秘密保護法・・・という、「報道の自由」の首を絞めるようなキソクにたいして、当の新聞やテレビから大きな声が聞こえない。
この状態が社会のカタチを表している。いわゆる行き詰った状態。息が詰った状態。新鮮な空気が吸えない・・・吸えないから声が出ない。
原発反対・TPP反対・オスプレイ反対・・・と声を上げる者はみなサヨクとみなす警察も同じ。みな同じ顔に見えているのだろう。
「組織」の空気には、その「組織」が強力で大きいほど「酸素」が少ない。ヨソの空気など必要としない。邪魔になるだけだ。
ちなみに、酸素欠乏症は脳細胞の破壊を招く。外に流れる新鮮な空気は、とても大事・・・ひとりの人間に戻って、おもいきり深呼吸してみればいいのに。
戦前の治安法では、30万人の人々が投獄され、数千人の命が失われた・・・というのに、何故同じような法律をつくろうとするのか・・・。
感覚として漂っているのは・・・今までたくさんウソをついてきて、これからもつき続けなければならない・・・と思っているんじゃないか・・・ということ。
ウソをつきつづけていれば、未来は消えない・・・だから、地獄のように狭い世界へ閉じ込めて・・・。
ところで、非常識というのは常識に非ず・・・ということだ。だから「非常識な人」というのは「異常な人」と言えなくもない。
けれど、その元になってる常識というのが、そもそも「的外れ」だとしたら・・・「的外れ」の常識を守っている常識人は「的外れな人」ということになる。
常識といわれるものをひとつひとつ解体して調べてみると、けっこう「的外れ」な常識があるので、世間には想像以上に「的外れ」な人が多いんだろう。
「異常な人」と「的外れな人」が言い争っても・・・たぶん、決着はつかない。
・・・と、いったい何が言いたいんだろう・・・わたし。
そのむかし・・・
おおらかで楽しい人達は、その言い争いを笑い飛ばして・・・みんなで「ワ」になってお酒でも呑んで、たちまち仲良しになってしまったんだろうけれど・・・臆病で悲しい人達はそうはいかなかった。
相手を突き飛ばして・・・二度と立ち上がれないように「チカラ」というものをぶつけたかもしれない。
突き飛ばされた方も、臆病で悲しい人達なら・・・きっと「ウラミ」が残って、未来へばら撒いてしまう。「カルマ」はそういうふうにして生まれた・・・。
ちなみに・・・
「八拳剣の判断力」の人たちは物質的欲望の出処を知らない。知らないから抑えられない。抑えられないから他人のものまで欲しくなる。そのために頭を使う。
「九拳剣の判断力」の人たちは物質的欲望の行き先を知らない。知らないから恐れきらう。滅私・・・に対して無感覚になり、神と信じるもののために命を投げ出す。
「十拳剣の判断力」の人たちは物質的欲望の出処も行き先も知っている。知っているから操れる。さらに・・・やがて自分は、見えない世界(表裏のない世界)へ還ることを知っているので自分にウソがつけない。
自分にウソがつけないから良心に生きることができる。肝がすわって、いさぎよい。
世間では、世の中は戦前の雰囲気に戻っている・・・と言われるけれど、わたしの感覚は少し違う。どうも室町時代の、あの幕府の存在感がしだいに薄れてゆく感覚に似ている。
もし、わたしの感覚が当っているなら・・・当てモンみたいで不謹慎だが・・・民生自治・地方自治の時代がやって来ることになる。
そういうこともあって、アメリカの情勢を興味深く見ている。
来年あたり、どこかの州が独自の地域通貨を打ち立てて独立・・・ということになるかもしれない。どこの州も連邦政府の借金の肩代わりはしたくないだろう。
後ろ盾であったアメリカに風穴が開けば、日本もただじゃ済まない。政府の影は、あの室町幕府末期のように限りなく薄くなってゆくかも・・・。
税金利権・・・をナリワイにしてしいる人たちも同じように・・・いや、彼らはひょっとすると、すでに逃げ出す準備が完了しているかも・・・。次の手を考えているはずだ。欲望は止まらないから。
さてさて・・・秘密保全法という、国民を分断してしまう法律なんかサッサと捨ててしまいなさい。
そんな縦のチカラの法律なんて、日本人の国民性にそぐわない。そぐわないどころか、国民性を壊す法律だ。日本をとりもどせない公約違反。
だいいち自らのウソを隠すために国民を利用してる場合じゃない。
横のつながりなくして復興などありえない。縦割り行政や資本優先など前世紀の常識は、そういうことで近々解体してしまう・・・とわたしは思っている。
そして、人々の願いは民生自治へと変化してゆく。それがこの国の人々・・・この国と深い縁をもつ人々の血の中に流れているサガ・・・なのだから。
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