったが

その歌を聞いたとたん
またたくまに深い眠りに落ちていった

龍が深い眠りに落ちて・・・
砂浜の砂粒の数ほどの月日が過ぎ去り

ようやくこの島が生まれた

そしてこの島の中央に高くそびえる山には
荒々しい龍が未だに眠りつづけているという

深い眠りの中で
夢を見続けているという

どんな夢なのか
いつ目覚めるのか・・・だれも知らない


2013年1月19日土曜日

自己表現へ

50兆円で米国債を買うという。50兆円あれば・・・移住希望者や自主避難者への補助・・・どれだけ多くの希望が生まれるだろう。

かたや大阪では、試験中止や職員解任・・・などなど。知事時代の自らの体罰容認発言は何だったのか。まさか・・・あの頃から計画された、命を利用した教育現場への政治介入・・・?

さてさて、この人たちは何処へ向かってるのか・・・。そっちの道は行き止まり。まさに時代のウナリ・・・。


話しは変わるが、自己実現の世から自己表現の世へ変わる・・・と、カタカムナのヒラメキとして知っていた。けれど正直言って、自己実現と自己表現の違いがよくわからなかった。

イメージしたことが現実となる・・・とは、夢を表現することであり実現することだろう。表現するからこそ実現するのだろう・・・と、明確な違いをうまく理解できないでいた。

その疑問が、ある事実を知って氷解した。なおかつ、その変化が劇的な上昇をもたらす・・・かもしれないことを知った。


古事記は人間の精神構造を言霊の原理にもとづいて解き明かしているが、日本書紀は古事記の解き明かした精神構造をさらに一歩進め、日本民族の使命遂行の方法を解き明かしている・・・というのだ。

古事記で解き明かされる先天十七神(具象化する以前の、潜象世界で動く言霊)は・・・「ウ」から始まり、「ア・ワ」と生まれ、「オ・エ」「ヲ・ヱ」と広がり、「チ・イ・キ・ミ・シ・リ・ヒ・ニ」の創造八神と続き、イザ!!と「イ・ヰ」のイザナギ・イザナミの親神が具象化へ向かう。

つまり、母音から解き起こし、父韻へと導かれる。これは自己実現への道のり・・・と言えなくもない。

ところが・・・日本書紀ではその逆。父韻から導かれるというのだ。それは、創造八神「チ・イ・キ・ミ・シ・リ・ヒ・ニ」から動き始め・・・母音へとつづく。

(逆に動くということは・・・揺り戻しと同じことなのか?)

創造八神から動くとは・・・創造意志が最初に解き放たれるということ。意志・・・「イシ」。ひふみ神示の中に「イシもの言うときくるぞ」・・・とあるのは、そういうことだったのだ・・・。


人は宇宙・・・大自然に・・・生かされている。それをいつのまにか自分で生きていると・・・おかしな言い方だが思い込んでしまった。思い込んでしまったがゆえに、人間が中心の仕組みをつくり、その中で得体の知れないモノに捉われてしまった。

すべての正体が見えたとき、それを脱ぎ捨て、手放して・・・根源的な自由に目覚める。

何者にも束縛されていない、という自由に目覚めたとき・・・そのとき創造意志が発動し、それが自己表現となってゆくのだと気づいた。

日本書紀の最初に出てくる神は国常立神である。言霊「エ」。実践智の「エ」だ。

実践の時代・・・つまりそれは、自己実現という具象化の時代(物質偏重、消費経済といってもいい)を超えて、こだわりを手放したココロ・・・のままの自己の表現への変化、ということだ。


先に書いた、枝道に入り込み行き止まりの世界へ向かう大きな流れは、根源的な自由ではなく「チカラ」を手にしたときの自由でしかない。

その世界の奥に入り込んでいればいるほど、抜け出すためには大きな勇気と大きな意志が必要だろう。手放すのにひと苦労もふた苦労もしなければならない。

そんな苦労をするよりは、ソコで今までどおり・・・何事もなかったように生きている方が楽に決まっている・・・が、一度気がついてしまえばその楽が苦になってしまう。

「早く手放しなさい
大自然に生かされているという
広い広いココロを持った人間に・・・さっさと還りなさい
でないと間に合わないよ」

いくら耳を塞いでも、天の声はココロに響き渡るものだ。




2013年1月12日土曜日

回帰

すでに次のステージは始まっている。

でも、次のステージがどういうステージなのかハッキリとはわからない。ひとつだけわかっていることは・・・誤魔化しができないということ。

誤魔化せない・・・そのつもりで世間を見れば興味深い。何故かその人の本性が見えてしまう。表に現われてしまう。

たぶんそれは、自分の本性へ向かって・・・自分の「ス」に向かって・・・回帰し始めている・・・と、いうことかもしれない。いわゆる、揺り戻しだ。

本性のままに生きるとストレスがなくなる。ストレスというのはどちらかに偏った状態だ。

回帰するとは、だから偏った状態が真ん中の・・・中庸の位置に向かって移動し始める・・・ということ。

言い方を変えると、それぞれが自らの生きるべき場所で生きてゆくようになる・・・ということ。

同時にそれは、別々になるということでもある。もちろん、別れではなく本来の始まり・・・として。


ただ、わたしには気になることがある。それは、近いうちに世界の人口が三分の一になる・・・という話しだ。

すでに本性が見えてしまった現政府を見ていると・・・さもありなん・・・と。まるでどこかの国の愛犬。名ブリーダーと聞き分けの良い犬・・・のようで・・・。


さてさて、つまらない話しになりそうなので・・・話しを変える。

世界が「ス」に回帰している・・・と閃いたのはずいぶん前だが、その時に長い間なかなか解けなかったコトバの意味が、同じように降りてきた。

それは、わたしの名前の「サ」というコトバだ。

「ス」というのは、須佐男(スサノオ)の「ス」でもあって、実はアマテラス次元を助ける物質文明を象徴しているともいわれる。

助ける神だから・・・「佐」という文字が入っている。これは「佐(スケ)」・・・補佐し助けるという意味がある。

本来のスサノオ次元のエネルギーが素直に働いていれば、今とはまったく違った物質文明が広がっていたと思える。

それが、うまく働かなかった・・・。

そのことは以前書いたので、ここでは省くが・・・わたしの「サ」は、この「佐」ということだ。つまり・・・「支える」「サポート」の「サ」。

ピン!!・・・ときた瞬間、わたしの使命が、やっと見え始めた。おめでとう。