光と闇のことを考えている。たしかに、光は闇ではないし、闇も光ではないので別々な存在だと考えてもかまわないのかもしれない。
光と闇を結ぶ一本のチューブの中を歩いていると・・・。
光に向かえば一歩ごとに明るくなってゆくが、背中は暗い闇。逆に闇に向かえば、一歩ごとに闇が深くなってゆくが背中は光となる。
つまりこれが分離なのか・・・も。
光と闇は、神と悪魔・・・と、世間では比喩されるが・・・それでは、光と闇は互いに背を向け合っているのか、それとも合い対して睨み合っているのか・・・。
このままでは永遠に・・・光と闇は、和解できそうにない。
光と闇の分離は、「ア」と「ワ」が二つに分かれた部分に相当する。陰と陽に分離した・・・ということだ。
つまり「自我」が生まれて、その「自我」を見ているもうひとりの自分・・・と言ってもいい。「ア」は「吾」。「ワ」は「我」。あなたとわたし。主体と客体。
「ア」と「ワ」は「ウ」から生まれる。「ウ」とは・・・「うずく」「うごめく」「うまれる」などなど、得体の知れない思い。その思いが「うず」のように心に広がって、やがて「あっ!! そういうことか」・・・と気がつく。
気がつく・・・ということは「自我」が生まれた、ということ。だから「ア」と「ワ」。
古事記でいうと・・・「ウ」はアメノミナカヌシノカミ。「ア」はタカミムスビノカミ。「ワ」はカミムスビノカミ・・・ということになる。
それでは、「ア」と「ワ」を生んだ「ウ」は、どこにいたのか。どこで「うずき」「うごめき」「うまれ」たのか・・・というと、そこは「ス」の世界。
「ス」・・・「素」。「ス」の世界には何もない。「空(くう)」の世界。
何もない・・・ことは、なんでもある・・・ということだ。やがてすべてを、そこから生み出すのだから、つまりそこには何でもある・・・わけだ。そういう世界を「空(くう)」という。
さて・・・永遠に和解できそうにない光と闇は「ア」と「ワ」。光と闇は元々ひとつの存在だった。
神と悪魔は元々ひとつだった・・・が、その「ひとつ」が語られない。語られない以上、やっぱり光と闇は永遠に和解できない・・・ということだ。
言霊の世界は、その「ひとつ」を表すことができる。おまけにその「ひとつ」が生まれた「空(くう)」の存在も語ることができる。
宇宙という、ひとつの命の中でいつまでも和解できないことは、ちょっと悲しい。
「空(くう)」の世界に満ちているエネルギーを循環させれば、つまらない利権や私欲など消し飛んでしまう・・・というのに。
それとも・・・宇宙は、より高い精神性、人間性を求めていて・・・精神性・人間性とは、意識の波動のことだ。
人間が不要なものを排便するように、宇宙も意識波動の低い不要な生命体を・・・排便してしまう・・・準備をしているのかもしれない。
できれば・・・宇宙の細胞のひとつでありた。ウンコには・・・あ!!
「ウ」・・・なるほど、それで「ウンコ」か・・・いやいや、ウンコの言霊解説はやめておこう。
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