兵士たちはドロのように疲弊していた。大地にへばりついたまま動こうとしない。
最前線ではすでに銃弾も尽き、援軍を待っている。しかし兵士たちは、その援軍も役には立たないことを知っていた。何故なら、世界が戦っているのは「病気」という目に見えない敵だったからだ。
自国の識者は言う「技術は格段に進歩した 病気はすでに敵ではない」
さらにメディアは言う「兵士はみな保険に入ろう それで安心だ」
誰も病気が無くなるとは言わない。無くそうともしない。
「病気」は後から後からやって来た。その「病気」がどこからやって来るのか、実は誰も知らない。「病気」が何者なのかもよくわからない。
時折、兵士たちの頭上を砲弾が飛んでゆくが、その砲弾ですらどこからやって来てどこに着弾するのか・・・誰も知らなかった。
「もういいかげん やめませんか この戦い」
ぼくはそばにいた上官・・と思しき人物に語りかけた。
「ばっかもん!! わが国が病気に喰われてもいいのか!!」
そういってしたたか殴られたぼくは、その夜とうとう脱走した。いや、戦場から逃げ出したわけではない。ぼくはそのまま前線へ走った。兵士の群れを抜け出し、漆黒の闇へ向かって走り出した。
漆黒の闇の向こうに、「病気」という敵がいるはずだった・・・いや、いると教えられてきた。その時はまだ、ぼくもそう信じていた。「病気」は敵なのだと信じていた。
その敵にどうしても聞いてみたかった。何故戦うのか・・・そして、あなたは何者なのか・・・と。
ところが・・・最初のうちは意気揚々と進んでいたが、しばらく走り回ってその戦場の広大さに愕然とすることになる。見渡す限りの荒野。
ほどなくぼくは不毛地帯を足を引きずりながら歩くことになった。
どれほど彷徨ったかわからない。何回かの夜を向かえ何回かの朝に目覚めたある日、はるか彼方にひとすじの川が見えた。ぼくは川の光に勇気をもらい、少し足取りも軽くなっていった。
ところが、やっと辿り着いた川には・・・その周囲に一本の草木も生えていなかった。
心なしか悲しげなせせらぎの音を聞きながら、ほとりに腰を下ろしてぼくは考えた。たぶん・・・この川は、川である自分を見失っているんじゃないだろうか。
川は山と海をつなぐ糸。山は自分のエネルギーを川に託し、海は川から届けられた山の力を、さらに無数のいのちに分け与える。
自然の循環が、どこかで断ち切られたのだ。
ぼくはふと、自分の歩いてきた道を思い出した。人間の戦いが生み出した不毛の大地・・・。何処までも広がる荒野・・・。
人間の戦いが大地に薬物を撒き散らし。その薬物が川を汚した。あるいは戦いのための兵器を造るために、川の流れを変え汚物を川に流した。
流れることを拒めない川はその薬物や汚物さえも海へ届けてしまう。その悲しさに、川は流れることを拒み、やがて自分をも見失ってしまったのだろう。
ぼくはおもむろに、流れる水を手のひらですくって、乾いた大地へポトポトと垂らしてみる。小さな砂埃が舞って・・・すぐ消えた。
何度も何度も同じこと繰り返しているうちに・・・もっともっと、この乾いた川のほとりを潤したくなった。
やがて・・・ぼくは川の中にザブザブと入って・・・そして、気がつくとバシャバシャと岸辺に向かって川の水を両手でかき出していた。
かき出す水が岸辺の砂に落ちるたびに埃が舞い上がる。舞い上がってはすぐに消え、消えては掛け、消えてはまた掛け・・・そうしているうちに、しだいに岸辺が潤い始める。
「ほら きみが大地を守ってるんだよ きみが大地を甦らせてるんだよ」
ほら・・・ほら・・・。ぼくはビショビショになりながら、何度も何度も川の水をかき出した。
とうとう、もうこれ以上は動けない・・・というくらい疲れはてて、川から上がって横になった。寝そべったまま川を見ると、気のせいか川面がきらきらと光り始めている。
その光に、少し自信を取り戻したような・・・川の歓びを感じて、ぼくはなんとなく幸せな気分になった。
そうだ・・・ほんとはこういうことじゃないのか?世界を救うというのはこういう・・・その先の言葉がなかなか出てこない。言葉にならないもどかしい感覚。
少しはがゆい思いで岸辺に立ち上がると、上空で・・・ヒュー・・という音がした。次の瞬間ぼくを白い閃光が包む。人間の世界から放たれた砲弾が、目の前の川面で炸裂したのだ。
水がはじけ飛び、ぼくはゆっくりと後方へ飛ばされ、ころころと岸辺の砂の上を転がった。不思議な感覚だった。時間がゼリーのように重くなって、そしてそのドロドロとした時間の中を意識が暗闇の中に落ちていった。
(いつか・・・つづく)
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