2013年8月31日土曜日

リンゴを食べたのは自己責任

環太平洋ナントカ・・・ではないが、太平洋を取りまく国々では放射能汚染が心配されている。カリフォルニアで獲れたマグロ全頭から放射性物質が検出されたらしい・・・。

そんなこんなで、汚染水の海洋投棄の実態が明るみになるにつれて・・・わかっていながらやっている・・・となれば、間違いなく保障問題になるだろうし・・・どれほどの賠償金になるのか想像もつかない。

そんな最中に原発輸出だとか・・・未だに終息していない原発をしりめにオリンピックだとか・・・。だいいち、福島原発は東京のための原発だった・・・というのに、お金の使い方を間違っていないか。

核エネルギーというのがこんなに恐ろしくて、異常で、破壊しかもたらさない・・・ということを、せっかく天から教えられているのに・・・同時に、新時代への飛躍のチャンスを、わざわざこの国に与えられているというのに・・・なんとも残念な人たち。


さて、国際情勢もいろいろ大変な状況で・・・いちいち状況分析が出来るほど達者じゃないので余計なことは書かないが・・・アメリカが勇み足で突っ込んでしまえば、上陸部隊はたぶん・・・集団的自衛権というやつで日本の自衛隊がするんだろう・・・くらいのことはわかる。

そうなれば・・・シリアと同盟関係である中国・北朝鮮・ロシア・・・のうち、どこかからミサイルが飛んできても文句は言えない・・・くらいのこともわかる。

第三次世界大戦・・・ということだが、そうはならないだろう・・・とも思っている。

何故なら、当のアメリカの様子がおかしい。戦争ビジネス華やかだったころの様子ではない。

お金でお金を生み出してきたことのツケが回ってきたのか・・・戦争被害者たちの怨念なのか・・・知らないけれど。

アメリカがそんな状況なので、途上国もそうとう揺れていると思う。中国だって今やっている権力闘争を途中でやめて、上層部はどっかへ逃げ出すかも・・・は、ないか。

その向こうにある闇のロシアのことはよくわからない。最後にモワっと出てくるのかも・・・。


話は変わるが・・・太古のむかし、人は神と一体だった。

神と一体・・・とはどういうことだろう。

たとえば・・・「エデンの園」はそういう世界のことかもしれない。
ただ、蛇にそそのかされてリンゴを食べた・・・ことになってるけれど、蛇はわざわざ人間をそそのかさない。

蛇がそそのかしたんじゃなくて、イヴとアダムが勝手に食べた・・・とわたしは思っている。おいしそうで・・・とにかく食べたくなったから食べた。その方がすっきりする。

それが自覚と自立・・・責任ということ。悪者なんて何処にもいない。

リンゴを食べたらハダカでいるのが恥ずかしくなった。「素(ス)」でいられなくなったわけだ。

「素」でいられないから神と分離した。神と繋がらなくなってしまったのだ。つまり魂の思いがうまく掴めなくなってしまったわけだ。

「良心」を見失った・・・と言えるかもしれない。

「罪」を背負うというけれど「罪」とは「積」のことで「カルマ」を背負ってしまった・・・と理解すれば判り易い。それを「経験」といってもいい。

そういう「カルマ」の波動が人生のそこかしこに残っていて、その波動が魂との響き合いを乱している・・・ということになる。

魂と響き合えないから、何をすればいいのか・・・よくわからなくて、不安に怯えたりしてしまう。

実は、魂は自分に降り掛かってくる出来事の意味をみんな知ってるので、魂とつながることが出来れば内から湧き上がってくる感情に怯えることもない。

怖れも不安も、みんな「ウチ」に・・・みんな「和」の中に取り込むことが出来る。すると自死なんて無くなるわけだ。

今、為すべきことは何か・・・知りたい感情はどういうものか・・・そんなことが、なんとなくわかって・・・感じ取ってしまう。

人生のそこかしこに残っている・・・あるいは、世界中のそこかしこに残っているカルマの波動をクリーニングできれば・・・人は太古の感性を取り戻す・・・ことができる・・・ということだ。

これが神と一体になる・・・ということだと思う。

そして・・・「ス」の時代というのは、魂とつながる時代のこと。神と人とが再び一体となる時代ということ。


人はみな、その時、その場所、その感情での何らかの波動を出していて、その波動を感じ取ることができれば・・・今、自分に必要な人々、感動、出来事・・・それらを探しに出かけることが出来る。

ま、そうなるのは何年・・・何十年先かもしれないが・・・とにかく、今わたしたちはそういう未来への曲がり角に立っている。

だからこそ、クリーニングしなきゃならない時期に、カルマをさらに増幅させる戦争なんて・・・と思うわけだ。

片方は神と一体になる未来。片方は今のまま・・・分離分断の延長線上の未来。さて、どっちに曲がろうか・・・その決定は、もちろん自己の責任において・・・ということになる。


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