2013年6月29日土曜日

・・・かもね

どこの局でも同じニュースが流れると・・・あぁ、またか・・・と思ってしまう。

どこかで大事なニュースが隠されているのか・・・どうなのか。なんともゲイの無いテレビメディアである。

そんな中、最近よく感じるのは・・・いよいよ公務員受難の時がきたのかなぁ・・・ということ。

むかしから庶民たちの不満のガス抜きに利用される公務員ではあるけれど、なんとなくそういう意図的なチカラだけでは説明できないような・・・。

もちろん、部署や組織の誰かを「みせしめ」にすれば反抗分子たちへの粛清にもなる・・・ので、いざ、という時のために、そこらじゅうに爆弾を転がしてある・・・のかもしれない。

が、その爆弾の意味が・・・たぶん、変わったのか・・・も。

今までの常識的な「安定」に浸かっていては抜けられないよ・・・ヒトとしての自覚と、その道を歩むための自立・・・に目覚めなさいよ・・・という宇宙からのメッセージ・・・の、ような。

だから、企みを隠すために、やたらと爆弾に火をつけていると・・・そのうちトンでもない爆発が・・・ある・・・かもね。


この国を大きく変えた出来事はいくつかあるけれど、西暦663年の白村江の戦いは、そのトンでもない爆発のひとつだったのだと、わたしは思っている。

大きな敗戦は国家のカタチをも変えてしまうから・・・。

この白村江から、やがて奈良時代に強力になってゆく律令制・・・までの辺りに、この国のスガタを大きく変えた何かが・・・変遷があったのだと思う。

あらがえない大きなチカラ。


奈良時代には街道が整備され「宿」が設けられる。「シュク」・・・だ。元明天皇は、旅をする者はお金を携帯するように・・・というフレを出した、と、続日本記にある。

「宿」を利用する人々はそれほど多かったのか・・・そして、その行き交う人々はお金を携帯するという感覚が無かったのか・・・いろいろと想像してしまう。

お金というのは、それより千年も前、大陸では春秋戦国時代・・・のときにはすでに使われていたらしいが・・・この国の人々は、奈良時代になってもお金というものに馴れていなかった・・・わけだ。

お金の仕組みは、大陸から持ち込まれた・・・ということになる。

当時の旅は命がけ・・・命がけの旅をしなければならない人々。どういう素性の人々だったのだろう。想像は尽きない。


もうひとつ、奈良時代には多くの人々が西から東へ移住した・・・と思える。

畿内河内から武蔵の国へ多くの人々が移住したのもこの頃らしい。摂津の為奈部という民が伊勢へ移り住んだのもこの頃。

西日本から三河を経て美濃、信濃、越後へ抜ける日本海側へのルート。あるいは、武蔵から房総、常陸への太平洋側のルート。

自ら望んだのか、余儀なくされたのか、あるいは強制的なのか・・・そこのところはさまざまだったろうが・・・多くの人々が移住していった。

もちろん白村江以前にも移住はあったろうが、白村江から平安遷都までの130年ほどの激動は、より大きかったように思う。


トンでもない爆発が起こると「常識」という結び目が解けてしまうので、まるで秩序が失われたように思えるけれど・・・ドッコイこの国の人々はその高い精神性で国体を維持してきた。

それはまさに民衆の智恵・・・縄文時代からメンメンと流れている「血」のようなものだと、わたしは思っている。

縄文時代・・・という言い方で区切ってしまうのはあまり好きじゃないが・・・そのころの人々は「無垢」だったので「宇宙の声」「自然の声」を感得することが出来た・・・と思っている。

それはつまり、身の危険を感じ取ることが出来ること・・・と同時に争い・・・戦争が残す禍根の意味をよく知っていたはず。未来へ残るネガティブな波動を知っていた。カルマともいう。

だから、いつの頃からか増えだした新しい人々とは争わずに、辺境へ辺境へと身を隠していったのだろう。

この国の人々の底に流れる「血」。「血」は「水」でもある。「水」でつながっていることは・・・そういうことでもある。

縦の「常識」から抜け出せない人々が起こすトンでもない爆発は、実は人々のこころの底に眠っている縄文の「血」を・・・はからずも、甦らせることになる・・・かもね。


  

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