2013年10月19日土曜日

見えない世界・・・からの

さてさて、大きなウズから小さなウズまで、目に見える世界・・・目に見える社会では目まぐるしい日々が続いている。

この世はそんな激動のトキではあるけれど・・・なんと、見えない世界での建て替えはすでに終わっているらしい。

そう言われても、見える世界に生きているわたしたちにとっては、そういうことはちっともわからない。

見えない世界が先で、見える世界が後・・・というけれど、見える世界に生きているわたしたちにとっては、それでもやっぱり見える世界の方が大事なんだと思う。

見える世界での生きる姿勢が大事なんだ。その姿勢が見えない世界に影響を及ぼす。


見えない世界の存在たちは、きっと自分のため・・・だけでわざわざこの世に生まれてくることはない・・・と思う。

彼らこそ・・・全体のゆがみを感じて、そのゆがみを自らの行為によってなんとかしたい・・・と思ってこの世に産まれてくるんだろう。

そのために肉体を持ち、やっかいな時間と空間に縛られながらも、純粋な使命感を胸に大いなる勇気をもって産まれてくるのだ。

産まれてきた以上は・・・だからこそ、この世で生きている自分を大切にしなければならない。彼らの勇気を無駄にしてなならない・・・と思う。

凛!!・・・として生きてゆかなければ・・・と思う。


ところで、世の中に予言というものが存在する。この予言とは、いったいどういうふうに予言者のココロに届くのだろう。

はっきりと、言葉や映像として直接届けられるのだろうか。

それとも・・・その言葉や映像は、見えない世界からの波動を受けて予言者のココロが、予言者自身の経験や知識や感性と響き合って生み出されるのだろうか。

ココロのフィルターは存在しないのか、フィルターを透してくるのか・・・わたしは予言者ではないし霊能者でもないので、その違いがよくわからない。

わからないけれど、いつも考えてしまうのは・・・この世に具象化した出来事は、見えない世界における、いったいどういう波動がカタチになったものなんだろう・・・ということ。


なぜそんなことを考えるのかというと、最近、地震を始めとする天災の予言をよく目にするからだ。

確かにわたしもこのブログの中で、水の動きが顕著になる・・・というようなことを書いたけれど、それは縦の霊(火)と横の血(水)の関係から述べたもので、わたしの予知能力によるものではない。

言霊は宇宙的物理なので、それをひも解いて行くと、なんとなく・・・ではあるけれど感じてしまう。

けれど・・・たとえば地震学などの物理的調査や統計なのではなく、純粋に予言・・・お告げとして言葉や映像が浮かぶのは・・・いったいどういう波動がそうさせているのだろう。


見えない世界の存在が、見える世界の誰かに波動を送るのは知っている。よくわかる。ただ、その波動がこの世に届いたときに・・・どういう具象化をするのかがわからない。

天変地異などはイノチにかかわることだ。つまり・・・明日、どうなるかわからないぞ・・・という感じがする。覚悟は出来ているのか? それで大丈夫か? ・・・というような感じがする。

これはまさしく・・・「ス」に還るトキがきた・・・というような、あるいは自らの「ス」を取り戻すトキがそこまで来ている・・・という、見えない世界の波動・・・ともとれる。

すでに建て替えが終わった霊界の波動が、いつまでも前世紀のままのこの世に届くと・・・終末感のような雰囲気に具象化してしまうのかもしれない。

大掃除のあとのゴミ収集場所のような・・・。


建て替えが終わって、霊界がすっきりしたのなら、その次はこの世・・・ということになる。霊界が先でこの世が後・・・なのだから。霊主体従。

知りたくない・・・今のままでいい・・・と思って目をつぶっていても、だからやっぱり、どこかで「ス」に出くわしてしまうのだ。

気がつけば・・・そんなニュースばかりである。

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