2013年10月26日土曜日

未だ見ぬ

いつの日にかネットの世界でも、発信者の文章、言葉を見ただけでその人物がどういう人物なのか・・・というのが、感覚的にわかる時代がくるのだろう。ずっと先だろうけど・・・。

言葉は、発信者が完成させるのじゃない。受け止めた受信者のこころで完成する。

なんでもそうだけれど・・・受け手が何を感じ、こころのどこに収めるかで発信者の質が・・・受け手の中で決まる。

発信者の自覚も必要だが、受け手の自覚は更に必要なのだ。感性と言ってもいいし。度量と言ってもいい。

気がつかないうちに孤立していたり・・・悪人に仕立て上げられていたり・・・おだてられ持ち上げられ、自分を見失ったり・・・。

それはネット世界の・・・仮想世界の落とし穴でもある。


ところで、特定秘密保護法の全文が報道にも出たが、法律の文章もまた受け手の解釈で変化するもののひとつだ。

だからこそ法律といのは、生活の安全を守る・・・という理由で、人を拘束し、利用し、閉じ込めてしまうことも出来るわけだ・・・公的な力で。


あの共謀罪の部分がわたしは気になっている。特に「共謀罪」を自首すれば免罪される・・・と言う部分。

何者かの意を含められた者のウソの自首によって、無罪でありながらすでに拘束されている人物を貶めることが・・・できないか?


いずれにしても、なんと時代錯誤の法律なのだろうか・・・と、あきれてしまう。後ろ盾を無くすことが、よほど怖いんだろう。何も手放したくないのだ。

先が細くなって、どんどん狭くなって・・・そんな世界だ。キリキリと、気づかぬうちに闇の中にはまり込んでゆく。

もう彼らは、そのスパイラルから抜け出すことが出来ないんだろう。気の毒な人々。


関西で今はやりの偽証は、有名ホテルレストランでの食材偽証・・・いや、疑惑か。つまらなすぎて、こちらのニュースもあきれてしまう。

だまされたぁ~・・・と、笑い飛ばせばそれで済む話だ。

たとえ名も無い食材でも、その食材はイノチを宿していたのだ。だから、おいしかったぁ~・・・という気分のままでいるのが、一番平和なのだ。

ところで、こういうニュースは、どういう経路で表に出てくるんだろう・・・と勘ぐってしまうのは、わたしだけだろうか。

スピンコントロールのために、あちこちに転がしてある爆弾のようなものなのか・・・な。爆発させすぎて・・・その爆弾の数も減ってきたのかもしれない。


とにかく、ニュースでも法律でもネットでも、受け手の自覚は必要だと思う。特に今のようなクチャクチャに詰め込まれた情報の中ではなお更だろう。

自分の「内」にある「ス」のこころで感じ取れればいいけれど・・・なかなかその「ス」の声が聞こえない。

「ス」の声は魂の声。「ス」の世界ではみんながつながっている。みんなでひとつ。みんながひとつ。

だから、人を疑うことは自分を疑うこと、人を貶めることは自分を貶めること、人を拘束することは自分を拘束すること・・・となる。

時間という無限の流れの中で、空間という方向性をもった世界を生きるわたし達には、だから「ス」の世界(イノチ)から託された大きな使命がある。

それは「調和」。いかにして「大調和」へ向かうのか・・・。

引き合い、押し合い、潰しあい・・・ながら、大きなウズ(リズム)の果てにやがて次元を超えてひとつになる・・・はず。そういう世界ができる・・・はず・・・たとえ一部分だけでも・・・。

それが、わたし達の「ミライ」。未だ見ぬ、ウズ(ラセン)の果てのイノチ。


「時間」は前にしか進まない。「前」とは、自分の顔が向いている方向・・・見つめている方向のことだ。その方向へ「時間」は進んでゆく。

いろいろと錯綜し、めんどくさい話しが溢れているけれど・・・みんなちゃんと前へ進めればいいなぁ・・・といつも思っている。

キリキリと進む人、ガタガタと進む人、ズンズとン進む人、フラフラと進む人・・・それぞれの生き方で、それぞれの道を、それぞれに認め合いながら進めればいいなぁ・・・。

それはわたしの祈りでもある。




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