たしかに食べたモノが人間を造る。食べたモノが人間になる。逆にいうと、人間は食べたものになる・・・ということでもある。
「食」を「ショク」と読むと「職」を連想してしまう。
これは・・・食べ物を得るために職業が必要・・・というよりも、「職」というものがその人間を「食」してしまう・・・かな?
いつの間にか、人間性まで「食」されてしまう人が増えたみたいだ。
こういうふうに日本語は同じ読みの場合、その言葉のもつ意味合いが重なるものが多い。ほとんどすべてと言ってもいい。
これは言霊のエネルギー・・・大自然のエネルギーに合わせたからで、これが右脳を刺激する。つまり、虫の音(ね)がどう聞こえるのか・・・ということにつながるわけだ。
もうひとつ言うと「見えない世界」と「見える世界」のつながり・・・の捉え方にも現われる。
日本には祈りの場所が多い。小さな祠や石の地蔵さんや・・・みんな含めるとたぶん世界一だと思う。数えたことはないけれど・・・。
見えない世界をいつも身近に感じていたわけで・・・これは日本語を構成する言霊のエネルギーが自然にそうさせていた・・・といえなくもない。
見えない世界のことは量子物理学などでしだいに明らかにされてきてはいるが、物質文明の側から見ているだけでは永遠に理解できない。
そらそうだ、なにしろ見えない世界なのだから。
それでも、見えない世界の側から、こちら側・・・見える世界を見れば、いろんなことがわかってしまう。何故なら「見えない世界」が先で「見える世界」が後に出来たからだ。
言い方を変えると、「見えない世界」が「見える世界」を創った・・・わけだ。
このことはとても大事なことだと思う。このことがわかれば「宇宙のたったひとつの法則」も理解できるはず。「古事記」神代記の冒頭の部分の秘密も見えてくる。
だから向こうからこっちを見れば・・・見るチカラがあればの話だが・・・なんでもよくわかるはず。
たとえば、人間の身体は見えないものが集まって見える身体を造っている。そしてその見えないものたちはみんな揺れている。振動しているわけだ。
この辺までは素粒子のことを考えればわかる。
その振動は、人間の思念・・・意志の波動とも共鳴する。脳波は「粒」・・・揺れる波なので、人間の身体の各部位の持っている特有の振動と共鳴する。響きあう。
身体の中では「ガイアシンフォニー」が響き渡っている・・・と考えてもおかしくはない。
もしこのオーケストラのどこかのパートがおかしな音を出したら?それが脳・・・思念や意識から発せられる音だったら・・・。
量子力学は見えない世界に近づいてはいるが、医学はちっとも進まない。
対症療法は・・・アロパシーは原因を探す医学ではない・・・とハッキリ書いてもいいと思う。症状を抑え込む、あるいは削除する医学だ。平気で人間の身体にメスを入れる。
自分で見なければわからない・・・見える世界だけの智恵。だから病気はなくならない。増える一方だ。つまり、ちっとも進まない。
「見えない世界」と「見える世界」のつながりがわかり始めると、間違いなく今の医学は行き詰る・・・というか、方向転換を迫られる。
あ・・・そういえば、方向転換を迫られているのは・・・医学だけではなかったっけ。数え上げればキリがない。
モノと人間の関係は、人間と神との関係によく似ている・・・と以前書いたが、物質至上の文明は・・・あるいは資本至上の文明は、人間を「モノ」の次元に貶めた・・・と言ってもいい。
人間の未来は「モノ」に近くなるのか、それとも「神」に近くなるのか・・・どちらを選ぶのか、なんていちいち考えなくてもわかっている。でも、考えていなければ気づかない。「モノ」は自分が「モノ」だと気づかないのだから。
「見えない世界」と「見える世界」の間にいつしか生まれたヒズミ。どこかのパートが違う音を出してしまった不協和音。たぶんそれは、人間の歴史の中に・・・ネガティブな波動として残っているのだろう。
これ以上、大きくしてはいけない。
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