2013年2月3日日曜日
かぐや姫考
かぐや姫は竹の中から生まれた。
竹とは松竹梅の真ん中。中性をあらわす。松は陰。梅は陽。アルカリ性と酸性・・・でもある。
日本に一番多いのは竹・・・だそうだ。もしそうなら、この国はまさしく中庸の国。
ところで、ケガレとは偏りが生み出す。どこかに何かが付着しているのでうまく回転できない・・・つまり、循環できない状態のことだ。だから「気」が枯れる。それをケガレという。
その付着した何かを削ぎ落とすことをミソギ。ミソギをして回転を正常にもどして・・・浄化。
かぐや姫は真ん中の・・・浄化された状態を暗示しているように思う。
そこは十拳剣の判断力によって護られた精神世界・・・かもしれない。あるいは、純粋無垢な赤ちゃんの世界。
かぐや姫に言い寄ってくる五人の男たちは五官感覚の「ウ」・・・物質次元を表しているのかも。
かぐや姫の所望したモノ・・・といえば、仏の御石の鉢・蓬莱の玉の枝・火鼠の裘・龍の首の珠・燕の産んだ子安貝。
これらはおそらく自然界の見えない仕組みを象徴したもので、物質として作り出すことが出来ないのだろう。人間にはそのハタラキを利用することしか出来ない。
最後には帝まで現われ、かぐや姫を屈強な兵士たちに護らせる・・・が姫を迎えにやってきた、次元の違う月の使者たちに対してこの世の武器は何の役にもたたない。
この時、闘おうとしたのは帝の兵士たちの方で、月の使者たちは何もしなかった。帝の兵士たちは自ら自滅するのだが、このことはけっこう大事なことのように思う。
先に書いた、純粋無垢な中庸の世界観・・・これにはいかなる物質文明も歯が立たない。
月に向かう前に、かぐや姫は帝へ宛ててフミをしたためるが・・・はたして帝は、かぐや姫のフミを解読できたのだろうか。
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