2013年3月23日土曜日

何の根拠もないけれど

白村江の戦いから壬申の乱・・・のあたりの日本は、実に激動の時代だったと思う。多くの変化を生み、また多くの謎を残した。

この時代にのみ「天」とつく天皇が二人存在する。これも妙な話のひとつだ・・・とわたしは思っている。が、そのことについては今は書かない。

この時代を経て、日本は国書の編纂を始める。

それまでは国書を必要としなかった・・・のか、それともこの時期を経て何かが・・・外交上の大きな変化が生まれたのか。

普通に考えると、唐の存在を意識して国家の体裁が必要だった・・・となるだろう。

たとえそうだとしても・・・その国書の中に言霊の仕組みが、それも隠すように埋め込まれていることは、なんとも大きな謎で・・・同時に、大切な歴史的変遷を物語っているように思う。

言霊の仕組みを未来の人々に・・・残さなければならず、なおかつ当時の何者かの目から、隠さなければならず・・・。

それだけで、想像以上に巨大な力が押し寄せてきたことを感じてしまう。


日本には、漢字導入以前に文字があった・・・とわたしは信じている。いわゆる「神代文字」だ。さらに、その神代文字からカナ文字が生まれた・・・あるいは、カタカムナ図象からカナ文字は生まれたのか・・・とも思っている。

いずれにしても漢字導入以前・・・恐らく、はるか昔には文字が生まれていたと思える。言霊の国だ。そう考える方が自然だろう。

それなのに何故、漢文として国書を編纂したのか。日本固有の文字でないのは何故か。唐の存在の大きさ・・・ということか。

神代文字は一語一文字。ひとつひとつの音が、ひとつひとつの宇宙を持つのだ。

そのそれぞれの宇宙を漢文に織り交ぜながら古事記はまとめられた。並大抵の感覚ではないことがよくわかる。素晴らしい快挙。

現在の日本語表記をみると、大陸から渡ってきた漢字を実にタクミに取り入れているのがわかる。同じ発音でも漢字の違いでその意味が理解できる。

こういう表記が他国にあるのかどうなのか門外漢のわたしにはよく分からないが、現在の日本語表記になるために古事記の存在は大きかったとも思う。


当時はまさに国難の時代だったはず。大国の唐がすぐそこまで押し寄せてくる。百済からは多くの人々が逃れてきただろう。

都を近江に移したことがそれを物語っている。摂津の海岸線は、神戸から難波あたりまで避難民で溢れかえっていたのではないだろうか。


ふと・・・


TPP後の日本の未来をイメージしてしまう。世界中から集まってきた移民たちや、職を失った日本人たちが・・・巷に溢れかえっている。

巨大な力に為すすべも無く、この国の指導者たちは大きな波に呑まれてゆく。


ひょっとすると・・・いや、まったくの想像だが・・・その昔、この国には国家という体裁が無かったのではないだろうか。

「倭人」・・・「和」の人々。

国家という体裁を必要とせず、ただそこに大きな「御柱」のみが聳え立ち・・・人々はその「御柱」の下に集い、分かち合い、つり合いながら暮らしていた。独裁者も支配者もいない。

漢の時代、「倭人」と呼ばれる民は朝鮮半島からベトナムの辺りまでの海洋民族の総称・・・だった、と何かの書で読んだことがある。


政府が無くなっても、この国は無くならない。日本語が存在するかぎり日本国は無くならない。何故なら、言霊の仕組みは大自然の仕組み・・・大宇宙の仕組み・・・人のこころの仕組みだから。

唐の巨大な力をその深い懐で受け止めたように、今回の国難も・・・すぅ~っと呑み込んで、新しい未来に変えてしまうような・・・まったく何の根拠もないけれど、あたたかい思いが胸の中に吹く。

人間が、ホントに必要なものに気がつけば、そしてそれを求める生き方に向かえば・・・資本主義など、煙のように消えてしまう。言霊の仕組みは、そこへ向かう大きなエネルギー。これが一厘の仕組み・・・なのかも。


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