どう意識するかはとても大事だ。意識が変われば未来が変わる。
・・・意識。
時間が前へ進むように人も前へ進む。いかなる場合でも前へ進む。前とは顔の向いている方向のことだ。顔がどこを向いているのか・・・目の前の出来事をどう意識するのか。その意識が未来を創る。
常識が意識を作り出すのではなく、意識が常識を作り出す。常識とはだから個人的な錯覚にすぎない。
意識が変わるキッカケのひとつに「知る」という行為がある。知ることは明らかにすること。ホントのことを知れば内なる常識が変わる。
だから情報が制限されると、当然視野が狭くなり造られた常識に操られることになる。
同時に今のままでいいと感じ、変化を・・・進化を嫌うことになりかねない。
情報を制限して常識を植えつけてしまえば人を思うように誘導できる・・・ということでもある。
世論誘導とはそういう性質を利用したもので、これには今の時代、マスメディアの責任は想像以上に重い。
人の意識が未来を創るのなら、どういう情報を提供するのか・・・は、人類の未来をも左右することにつながる。だからこそ責任と自覚は不可欠。
そういう視点で世間のマスメディアを見渡してみると・・・言葉も出ないほど荒涼としているので、それでわたしは・・・かれこれ十年ほど前から、感覚に従ってさまざまな情報を自分で辿ってきた。
まさに混沌の時代だと実感しきりである。混沌の時代とは本性の時代でもある。上っ面では生きてゆけないということだ。隠してもボロボロとこぼれ落ちる。
つい先日、政治家の器じゃないことが露呈した人がいたが、その発言に対しての各界の人々の反応の中にもボロボロとこぼれ落ちる本性が見えた。
彼はそういう役目を担っているのだろう。
政(マツリゴト)とは「マ」のつり合わせのことだ。間をつり合わせるには「徳」がなければならない。「徳」とは言霊「エ」の次元。国常立神(クニノトコタチノカミ)・・・でもある。
税金をナリワイとしているようでは、いずれにしても一度バラして建替えなければならない・・・と思う。たぶんそういうことになると思う。
いったん荒野になって・・・再生準備。さなぎから蝶へ。羽化の準備は整っている・・・かな?
わたしは、実は荒野が好きだ。目の前の荒野が、どんな未来に変化するのか・・・考えるだけでワクワクしてしまう。こんな時、少し変わっている自分で良かったと感じる。
意識を自由にすれば、元来の生成発展の本性が現われる。それは宇宙全体がそういう性質に包まれているから。宇宙とつながるということ。
目の前に伸びるのは見慣れた道ではなく、自由に選べる荒野・・・がいい。足を踏み入れたことのない荒野だからこそ、理想の未来を創造することが出来る。
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