目に見えるものだけを信じて進んでゆくことを科学的判断力というが・・・そもそも人間は何も見えていない・・・ということを以前書いたことがある。
水のホントの姿すら見ることができない。
何も見えないくせに、何かを見たつもりになっている。なんでも見えてるつもりになっている。
けれど、わたしたちは見えない世界の中で存在している。見えないチカラが、すべてを生かしめている。
見えない世界の中にありながら、見えない世界に背を向けて進んでゆく・・・ということは、つまり内へ内へと向かうこと。
どんどん小さくなって・・・硬くなって・・・しまいにはパン!!・・・と、弾け飛んでしまう。だから、科学的・・・といわれるものには注意した方がいい。
話は変わるが・・・今の経済システムは官僚が造った。
ナントカ法人という窓口を通して、お金を流してゆく。そのお金・・・で、大きな企業は潤ってきた。同時に官僚たちも潤ってきた。
官僚とは顔を持たない集団のことだ。そういう集団がいつ頃生まれたのかは知らない。
彼らの造り出したシステムの中で日本は成長し、人々の暮らしは豊かになっていった。いい思いをしてきた・・・と言ってもいい。
それが幸せだったのかどうかは別として、とにかく人々は田舎を離れ、都会へと向かった。そこには豊かさという魅力的な生活があったからだ。
これは都会の吸引力・・・陽のチカラのなせる技なのだろう。都会は物質界・・・という見方も出来る。都会は物質文明のコア。
田舎は陰となり、エネルギーを拡散していった。
陽のチカラを持つ都会は、バブル崩壊の後もそのチカラは継続・・・というか、止まることが出来ずに・・・ブレーキが利かずにドンドン極まって・・・ドンドン縮まっていった。
・・・あ、距離感が縮まるのもそういうことかも・・・。
陽が極まれば陰となるわけで・・・陰となる瞬間はどういう感じかというと・・・感覚的に想像してみると・・・大騒ぎして楽しんだ飲み会のあと、ひとりぼっちで帰る夜の暗闇・・・のようなものか・・・。
やがて都会へ向かう人はいなくなる。これからどんどん人口は減ってゆく。都会は寒々とした・・・コンクリートの墓場のように・・・いや、ひょっとしたら、途上国の人々が集まってくるのかも・・・昔の集団就職のように・・・。
けれどソコには昔のような未来はなくて・・・夢もなくて・・・貪りつくされた残骸だけで・・・その頃になれば官僚たちも、どこかへ居なくなっているんだろう。
パン!!・・・と弾けて・・・どこかへ消えてしまうわけだ。
その時からこの国は、遠い昔と同じように、雑多な民族・・・さまざまな人々がチカラを合わせて・・・「和」となって民生自治を広げてゆくことになる。
それが・・・「さざれ石の巌」・・・となりて・・・だ。
どうしてそうなるのか・・・日本語には人の想像力を育てるチカラがあるらしい。とても不思議なチカラ。その仕組みは宇宙的物理。
想像力とは、人の思いに触れるチカラのこと。人の痛みを感じることが出来るチカラのこと。日本語を語ることが出来る人は、根底にそういうチカラが流れている。
パン!!・・・と弾けてしまったら、頼れるのはそういうチカラだ。そういうチカラがなければ、人は動物次元に落ちてしまう。
人のチカラで解体できなければ、天のチカラが社会を解体する。システムを解体する。
人が道具を磨くように、天は人を磨き、人が道具を選ぶように、天はチカラある人を選ぶのだ。それは同時に、必要な人しか残ることができない・・・ということでもある。
未来を創るために必要な道具。意識を持つ・・・神の道具であるべき人になること・・・だ。
この「ス」の時代に、秘密保護法なるツマラナイものを振り回してるヒマなどないのだ・・・よ、ホントに。
あ・・・ひょっとして、官僚組織とグローバル資本と・・・せめぎ合っているのか・・・も、政治を使って。一般国民にとっては、えらい迷惑な話しだ。
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