2013年2月16日土曜日

自覚と自立が必要なワケ

・・・ここに千引きの石(いわ)をその黄泉比良坂(よもつひらさか)に引き塞(さ)へて、その石(いわ)を中に置きて、各(おのおの)対(むか)ひ立ちて、事戸(ことど)を渡す時・・・

イザナミ神は「一日に千人、絞(くび)り殺さむ」と言い。それに対してイザナギ神は「一日に千五百の産屋を立てむ」と言うが・・・これは人間を「絞(くび)り殺さむ」と言っているのではなくて、「真のコトバ」を奪う・・・と言っているのだ。

「一日に千の真のコトバを偽のコトバにしてやる」「それならば一日に千五百の真のコトバを生み出そう」・・・と言い合っているわけだ。

日本語は上古代の人々が、その事象の持つエネルギーをそのままにコトバにした言語だ。だから、言葉のひとつひとつに、その事象の真を感じ取ることが出来る。

物にも、自然にも、こころにも・・。だから、真のコトバは誤魔化せない。

コトバは言霊というエネルギーを放つ。真であろうと偽であろうと、エネルギーを放つことに違いはない。ただ、そのハタラキが違うだけだ。

ハタラキが変われば神の名が変わるように、引き寄せるモノも変わる。

たとえば・・・シオニストが行なっているといわれる「3S政策」などは、真と偽を見分ける力を削ぐ政策なのだろう。

何かおかしいなぁ・・・というストレスが溜まっても、スポーツや映画やセックスで発散させ、どこかに消えてしまう。いったん消えてしまっても、翌日になればまたストレスを溜めに出かけて行く。

肉体や心を病むほどのストレスを生み出す社会システム自体が間違っている・・・ことに気がつかなくて・・・見分けがつかなくて・・・いつのまにか其処から逃れることも出来なくなってしまう。

それが当然のこと・・・になって、世の中にはストレス解消のビジネスが広がる。

それが、いいことなのか、よくないことなのか・・・どっちにしても進化するためにはストレスが必要なので・・・と思ってみたりもするが・・・。

ストレスをちょっとづつ落としていって・・・その落としたストレスがどこかへ流れていって・・・流れたストレスがとんでもなく積もり積もって・・・とうとう地球がこんなことになってしまった・・・のかも。

いやいや、そういう話しではなく、真と偽を見分けるには・・・というのを考えてたわけで・・・話しが反れてしまった。

民主主義は多数決によって・・・決めるというが、この多数決というは数の力のこと。民主主義というのに・・・どこかおかしい。力を持たなければ役に立たない。

だから、民主主義は平等じゃない・・・という「平等」というコトバも、どこか変だ。何か足りない。

人はそれぞれに、食べる量が違うし好みも違う。鼻は耳の仕事が苦手なように・・・おしりはおなかの仕事が出来ない。

それで、それぞれの言い分を主張し始めると争いが起こる・・・それじゃ平和的解決にはならない、という平和・・・というコトバも変だ。片寄っている。

平和というコトバの中には「力の下に集まれ」・・・という空気を感じてしまう。わたしが変なのか?

人間は・・・平等とか平和を目指しているのか?ほんとに・・・などと思ってしまう。

人間は、平和とか平等とか・・・そんなあたりまえのことを目指してるのじゃなくて、ほんとのほんとは「調和」を目指しているのだろう。

「調和」して、みんなでいっしょに上昇したいのだろう。

いろいろな国・・・人々が調和するために力はいらない。他を認め、自分を認める広さが必要だ。他のために生きる勇気もいる。

何よりも「真」がなくてはならない。日本古来の言霊はそのことを、この時代に生きるわたしたちに伝えてくれる。

ところが、絞(くび)り殺された人には、真のコトバが発せられない。

何故、絞(くび)り殺されるのか・・・というと、たぶん何かに依存しているからだろう。自分の外の「カミ」にすがりつくために、重い荷物をいっぱい身につけているのだと思う。

「カミ」は外にいるのじゃなく内にいる・・・というのに。

さらに、余計なモノをいっぱい身につけているくせに、その中に自分の答えが見当たらない。見当たらないはずだ・・・絞(くび)り殺された時から、ココに自分はいないのだから。

自分も、自分の「カミ」も見失うということは、主体(あおうえい)と客体(わをうゑゐ)の両方を見失うことでもある。出発点も帰着点も見失うことだ。

そうなると、創造意志の「イ」段の言霊たちが右往左往してしまう。だから答えに辿り着けない。

それでも、人が人として自覚し、自立へ動き出すと・・・不思議に真のコトバが見え出してくる。ということは、偽のコトバも見分けることが出来る・・・ということだ。

それをたぶん・・・サニワというのだろう。

人が人として自覚する・・・というのは、主体(あおうえい)と客体(わをうゑゐ)が定まってくる・・・ということだと思う。五十音図での左右の枠・・・この神を和久産巣日(わくむすひ)神という。

この神の子が豊宇気毘売(とようけひめ)神・・・伊勢外宮の祭神・・・であり創造八神(ち・い・き・み・し・り・ひ・に)ということだ。具象化してゆくエネルギー。

未来を創ってゆくには・・・いまこそ自覚と自立が必要なのだ。



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