2013年6月15日土曜日

一段上の位

「神(かみ)」のことを「火水(かみ)」と書いたりする。「火(ひ)」は「霊(ひ)」。魂の流れ・・・縦のエネルギーでもある。

それに対して「水(み)」は横。すべての物質は「水(みず)」を含んでいる。つまり、すべては「水(みず)」の力でつながっている。

だから「神(かみ)」は縦と横・・・「十」と描いても表現できる。

前世紀までは、何らかの原因で・・・たぶん、宇宙の呼吸のような気がするが・・・縦の「火」のエネルギーが重要な意味を持っていたのだと思う。

縦のチカラが歪んでしまうと、強者弱者を生み出し、貧困や差別が絶えない。

ちなみに、戦争は縦のチカラの暴走のひとつでもある。戦争は人間を人間ではない生き物にしてしまうので、せっかく輪廻転生の果てにやっと今の状態まで引き上げてきたのに、それをいっきに動物以下に引き戻してしまう。

だから戦争とは・・・たとえ「やむを得ず」であろうと「正義のため」であろうと、全体にしてはいけないことなのだ。

ところで、世界の歴史や現在のスガタをみれば、縦のエネルギーによる進化が行き詰っているのがわかる。

今世紀になって、次第に横のエネルギー・・・「水」の時代へとシフトを始めた。世界各地で起こっている「水」による出来事を見れば、なんとなくわかる。

宇宙の呼吸が、吸う息になったのか、吐く息になったのか・・・とにかく変化した。その変化を地球が受け止めて、自らを宇宙の呼吸に合わせようとし始めた・・・のだろう。

地球と話しができないので、なんともこころもとない・・・わたしではあるが・・・それでも、地球が人類に対して「うんざり」してしまうと大変なことが起こってしまうことくらいはわかる。

地球が人類に対して・・・うんざりしてしまわないように、人類はこの横の力・・・「水」のハタラキを歪めてはならない。

このまま歪めたままなら・・・たぶん、人間が自分の持ち物を「断捨離」するように地球も人類を「断捨離」したくなる・・・と思う。そんな地球の気持ちも、わからなくもない。

この状態は、まだまだ続くのだろう。何故なら、人類は未だ横のつながり・・・すべての存在(生物・無生物のすべて)との「調和」へのシフトには至っていないようだから・・・。

シフトが変わるとはどういうことかというと、意識波動が変わるということだ。

宇宙には・・・というか、この世界には人間の五感で感知できるものは、ほんの少ししかない。人間の身体だってスキマだらけだ。

コップに入れた水が見えるのは、水の分子や原子たちがプルプルと揺れているからだ。振動しているから目に見えている・・・それが液体に見えている。さらに振動数が上がって気体になると見えなくなる。

五感で感知できない世界の方がはるかに多く、広い。そして素粒子たちはそれぞれ固有の揺れ・・・振動を繰り返している。

もちろん人間のカラダも揺れている。その固有の振動数が変わる・・・つまり、意識波動も変わる・・・。

波動数が変わるということは、もちろん五感感覚も変化する。

どういうことかというと・・・今まで見えなかったモノが見え、聞こえなかった音が聞こえ・・・ということでもある。

「水」の粒子が見え、それがすべての存在物とつながっている姿が見え・・・みんながひとつなのだと理解できるようになる・・・ということだ。

それは「神」の姿を見ることができる・・・ということでもある。

実際には「見る」という肉体感覚ではなく、「感じる」という意識感覚に近いものだが・・・潜在意識にこびりついている余分な何かが溶け落ちてしまえば、こころの目で・・・こころの肌で感じ取ることができる。

そうなると誰もウソはつけない。真実しかソコにはない。だから、地球に対して・・・「神」に対しては、だから真実しか通じない・・・わけだ。

神社の境内に佇むとき、自ずと凛としてくる・・・というのは、真実しか通じないということを、誰もが潜在的に感じ取っているからに他ならない。

小賢しい我欲や保身を捨てて・・・あるいはカオを失った自分に気づいて・・・「ス」の自分でいられるようになると、いつしか縦と横の歪みがとれて、しっかりとした「十」が描けはじめる。

「十」とは一段上の位ということでもある・・・それが次元上昇ということだ。

 

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