2012年12月29日土曜日

桃太郎のエネルギー

誰かの幸せのためにこういうモノを造りたい、こういう知識を使いたい・・・そういう「イ」次元から放たれる意志エネルギーに導かれた物質文明ならば、これからもずっとずっと・・・宇宙レベルで進歩していくんだろう。

けれど、今のシステム・・・「ウ」次元に捉われた意志エネルギーによって大きくなった物質文明では、残念ながらもう進歩はできない。行き詰ってしまった。

宇宙生命としての循環性を失ってしまった・・・ということだ。あるいは・・・血液の危機を知らせるガンになってしまった・・・といえるかもしれない。もちろん地球人類がである。

進歩が出来ないということは、つまり文明の停止。だから、時間の停止ということ。マヤ暦がここで終わっているのは、たぶんそういうことだ。

ここでいったん終わり。そして人類は、大きなカーブを曲がることになる。自己実現から自己表現へのカーブ・・・かな。


普通、カーブを曲がるときはスピードを落とす・・・けれど、こんなに暴走している状態で、おまけにドライバーが前を見ていない・・・居眠りでもしているとなると・・・みんなガラガラとアッチの方に振り飛ばされてしまうだろう。

乗り物が大きければ大きいほど・・・積荷が多ければ多いほど大惨事になってしまう。まさに滅亡へ向かう・・・ことになる。

ところが、どんなに暴走していても、どんなに加速度を上げていても、ひとつだけ回避できる方法がある。それは・・・暴走へと引きずり込まれているクルマの・・・部品のひとつひとつが、何かに気づくこと・・・つまり目覚めることだ。

気づいた人から意識を向ける方向を変えてしまう・・・たとえそれが、自分だけで・・・身の回りに誰ひとり理解してくれる人がいなくても・・・。

目覚める人が多ければ多いほど無事に文明のカーブを曲がることができる・・・はず。

イメージとしては・・・クルマの駆動部分はズルズルと横滑り・・・それでも車体全体は、行くべき方向へ向いていく・・・まるで四輪ドリフト走行のような・・・。


桃太郎の昔話について少し・・・あのお話しに登場するおじいさんおばあさんは・・・実はイザナギ・イザナミなのだ。

だから桃太郎は、おじいさんおばあさんの思いのこもった「黍団子」をもらう。これは「キ・ミ団子」・・・である。

「桃」は「百(もも)」。本質の50音と、その運用法則の50音とでの・・・百。言霊50音図のこと・・・言霊のエネルギーといってもいい。

鬼が島の鬼の・・・「オ」は「オ」次元。経験智や知識のことで「ニ」は、その二次的なもの・・・だから科学や学問をあらわしているわけだ。つまり、物質文明であり、その文明が暴走している状態といえる。

親神のイザナキ神・イザナミ神に愛され育まれた桃太郎は、暴走する物質文明の鬼を退治して帰還する・・・が、実際は「退治」するのではない。鎮める・・・といった方が近いと思う。

その方法は?
犬は酸性で・・・「陽」。猿はアルカリ性で・・・「陰」。雉は・・・「空」。

お供をした彼らは、宇宙であり自然の法則を表しているわけだ。宇宙の法則を使うには、宇宙の心を知り、そこへ立ち返ることだ。

桃太郎は、そこへ立ち返って改めて現在の物質文明の現状を見てみた。そして、改めるべきところを改め、伸ばすべきところを伸ばしていった・・・すると、大きな平和が得られた・・・というわけだ。


このまま我欲に振り回され続ければ、人類も鬼が島の鬼と同じように、大自然、大宇宙の力によって・・・鎮められますよ・・・ということ。

桃太郎になるのか、それとも鬼のままで快楽に耽るのか・・・。今、それを問われているように思うわけです。


 

2012年12月22日土曜日

木星がキレイ

こないだの衆議院選挙について・・・何か書こうと思っていた・・・が、何故か気が乗らない。

しばらくは自民党も表立ったことは出来なくて、憲法改正やTPPなどの話しもあまり語られそうもなく・・・各メディアも出さないかもしれない。しばらくはおとなしくしておけ・・・という指示が、どこかから出ていても不思議ではないが・・・参院選まで。

ちなみに「原発」と「TPP」はセットだ。だから、どちらかを賛成、どちらかを反対・・・というのは、両方とも賛成と見て間違いない。

選挙結果を眺めてみると・・・行くべき人が、ことごとく引き寄せられて行ったなぁ・・・と、天の計らいとはすごいなぁ・・・と、改めて感心している。

彼らの行先は本道ではなく枝道で・・・その先には何も無い。過去の方向へ意識が向いたまま離れなかったのだろう。

彼らの後をついて行くと大変なことになる。過去へ顔を向けたまま、大きな変化の流れから取り残されてしまった人々だから・・・。その先には滅亡しかない。

彼らとは、もちろん勝った側の人々だ。

票数や投票率や・・・おかしなところは多々あるけれど、たとえ不正がホントに行なわれたとしても・・・そういうことを行なった人々の動きもすべて天の計らい・・・の内に入っているのだろう。


ところで、話しは変わるが「惑星ニビル」・・・という褐色わい星の話しがある。

「あんな話しは煽動だよ」・・・と思っている人もいるだろうが、わたしとしてはどうも気になってしかたがない。

ずいぶん以前からわたしにマトワリつく・・・ざわざわとした何とも言えない感覚と、耳鳴り。これは何?と、何度となく探ってみるけれど・・・ちっともわからない。

ニビルの影響?・・・なんて考えてしまう。

いや、別に心配しているのではない。もしニビルがホントならば・・・つまり老後の心配はしなくてもいい・・・ということになるわけだ。

実は、ありがたい話なのである。
あの世に逝くのが、早いか遅いかっていうだけの違いだ。大したことじゃない。


褐色わい星というのは質量の少ない星だ。だから遠いむかしに小惑星帯の軌道上を移動していた・・・という星が、ニビルと衝突して砕け散った・・・という話しはつじつまが合わない。

砕け散るのは質量の少ないニビルの方だろう・・・とも思う。

しかし、小惑星帯に突っ込んで、その小惑星を弾き飛ばす・・・ということは考えられる、弾き飛ばされた小惑星が地球に飛んできてもおかしくはない。

ようは、ニビルという星が実際にあるのかどうか・・・という話しなのだ。

「ニビル」とは「交差」するという意味で、たしかに南北の軌道をとるニビルは、他の星の軌道と交差する・・・けれども、これは「縦」社会から「横」社会へのへシフト・・・「ポールシフト」を意味しているとも取れないこともない。

ただ、最近の異常気象はただごとではない。それに、日本列島が動いているのは間違いない。
宝永の大地震から換算して、南海トラフ地震の周期が・・・もうすぐやって来る。

ありゃりゃ・・・これはまさしく、老後の心配よりも今の喜び優先だ・・・うへへ。
いずれにしても、来年の大きな変化は逃れられないだろう。

後悔のない生き方をする方が大事だと・・・本気で思っている。それには、こころの内から湧き上がる「良心」に従うこと。そういう姿勢こそが、未来へ向かう・・・姿なのだと思う。

保身や欲望や、権威や名声や・・・そういうもので心を曇らせているヒマはない。いかに自分に正直になれるか・・・そういうことなんだと思う。

魂の願いに忠実であること・・・簡単なようで、難しい。


惑星ニビルのもたらす災い・・・と関係があるといわれているヨハネ黙示録だが・・・その中に「七つのラッパをもつ七人の御使い」という部分がある。

7×7=49

先天17神と後天32神の合計・・・ともとれる・・・が、どうだろう。

「7」という数だけ見てみると・・・この「七」は先天17神が生まれる順序「ウ・アワ・オエヲヱ」までの「七」・・・かな。

この七神の言霊が生まれて後、創造八神「チ・Yi・キ・ミ・シ・リ・ヒ・ニ」が生まれ、そのあと「イザ!!」具象化・・・として「イ・ヰ」・・・「イザナギ・イザナミ」のふた柱の親神が動き出す。

これで17神となるわけだが、創造八神は固定されてるわけではなく、あちこち移動しながら「子音」としての後天32神を生み出してゆく。

古事記の内容に照らし合わせてみると・・・ちょうど、イザナミ神が身罷り、その遺体のまわりをイザナギ神がオイオイ泣き叫びながらウロウロしている場面にあたる。

ラッパが吹き鳴らされるヨハネ黙示録の場面・・・そのヤカマシさが似ているような、似ていないような・・・。

西洋ならば「カバラ」かなぁ・・・。

いやいや、想像するのは楽しいけれど・・・キリがないので、この辺でやめておこう。どうせ2月14日までには、なんとなくその実態がわかるだろう。

このところ毎日見上げている夜空・・・今夜も木星が、キラキラきれいだ。






2012年12月15日土曜日

美生物の国



直感の鋭い人は気が付いてると思うが、今回の選挙はけっこう大事な出来事になる。

固まってしまった頭を、どれだけほぐして・・・こころの内の良心を見出せるか・・・組み直せるか。

いずれにしてもウズはすでに呑みこみ始めているので、どっちに転んでも来年には大きな変化が待っている。

どういう変化が・・・どういう道が現われるのか楽しみでもある。


この国は微生物の国。だから神社には必ず「杜」・・・「自然」がある。

微生物は素粒子に近いので、ある意味「カミ」に近いとも言える。現に発酵という「カミ」のハタラキもする。

つまり、それがフリーエネルギーの正体・・・なのかもしれない、というわけだ。

彼らは人間の目に見えない世界で生きている。
だから人間の耳に聞こえない「音」も聞こえている・・・かもしれない。

人の・・・こころの声・・・とか。


世間では知られていないが、放射性物質の放出する放射線・・・これを微生物は無力にする力を持っている。

言い方を変えると、荒れ狂う放射性物質をそっと包み込んであげることが出来る。

ただ、それが放射能の危機から人類を救う・・・とは断言できない。何故なら、フリーエネルギーは人の意識エネルギーとも深い関係があるからだ。

日月神示がいう「半霊半物質の肉体」とは、外からの影響というよりも、きっと内からの変化の方が大切なのだと思う。

・・・人の意識。集合意識・・・?
多くの人々の意識が同調し始めて・・・やがて「原爆でも水爆でもビクともしない」肉体と・・・なるのか・・・な?


微生物による放射能の無力化も、物質文明の・・・資本主義などの質の低い欲望から発したものならば、たぶんよい結果は出ないと思う。

原発の放射性物質は欲望のはてに生み出された・・・人間に例えるならば、愛されることもなく産み捨てられ、グレることしか生きる道がなかった子供のような存在だ。

質の低い欲望は彼ら・・・放射性物質たちのこころをエグる刃物でしかない。

今はまだ、そんなものしか生み出せない状態なので、第一線に現われることが出来ないのだろう。

けれど、一部ではあるが着実に微生物による放射能の無力化は行なわれている。

人々の意識が変わった瞬間に・・・パタパタパタっと、何かすごい変化が広がってゆくような気がしている。それが来年・・・2013年というわけだ。


「意識」は「石の気」・・・「イソの気」「五十の気」。五十音のそれぞれの気・・・ともとれる。意識が変わることは五十音の配列が変わること。意識エネルギーの流れが変わることだ。

こころの次元が変われば、見えてくる世界も変わってくる。
エネルギーの流れが変われば、微生物たちの動きも変わってくる。

人々の意識が変わるキッカケが「大難」ではなく、徐々に変化してゆく「小難」であってほしいと願ってはいるが・・・明日の選挙・・・その先の未来への道が開かれる日。

2012年12月8日土曜日

マコトのコトバ


「日本を取り戻す」とは・・・なんとも後ろ向き・・・で、さらに「動かすのは決断です」にいたっては・・・支離滅裂。

「未来への約束」・・・が、いちばんまともかなぁ・・・未来の日本をどうするのか、が政治としての姿勢だろう、やっぱり。

・・・などと、思いながら選挙戦をながめている。

人類の歩みの中・・・そのどこかで「概念」というものが生まれた。きっと「カミ」を実感できなくなった頃だろう。「カミ」と分離してしまったので、真実の「コトバ」を見失ったのだと思う。


たとえば・・・「日本を取り戻す」。

この国では「日本」というものが何なのか、よくわからない。それは「神話」を教えることが無くなったからかもしれない。

神話の奥深さを、子供の頃に感じることは大事なことだ。

「ヤマトゴコロ」によってまとまった国でありながら「国防軍」だの「ミサイル防衛」だのを口走っているようでは、残念ながらそれはホントの日本ではない。

取り戻すべきものを間違ってはいけない。そんなことになったら、それこそご先祖様に申し訳が立たないだろう。

ここは「大和」の国。「やまと」は「たいわ」。大きな和・・・の国だ。「たいわ」と「対話」が同じ発音になるのは、偶然じゃない。


ついでに・・・「動かすのは決断です」は・・・何を動かし、何を決断するのか・・・さっぱりわからない。

右へ動くのか、左へ動くのか・・・。前へ?後ろへ?それとも斜め?・・・「動かない」という決断だったらどうするの・・・などなど。

これは文法的にどうなのか、とか・・・どうでもいいことまで考えてしまう。


ところで、人は概念的な言い回しについついくすぐられてしまう。「平等」「平和」「人権」「正義」・・・ところが、近代の戦争は時としてこういうコトバに導かれてきた。

「平等」を勝ち取るために戦い。「平和」な社会をつくるために争い。「人権」を守るために闘争し。「正義」を知らしめるために侵略する。

これらのコトバの持つエネルギーは・・・何故人を争いへ導くのだろう。


古事記の「言戸(ことど)度(わた)し」において、千引きの岩を挟んで行なわれたイザナギとイザナミのやりとりは、この概念的なコトバの流布のことだという。


イザナミ「愛(うつく)しき我(あ)が汝夫(なせ)の命(みこと)、かく為(せ)ば、汝(いまし)の國の人草(ひとくさ)、一日(ひとひ)に千頭(ちがしら)絞(くび)り殺さむ。」

イザナギ「愛(うつく)しき我(あ)が汝妹(なにも)の命(みこと)、汝(いまし)然為(しかせ)ば、吾(あれ)一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)の産屋立てむ」    (岩波文庫「古事記」より)


「人草」とは「霊(ひ)と草」・・・言霊のことだ。

「一日に千の真(まこと)のコトバを、概念のコトバに変えてやる」
「それならば、千五百の真(まこと)のコトバを産み出してやる」・・・というわけだ。


それでは・・・「真(マコト)のコトバ」とは?

見知らぬ・・・地球の裏側の国で起こったことに涙したり、感動したりするのは何故だろう。赤ちゃんの泣き声や、人の笑い声が人類共通なのは何故だろう。

それは・・・すべては根源的な「何か」につながっているからだ。みんな同じ根っこにつながっている。

人類だけじゃない・・・すべて。すべてが絶対的な「何か」につながっている。

その絶対的な「何か」を・・・わかりやすく「愛」と呼ぶならば・・・絶対的な愛。愛から生まれるコトバ。そのコトバが産み出すハタラキ・・・それを「カミ」と言う。

真(まこと)のコトバには、つまり「カミ」が宿る・・・というわけだ。



2012年12月1日土曜日

ツムガリの太刀

わたしが世間の情報を知るのはほとんどネットから・・・で、その中に流れる空気感・・・のようなものは、如実に男性性中心の・・・あるいは、男性性が造り上げた・・・世界観が崩れてゆく姿だ。

ふと・・・琵琶湖は日本の子宮・・・ということを思い出す。

「チカラ」たち・・・は最後の悪あがきをしているのだろう。さっさと散ってほしいものだ。いさぎよさ・・・は、この国の美徳のひとつだと思う。


少し前、何故か古事記のヤマタノオロチの・・・あの場面を読み返していた。

ヤマタノオロチは「八」の判断力のこと・・・ならば、八拳剣の判断力で動く生き物・・・と言えるかな?

「八」とは・・・「アカサタナハマヤラワ」の十音から、主体の「ア」と客体の「ワ」を失った、八音。

昔の人は自分のことを「吾(アレ)」、あなたのことを「我(ワレ)」とよんでいた。だから・・・「ア」と「ワ」・・・「アワ」。「泡」「阿波」・・・。

・・・このことだけでも、いろんなヒラメキ・が生まれる・・・が、それはまたいつか・・・にしよう。

主体を失い、客体も失ってしまうと・・・そうなると何処へ向かっていいのか、はたまた自分が何者なのかもわからなくなってしまう。

暗闇で右往左往していると・・・「こっちだぁ!!」・・・と、何者かがタイマツをかざす。ついて行くよね・・・やっぱり。それを「依存」というけれど・・・。

酩酊したヤマタノオロチをスサノウは十拳剣で退治する。十拳剣。これはもちろん「アカサタナハマヤラワ」という十音。完璧な判断力。

言霊の勝利・・・というか、コトムケヤワス・・・ということか・・・。

オロチノの「尾」から出てくる「都牟刈りの太刀」・・・ここでは「剣」ではなく「太刀」となっている。

「絶ち分ける」と「繋がる」という「剣」としての判断力ではない・・・ということならば・・・「断ち切る」ということを現しているのか・・・。

その部分を「岩波文庫」より引用してみる・・・と。


・・・その中の尾を切りたまひし時、御刀(みはかし)の刃毀(か)けき。ここに怪しと思ほして、御刀(みはかし)の前(さき)をもちて刺し裂きて見たまへば、都牟刈(つむがり)りの太刀ありき。故、この太刀を取りて、異(あや)しき物と思ほして、天照大御神に白(もう)し上げたまひき。こは草薙(くさなぎ)の太刀なり。


「・・・その中の尾」・・・「尾」とは後ろのことで、五十音図でみると「ワヰウヱヲ」のことだろう。だとすると・・・「その中」とは「ウ」のことになる。

「御刀の刃毀けき」・・・毀れた・・・欠けたわけだ。「御刀の刃毀けき」の「御刀」とは「十拳剣」のことだ。つまり五十音図といってもいい。

ずっと以前に「ウ」のことはちょっとだけ書いたが・・・「ウ」だけが陰陽のパートナーがいない。「ウ」とは・・・根源的な感覚、五感、欲・・・などの次元。

ここにちゃんと表されているわけだ。

・・・ということは、この「都牟刈りの太刀」が重要になってくる。

「都牟刈りの太刀」の正体・・・もう少し探ってみよう。


2012年11月18日日曜日

タイムオーバー


資本が政治を喰う・・・姿がTPPならば、TPPの受け入れは物質至上世界の最終局面・・・と言えなくもない。

最終局面・・・極まった状態での場面は古事記の中にいくつもある。


たとえば・・・黄泉国からイザナギを追いかけてくる、ウジの集ったイザナミの姿・・・ウジとは「ウ」の字のことで、「ウ」とは「産む」「動く」など・・・物質文明を象徴する。物質文明の究極が資本・・・お金だ。

イザナギはイザナミとの間に千引きの岩を置いて、境界線をつける。


あるいは、若き娘を喰らいにやって来るヤマタノオロチ。

オロチは八つの頭と八つの尾を持つ・・・これは以前にも書いた、八拳剣の世界。不完全な判断力に導かれた文明。

スサノウはクシナダヒメを「櫛」に変えて、自らの髪に刺してオロチと闘うが・・・「櫛」とは、五十音図のこと。つまり言霊の原理とともに闘う・・・ということになる。


言霊・・・五十音図はフリーエネルギーの仕組みを示しているとすると、利他共生の精神文化を持つ民族でなければまともに扱えないだろう。

「我欲」をもって扱うと「我欲」に捉われた者が集まり・・・「恐怖」を持って扱うと「恐怖」に捉われた者が集まる。

引き寄せの法則は、フリーエネルギーだけに強力に作用するはず。


そんなわけでTPPは、いよいよ目に見えるカタチに・・・顕在化してきた大きなウズのひとつと考えて間違いない。

ウズは自然に生まれるものなのでしかたないが、せめて大難を小難に変えることが出来れば・・・だからもちろん不参加であるべきで・・・。


・・・あ。気がつくと日付が変わってしまった。

  

2012年11月3日土曜日

常識的な非常識人

問責決議・・・の時に、審議なしで決められていた原子力規制委員会人事について、この臨時国会が開かれている間に再度、審議しよう・・・という話しが却下されたようだ。

その理由が・・・今は非常事態だから・・・ということらしい。

事故の終息宣言は、だいぶ前に出ていたはずで・・・ということは、今もまだ非常事態中ということになって・・・あの終息宣言は何・・・忘れちゃった、みたいな・・・。


このあいだアメリカのえらい人が来て、政府にいろいろ注文していった。たしか・・・はげ頭の怖い顔の人だ。あの顔に逆らうにはちょっと勇気がいる。

海洋の放射能汚染の賠償額・・・という話しになったら、今まで日本が買った米国債・・・全部チャラにしたって足りないぜ・・・とか。

アメリカ軍がいなくなったら、よそから攻められて日本はクチャクチャになるぞ・・・だから原発止めるな・・・とか、いろいろまとめて言われたに違いない。

ぜんぜん知らないけど・・・。

だいいち、そんなこと言われなくても、日本の政府はすでにもうクチャクチャで・・・。


日本の歴史を読み返してみると、外からのチカラ(外来派)と内からのチカラ(国粋派)という、対照的なふたつのチカラがセメギあっていたことがよくわかる。。

古くは、蘇我氏と物部氏の争いが分かり易い。蘇我氏は外来派で、物部氏は国粋派・・・といえる。

外来派は、外へ出よう、外から吸収しよう・・・という人たち。国粋派は、いや、この国には高度な文化があって、それを守り主張すべきだ・・・という人たち。

その争いは幾世代を超えて、まるで時代の呼吸のように、外に内に幾度も同じような争いを繰り返しては、今この現代に現われている。

ちなみに、順番でいうと・・・今度は内に・・・の番かな。


それは、以前にも書いた「天津金木」・・・「アカサタナハマヤラワ」の50音図が左右に分かれることにつながるような気がする。

向かって左側の「ハマヤラワ」の真ん中には「ユ」・・・こちら側は物質文明を表している。

これを「ユダヤ」の「ユ」だとあえて言わないが、物質文明の究極が資本・・・お金だとすれば、まさにその軸を失って暴走してしまった世界・・・グローバル(外来派)な戦略の姿・・・だといえる。

お金漬けにされた仕組みから抜け出るのはたいへんだ。


50音図の向かって右側の「アカサタナ」の音図の真ん中は「ス」・・・これはスセリヒメノミコトか?彼女は物質社会を表すオオクニヌシノミコトの妃でもある。

古事記に記されているように、スセリヒメノミコトはオオクニヌシノミコトに課せられた多くの試練を導き助ける。

今の物質文明社会の暴走を鎮めるには、彼女の智恵と勇気が必要・・・ということか。

「ス」は「素(ス)」のことでもあり、本来の姿を表して内なるチカラを高めようとする姿勢(国粋派)だ・・・ともいえる。

今の物質文明社会の暴走を鎮めるには、彼女の智恵と勇気が必要・・・ということか。



バラバラになってゆく今の状況は、この天津金木の50音図がバラバラになり、新たに組みなおされてゆく状況・・・といってもいい。

つまり・・・今までの常識がバラバラになる。

経済大国といわれても、人々はちっとも幸せになれない。軍事大国といわれても、人々はさらに幸せになれない。

搾取される国があり、壊される国があり・・・人を疑う社会があり、人を殺める仕組みがあり・・・。今までの常識が生み出してきたものは、ちっとも未来を良くしない。

人々を幸せにするのは、経済でも軍事でもなかった・・・ということだ。人々が目指す未来は別にある・・・ということだ。

もひとつ言わせてもらうと、今の常識の中で力のある国家や会社や・・・それらに巣くう人々は、未来の常識の中で、まったくの非常識となる・・・ということだ。あの、怖い顔の外人も・・・。

あ、そういえば・・・

非常識な常識人のわたしは・・・常識的な非常識人にでも・・・なるのか・・・なぁ





2012年10月27日土曜日

十拳剣



脱原発・反TPPの話は、この国のテレビでは流れない。保険屋さんのコマーシャルが増えたから? よくわからないが・・・。

放送業界には沢山の人が従事してるのに・・・みんな同じ主張のはずがない。しゃべっている人も、作っている人も。

もういいかげん自分の主張を放送で言ってもいいじゃないか・・・と思う。どこの政党を支持する・・・とか、誰の政策が気に入っている・・・とか。

なのに、どこの番組もよく似ているのは・・・つまり・・・この国のテレビは自分の「顔」を持たない・・・ということ。だから、カオナシ。

魂は、カオナシの人生を送りたかったのかなぁ・・・などと他人の魂の心配をしたりしている。

わたしにはカオナシの人生は送れない。どんな仕事をしていても、ちゃんと自分の顔が出てしまう。

あ・・・それで、寄り道ばかりなのかも・・・ま、いいけど。

そうそう、石原氏と小沢氏は仲が悪いそうで・・・それで、国民の生活が第一の結党パーティーの日にワザワザ合わせて、電撃辞任・・・?

いや・・・ホントのことは知らない。

けど、このことでマスコミの顔が、どっちを向いているのかがよくわかる。まず、間違いなく脱原発・反TPPでは・・・ない。

そんなふうに、今まで見えなかった社会のカタチが・・・構造が、ちょっとした出来事でよく見えるようになった。


ただ、よく見えるようになったから、正しいものとおかしなものの区別が出来るかというとそうではない。

よく見えるようになると、今度は自分の「判断力」が大事になってくる。選ぶチカラだ。

これも・・・自立に必要なこと。

自立した人が増えてくると、20世紀の常識が崩れてゆく。新しい時代へ向けての流動・混沌。今年は目に見えないところで、どんどん流れていた。

その流動の結果は来年・・・新しいカタチとして・・・どんなカタチかはわからないけれど、あちこちで生まれ始める・・・ような気がしている。個人レベルから国家レベルまで・・・さまざまに。


古事記の中に、千引きの石(いわ)を挟んでイザナギとイザナミが対峙する場面がある。

千引きの石とは結界のようなもので、イザナギの世界とイザナミの世界はココではっきりと分かれている・・・ということだ。

イザナミが押し寄せてくる西洋・・・大陸の物質至上文明だとするとイザナギは、物質至上では理解できない高天原の精神文明ということになる。

この国を食べようと襲ってきても、十拳(とつか)剣でバラバラに刻まれて・・・その正体が暴かれるわけだ。

「剣」は「太刀(絶ち)」と「剣(つるむ)」・・・絶ち分けて、組みなおすチカラ。つまり判断力を表している。


十拳(とつか)剣は「アカサタナハマヤラワ」の10音におよぶ完璧な判断力を表す。

八拳剣とは「カサタナハマヤラ」の8音で、主体「ア」と客体「ワ」を省いた判断力。原因も結果も何かわからず答えが出ない。

九拳剣とは「アカサタナハマヤラ」の9音で、客体「ワ」がない。これでは、どこへ向かうのか・・・迷走してしまって答えが出ない。


八拳剣は西洋の、九拳剣は東洋の・・・十拳剣は日本の精神文化・・・といわれている。いまこそ十拳剣で・・・この国らしい「心」を取り戻したい・・・気分だ。

 

2012年10月20日土曜日

「イ」の世界から見れば


「血脈主義」という言葉が印象に残っている。こんな言い方があるのか・・・も知らない。でも、何を言いたいのか・・・というのはウスウス分かる。

きっと・・・彼の中で「差別」というものが消化出来ていないのだろう。怯えた眼をしているのはそのせい・・・でもあるのか。

政治家として見たら、じつにフトコロが狭い。「それがどうした」・・・って、開き直ってやればカッコイイものを。

「ケンカ」しか出来ない人間には、「差別」を生み出すことは出来ても無くすことができない。


・・・などと言いながらも実は、わたしは週刊朝日を読んでいない。読む気がしなかった・・・というのが事実だが。

それよりも週刊文春(10月25日号)の記事が気になってしまった。ひょっとすると、こっちの記事を隠すためにあっちで大騒ぎしたのか?・・・もしれない。

維新の会と、それに群がる人々・・・。


・・・あ。そういう話しはやめよう。つまらない。おぞましい。


群がるといえば・・・前回、少しふれたけれど、この社会には永遠に解決出来そうもない「矛盾」がいくつか存在する。

そのひとつが医学。
病気を治せても、無くすことが出来ない。病気が無くなれば職を失う人がたくさん出てくる・・・という「矛盾」。

もうひとつは、犯罪。
取り締まりは出来ても、無くすことが出来ない。犯罪が無くなれば職を失う人がたくさん出てくる・・・という「矛盾」。

これらは底なしの螺旋を描きながら「不安」を生み出してゆく。そして「不安」はお金になる。その利権に群がってくる。手放せない。


はるか昔からこの螺旋はつづいていて、構造的にわたしたちの生活を形作っている。あまりにも日常の中に溶け込んでいるので、ちっとも気がつかない。

けれど、せめて・・・言霊の国の人々には気づいてほしいと思う。見えない世界の自分が主体で、見える世界の自分が客体。

人間が命を持っている・・・のではなくて、命の中に人間は生きている。



物質至上文明では「ウ(欲)」と「オ(経験・学問)」が極端に成長する。だからその外側に広がる「ア(芸術・宗教)」は「ウ」と「オ」の方便として利用される。

ましてや、さらに広大な「エ(徳・利他)」の世界の存在など理解出来ないだろう。


わたしたちは・・・恐らく、幼い頃から「ウ」の世界からの視点しか学ぶことが出来なかったのだと思う。そういう教育を受けてきた。だから、宗教は争いの道具となり、誰かの私利私欲の種となる。

「ウ」の世界から見えるのは「ア」の一部まで。それは・・・まるで、天動説の世界だ。


視点を主体の側・・・「イ」の世界から物事を見つめなおすと・・・なんと気分がゆったりと変化することか。

すべての世界が、くまなく見渡せる。

すべては「エ(徳・利他)」の世界を透して現われるので・・・知識や経験(オ)・欲望(ウ)は、自分のためではなくて誰かのために使われる。

人間は誰一人の例外なく、誰かのために生まれてきた・・・はず。それは、人間の身体を造っている細胞のひとつひとつの関係と同じ。

その相似象が人類で・・・地球で・・・太陽系で・・・銀河系で・・・宇宙で・・・ねむい・・・

2012年10月13日土曜日

捉われない視点で


わたしは「千島学説」を信じている。だから異常な場合を除いて、生体内で細胞は分裂しないことを知っている。

細胞は分裂で増えるのではなく、赤血球が分化して出来る。赤血球に核がないのはそのためだ。

飢餓状態に陥ると・・・たとえば断食などをすると、今度は逆に細胞は赤血球に変化する。これを可逆説というが、脂肪細胞やガン細胞などが消えたりするのはこの状態にあたる。

全身の細胞を造る赤血球は、骨髄ではなく腸壁で造られる。精神的な影響を受け易い腸は、だから血液に直接影響を与えることになる。

腸をきれいにかつ正常な状態にしておくことは、お肌・・・だけではなく、ややこしい病気を予防するためにも大切なことでもある。

「千島学説」には八大原理というのがあって、どれも目からウロコだ。信じる信じないはともかく、一見の価値はある。

そこを入り口として、いろいろと・・・人体の神秘への旅をすればいい。病気の正体が見えてくるはずだ。

病気など何処にも存在しないことが、やがてわかってくる・・・と思う。


今まで、なんとなく・・・常識的に信じていたものを、別の角度から見つめなおすことは大切だ。角度や距離を変えて見なければ、全体の形がわからない。

多くの場合、結果に結果をかぶせているので、奥にあるはずの原因がちっとも見えない。

「犯罪」が起こるから「取り締まる」・・・「犯罪」が起こったという結果に「取り締まる」という結果をかぶせている。これでは永遠に「犯罪」な無くならない。

「ガン」が見つかったから「切り取る」・・・これも同じ、結果に結果をかぶせているので再発の可能性は消えない。

ガンに関しては50年も60年も同じことばかりやっている。だいたい「早期発見」が大事・・・などと、検診車を出してから30年以上になるだろう。

ガン患者が増えた話は聞くが、死亡率が下がったという話は・・・少なくともこの国では聞かない。まるで、ガン患者の「青田刈り」だ。

なのに、相変わらず悲劇や美談を作り出している。このままでは永遠に変わらないだろう。


すべてはシステムの大きな・・・それでいてごく初歩的な間違いから生まれてくる事象だ。人類は遠いむかしに、どこかの交差点を曲がり損ねたのだろう。

あるいは・・・大切なことを学ぶために、意図して曲がったのか・・・とも思う。宇宙のチカラはある意味「非情」だから・・・。


さまざまな問題の一番根っこに、たったひとつの原因があるとして・・・その原因が事象として現われているものがあるとすれば、それは年間三万人を越えるという「自殺」・・・という問題だと感じている。

この問題が解決すれば、すべては可逆反応を示し・・・健常な血液の流れとなって還ってゆくはずだ。

2012年10月6日土曜日

いちりんのお手伝い

ある方から・・・「箸」は日本発祥だ・・・というような話しを聞いた。

少し調べてみると、幾枚かの写真が出てきた。自分で撮影したものではないので、ここでは写真を掲載することができないが・・・三内丸山古墳から出土した「刺突具(しとつぐ)」・・・あれは「箸」だろう。

それから、福井の鳥浜貝塚から出土した「刺突具(しとつぐ)」もそうだ。たしか・・・鳥浜貝塚からは、スプーンやフォークも出ている。

中国から出土したスプーンは平たいものだが、鳥浜のそれは、その反り方といい現代のものとほとんど変わらないくらいの・・・使いやすそうなものだ。すごい技術。

中国から出土した「刺突具(しとつぐ)」と同じ形状のものは、何故か「箸」で・・・これが世界で一番古いから「箸」は中国が発祥だという。

「箸」は「はし」と読む。これは日本語だ。ずっとずっとむかしから、大陸では誰も「はし」とは読まない。

縄文土器の古さを考えれば「箸」が日本発祥でも不思議はない。煮炊きした熱い食べ物を手食・・・なんて考える方がおかしい。

日本の考古学なら・・・「日本の方が古い」・・・という主張があってもいいだろうに・・・。現在の世界を見渡しても、日本の文化は世界中に広がっているのだから・・・。


「箸」のことは・・・GHQの占領政策と、ふとダブってしまう。

そういえば、先日読売新聞に「女宮」に関わるニュースが載っていたが、この問題も同じように日本の「何か」を隠そうとするGHQの政策を感じる。

一部引用すると・・・

皇室典範第12条は、皇族女子は、民間人の男性との結婚を機に皇籍を離脱することを規定している。このため、論点整理では、「皇族数が減少し、皇室活動の維持が困難になる事態が懸念される」と指摘。女性宮家創設案について「検討を進めるべき」と明記した。

・・・と書かれているが、こんなことが懸念材料ならば、GHQが行なった皇室解体を見直せばいい。解体された宮家を復活させれば、それで事足りる。

皇室の歴史は、千年をはるかに越える。

日本人の歴史観や誇りを歪めようとしているのかな・・・それは、つまり戦後GHQが行なった日本人への分断政策を今でも継承している・・・ということになる。


ところで、皇室が男子血統を維持してきたということは・・・わたしが勝手に感じていることだが・・・言霊の仕組みを維持してきた、ということにつながっているのではないか。

「言葉」というのは父韻(K,S,T,N,H,M,Y,R)が先で、その後に母音(A,I,E,O,U)がつづく。母音が先に立つと「言葉」が生まれない。必ず父韻が先だ。父韻に母音が続いて子音が生まれる。

「女宮」をつくるということは別な血統の男子(父韻)が入ってくるということだ。

ここで一言つけ加えておくが、男子血統を維持するということは、別な血統の男子は皇族になれないということ。女子は皇族になれるが男子は入り込めない・・・というのが男子血統の仕組みなので、女性差別どころか、女性優位の仕組みといえる。

話しを戻すと・・・別な血統の男子(父韻)が皇族に入るということは・・・たとえば、「か(KA)」という言葉には別な父韻(K,S,T,N,H,M,Y,R)は入り込めない。

英語なら混ざった状態の例はあるが、少なくとも日本語ではない。出来ない。そういう構造にはなっていない。

日本国内には、いたるところに言霊の装置が配置されているが、男子血統を護っていることもそのひとつだとすると?・・・言霊は宇宙の仕組み、人間の精神構造を解明し表したもの・・・それが乱れると・・・それを乱すことが「女宮」の目的だとすると・・・などなど。

いちおう考えてもみるが・・・たぶん、それももう手遅れ。言霊はすでに皇室の手を離れ、わたしたち一般の人々の中で甦ってしまった。言霊の継承者が増えてしまったのだ。

こういうことは歴史上なかった。出来なかったといった方がいいかも・・・。それは、大きな計らいの・・・内にあるもの。不思議なチカラ。

言霊の仕組みを知ってしまった人々は、何モノにも依存しない自主性をもって生きようとする。神は内にあることを知っているので、何も怖れるものがない。

逆に、言霊の仕組みを壊そうとする人々は、その内なる不安のために「依存」を強要し、何も怖れない人々を・・・怖れる。

そんな彼らでも、ひとつの大事な役割を担っている。硬直した世界を、一度バラバラにする仕事。それはたぶん、彼らにしか出来ない。

社会がバラバラになることは、言霊配列がバラバラになること。一度バラバラにしてから、もう一度作り直す。天津太祝詞音図を、もう一度宣り直す。

・・・此く宣らば天津神は天の磐戸を押披きて・・・と、大祓祝詞にも宣られている。

彼らは、知らないうちに「一厘の仕組み」のお手伝いをしている・・・ということだ。

2012年9月29日土曜日

「たかまはらなやさ」再考

「ア」という主体と「ワ」という客体をつなぐ天の浮き橋の並びが「タカマハラナヤサ」・・・となると分断がなくなる。分断が無くなり調和へと向かう。これを「天津太祝詞音図」という。

「ア・タカマハラナヤサ・ワ」の五十音図を書いてみて「ア・カサタナハマヤラ・ワ(天津金木音図)」のそれと比べてみると、いくつかの興味深い違いが見えてくる。

「ア・カサタナハマヤラ・ワ」の天津金木音図は真ん中で別れる。「アカサタナ」と「ハマヤラワ」。

「アカサタナ」・・・明(あか)き悟りの田を成せ。(田とは言霊音図のこと)
「ハマヤラワ」・・・端(は)をまとめて八つに並べて和せ。

前は精神世界、後ろは物質世界・・・精神世界の側の真ん中には「ス」が入り、物質世界の真ん中には「ユ」が入る。

宮中行事である新嘗祭や大嘗祭での「主基田(すきた)」「悠紀田(ゆきた)」は、この言霊世界を表しているのだろう。

天津金木音図では分断されている「ス」と「ユ」が、天津太祝詞音図では向かって左の隅っこに仲良く並ぶ。

もうひとつは「キ」と「ミ」だ。これも天津金木音図では分かれてしまっているが、天津太祝詞音図になると、今度は右側に並んでいる。

「キ」は「気」、「ミ」は「身」・・・と「君が代」の記事に書いた。見えないものと見えるものが、仲良く手をたずさえて歩んでいこう・・・と。

言霊音図には、天津太祝詞音図(アマテラス)と天津金木音図(スサノウ)の他に・・・ここでは説明はしないが・・・赤玉音図(ツクヨミ)、宝音図(ツキヨミ)。それとそれらの基本構造をしめす天津菅麻(アマツスガソ)音図(イザナギイザナミ)とがある。

言霊音図は、社会の事象を判断するのに便利だ。あるいは、人間の行動や思考・・・つまり、コイツはどういう考えで動いているのか・・・なども含めて・・・。

縦の五音は空間・次元を表し、横の並びは事象の時間的変化を表す。天津太祝詞音図の縦は「アイエオウ」。

それぞれの音図に当てはめてみると・・・現代の社会情勢は、間違いなく天津金木音図に当てはまる。それもずいぶん偏った・・・極まった感がある。

言霊の仕組みを(人間の精神構造)解明したということは、遠いむかしに高い精神性を持った人々がいたことは間違いない。

なのになぜ・・・世界が物質至上に動き出したのか、数千年もむかしのことなので・・・わたしには実感としてわからない。高い精神性のままの方がしあわせなのだろうに・・・と思ってみたりもする。

それでも宇宙は常に生成発展しているので、物質至上世界で・・・分離分断での競争社会がどういうものなのか・・・知りたかったのかもしれない。

誰が?

・・・宇宙が? ・・・「いのち」が?

                       高天原成弥栄 高天原成弥栄




2012年9月15日土曜日

ふたりのヒメ


中国では大変なことになってるようだ。

イスラム諸国における反米と・・・現われ方は違うけれど、どこか同じ臭いがしている・・・いろんな意味で。

しかし、石原都知事も・・・どんな裏があるのかは知らないが・・・しょうもない事をしたものだ。14億集まったというけれど・・・日本企業の損益はそれどころじゃ済まないだろう。

中国当局は騒ぎを大きくしたくないようで、ネット記事の削除が尋常ではないらしい。
ま・・・その手の抑圧は、いつも尋常ではない国だけれど・・・。

たとえ当局が抑え込もうとしても、この騒ぎはもう少し大きくなるような気がする。

デモ隊には日当が出ている・・・とかいう話しも聞こえるし・・・だいいち、高級品や食料などが、タダで手に入るのだから・・・。

「ウ」次元の負のエネルギーが強力になればなるほど、時代の転換は大きく加速する。欲や保身に駆られた「我よし」の人々は、たぶんその役目を担っているのだろう。

「ウ」次元は主に西洋が、「オ」次元は主に東洋がその舞台で、やがて人類は「エ」次元へと移行するはずだが・・・なにぶん「ウ」次元と「オ」次元が強すぎて・・・なんとなく「ア」次元が歪んでしまったような気がする。

「ア」次元が素直に広がっていかなければ「エ」次元への移行は困難だろう。自己と他者が分裂したままだと上昇できないと思う。

その「エ」次元を担っているのが日本ということだが・・・だいじょうぶかなぁ・・・。

政治・経済・・・見ていると、どいつもこいつも「ウ」次元の亡者のような・・・あるいは「オ」次元の邪鬼のようで・・・。

そういうわたしも・・・たいしたモンでもないのだが・・・けれど、だいじょうぶだ。すでに一厘の仕組みは動き出している。その現われが今の世界の動きなのだと思う。

世界を見ながらふと、古事記の一場面を思い出した。それはニニギノミコトが姉のイワナガヒメを追い返して、妹のコノハナサクヤヒメと一夜を過ごす段。

このコノハナサクヤヒメとは・・・コの葉名を裂く・・・ともとらえることが出来るので、社会のさまざまなものを分離・分断してゆく「新自由主義」を表しているともとれる。

イワナガヒメを返してコノハナサクヤヒメだけを選んだので、父親のオオヤマツミノカミは「・・・木の花のあまひのみまさむ」(命は、木の花のようにもろくはかないものになるでしょう)と言う。つまり、この時をもって人類の命・・・寿命が短くなったというわけだ。

ところが、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメの姉妹を、ともにおそばに置いておけば・・・雪が降ろうが雨が降ろうが、いついつまでも岩のごとくに動じることなく、木の花の咲くごとくに栄えると言う。

このイワナガヒメとは「五十名が秘め」ととらえることが出来るので、言霊五十音のことだろう。

物質文明の極ともいえる新自由主義も、言霊五十音の精神宇宙が備わっていなければ、ガラガラと崩壊してしまう・・・というわけだ。

 

2012年9月8日土曜日

「渦」を見ながら


人は「福」を求めるが、この「福」とは「腹霊」のことで、お腹の中に住んでいる「欲望」のことでもある。

見えない思いが具象化してゆくエネルギーを孕んでいるわけだ。だから「欲望」がなければこの世もつまらない。

けれど、ずっとずっと昔・・・何かのキッカケでその「欲望」が暴走してしまった。つまり、それが物質至上。拝金主義・・・などという姿になってしまった。

たぶん「徳」や「慈しみ」を見失い、見失ったまま「欲望」を解き放ってしまったのだろう。

節分の時に掛ける「鬼は外、福は内」・・・という掛け声は、そういう暴走した「欲望」が生み出したものだ。

この場合の「鬼」は人間の本来の心・・・「良心」といえる。

「欲望」を満たそうとするときに「良心」が邪魔になるからウシトラに閉じ込めて「戸」を閉めてしまった。だから「鬼は外」。

それがウシトラ金神。金神の金は「神音(かね)」・・・おそらく言霊のことだろう。言霊五十音図ともいえる。

やがて「ウ」の戸が開いて、閉じ込められていた「良心」が世界に溢れ出す。それはつまり「人間とは何者なのか」という問いでもある。

角度を変えて見れば・・・「人間とは何者なのか」という問いを求められる出来事が、世界に溢れ出す・・・と見てもいい。

さらに「人間とは・・・」という問いは同時に、自分は何者・・・という問いかけでもあり、さらに自分は何を為すべきなのか・・・為すべき勇気はあるのか・・・という実践的な行為を求める呼びかけでもある。

すでに世界は・・・「どうなる」という時代から「どうする」という実践的な時代に入った。

何を実践するのか、どう形にするのか・・・それは世界に、あるいは心に溢れ出し始めている「良心」が導いてくれる。

さて、世間は凄まじいほどの勢いで渦巻いているが、これはすべてを真ん中に戻そうとする宇宙の法則が起こしたものだ。よほど偏った方向に人類は突き進んでいたのだろう。振り子は途中で止まれない。

わたしは少し離れたところで・・・常に真ん中を意識しながら・・・心地よい「良心」に身を任せて、大きな「渦」を見ている。自分の出番を待ちながら・・・。

2012年9月1日土曜日

みんなわかっていた



写真は、昨日の朝・・・の瑞雲。
・・・といいたいところだが、今のわたしにはそんなに素敵には見えない。

どうしてもエアゾルに見えてしまう。ケムトレイルという余計な知識が入ってしまって・・・いつのまにかわたしは、「邪」にしか見えない悲しい人間になってしまったみたいだ。


ACTAが強行採決・・・というよりは抜け駆けの採決ということになった。そして来年はTPPの年。

ケツに火がついた中国と韓国は、日本を悪者にして自国民をごまかしているが・・・それはきっと別の存在からの差し金で・・・チクチクとこれから突いてくるのだろう。

日本国内にあるウォンを売り飛ばしてしまえばいいのに・・・それとも買い占めるか?
金持ちの日本なら、そんなことも出来ると思うが・・・この国の中にも一緒にダンスをするヤカラがいるんだからしかたがない。

あの・・・維新の会は、どう見ても新自由主義の子供で・・・敵を作っては金儲けを企んでいる・・・ようだ・・・と、ここでは言葉をにごしておく。

ほんとにいろんな方面から仕掛けられているような日本。「日月神示」の中にもそういう御筆書きがあったが・・・はっきり思い出せない。

とうとう、日本のホントお役目がやって来た・・・と感じている。


「アオウエイ」を天の御柱といい、左側の「ワヲウヱヰ」を国の御柱と言う。天の御柱は主体であり、国の御柱は客体となる。このふた柱は、互いの存在を知らない。

余談だが、むかし山梨のとある山間を散策していた時のことだ。
里人もめったに通ることもないだろう小橋の下で、一本の月見草と出会った。

その時、始めてわたしは植物と・・・月見草という花と会話を交わした・・・と感じた。

天の御柱と国の御柱の関係は、ちょうど・・・人に見られることのない月見草と、その月見草の存在も知らない人間のようなものではないだろうか。

そのふたつの存在をつなげるのが天の浮き橋・・・「キシチニヒミイリ」の八音だ。
この八音を創造八神といい、物事が具象化してゆくための道を切り開く。

父韻というのは日本語では目に見えないが、ローマ字書きにすれば現われる。
「K・S・T・N・H・M・Y・R」

この父韻と天・国のふた柱の母音とが出会い子音を産む。子音の数は三十二音。
この三十二音が、事物を具象化する言霊・・・後天三十二神。

言霊五十神は、それぞれのエネルギーを放ちながら、その配列を変え人間のこころの構造を表し、万物を生成し、人間の意識宇宙をも創造してゆく。

五十音図を造ったいにしえの人々は、人間の心の構造を解明し、意識宇宙の個性を見極め、万物の最小単位まで知っていた。

宇宙レベルの科学をもちながら・・・いつの頃かわからないけれど、何らかの事情で、客体中心の・・・つまり物質至上の人々にその地位を明け渡し、地下に隠れた。

・・・何故だろう。

さらにその言霊が・・・言霊の参考書といわれる古事記の編纂1300年という節目に甦ってきた。

この意味は・・・?

宇宙エネルギーのハタラキを解明した・・・ということは、時空の構成要素もわかっていたかもしれない。ならば・・・数千年の未来の人々が、言霊の存在に気がつくことも・・・知っていた可能性があるのではないか。

こうなることは・・・わかっていた?



2012年8月25日土曜日

「あおうえい」にしよう。


極東に火種があれば軍事予算を確保できる・・・と、いうことだろう。ハンドラーたちにとっては・・・ひょっとしたら、ゲーム感覚かも・・・。

宣戦布告と同じ意味を持つと知りながらあんなことをした大統領は、きっと自分のケツに火がついていていて・・・ひょっとしたら、ヤケクソになっているのかも・・・。

911の時のような自作自演の出来事を起こして、うまく軍事予算を手に入れたとしても・・・ひょっとしたら、今回はそれ以上のツケを、逆に自分が払うことになるかも・・・。

なぜかというと、ヤマタノオロチの体内にはツムガリの剣が眠っているからだ。


宇宙に横たわる法則は、遠い過去から遥かな未来まで変わることが無い。だから、その循環の中で・・・あるいは、繰り返す波のように・・・人類がそのことに気がつくまで、同じような出来事が繰り返される。

それはつまり・・・古事記の中には、この国の未来が書かれているということでもある。


ところで、日本神話を学校で教えなくなったのはGHQの政策だが、それは明らかに日本民族の衰退、消滅を目論んだものだ。

ひとつの民族を堕落させるには、三つの柱のどれかを骨抜きにすればいい。三つの柱とは・・・自然観・死生観・歴史観。

日本はこのどれもが際立っていた。
かのトゥインビーが言うように、神話を失った民族はホントに100年以内に滅びるのかもしれない。


あるいは・・・民族という分類が無くなり、人類は「ひとつ」になるのか・・・いや、それはない。民族は別々だからこそ「ひとつ」の意味がある。

なぜなら・・・「ひとつ」になれば「調和」という、人類の最終目標を見失うことになるからだ。

「調和」は、この次元での最上の愛・・・と言ってもいい。それは、グローバリゼーションでもニューワールドオーダーでも叶えることはできない。

あなたとわたしとは別のものだからこそ「調和」できるのだ。


さて・・・「アイウエオ」の配列は「ウ」が中心だが、これは「欲」が・・・良きにつけ悪しきにつけ物事の判断の中心になるということだ。

「イ」・・・生きるために・・・「エ」・・・選ぶことは・・・「ウ」・・・欲が元になっている。

だから、感情(のア)も理性(のオ)も遠くに置かれてしまう。

肉体を持って、なおかつ人間には元来向上心があるので「ウ」が・・・今はまだ中心でいいのだが、それならばいっそのこと、まっさらの気持ちから生まれた「アオウエイ」の配列に変えてしまえばいい。

理性の「オ」が先にあって、徳の「エ」が後ろを固める。そうなればきっと「欲」の形も変わってくるだろう。生み出すモノも変わってくるはずだ。

この「アオウエイ」の配列を天津菅麻(あまつすがそ)という。清々しい衣・・・という意味らしい。

感性のヒラメキ(ア)に理性と経験智(オ)が反応し、それに必要なものを生み(ウ)出し、徳(エ)をもって生きて(イ)ゆく・・・なかなかいい感じだ。

スキのない国家には、余計なチョッカイなどされないと思うのだが・・・あ、そうか。今回のチョッカイは・・・日本が金持ちだからか・・・な?


2012年8月18日土曜日

連日のあらし


少し長めのお盆休みをしていたら、世界ではいろんなことが起こっていた。
・・・というか、いろんなことが起こっているように見える。

異常な交通事故に始まり、いじめ問題・・・オリンピックに竹島、尖閣。

あまりにも目まぐるしくトンでもないニュースばかり流れるので、こういう時は少し離れて見てみる方がいい。

ある放送局のエライ人が、いつだったかこう言っていた・・・「あたたかいニュースを集めても誰も見ないんだよ」

・・・だから、不幸で悲しく・・・不安なニュースを選んで流すわけで・・・つまり、視聴者というものはそういうもので、視聴率の上がらない番組はお金にならなくて、お金にならない番組は作る価値がなくて、お金になる番組を作るのが自分たちの仕事なのだ・・・ということを暗に含んでいる。

それがテレビ番組の・・・特に報道番組の作り方というわけだ。

別に、放送業界に限ったことでもないけれど、こういうのは「出発点」が間違っているので、どこまで行っても満足できる作品・・・仕事にはたどり着けない。

視聴者のためじゃなく、自分のためにつくっている・・・ことに気づかない。
自分・・・といっても「保身」のためで・・・こういう姿勢でいると利用され易い。何に利用されるかというと「洗脳」だ。国民を誘導する道具に使われるわけだ。

ブヨブヨになってしまうと、もう方向転換が出来ない。危ないと思ったら飛び降りるしか助かる方法はないってことだ。

利用されたマスコミが大騒ぎしている影で何がどう動いているのか・・・聞くところによると、メンタルヘルスの義務化なる法案が作成されているとか・・・。

これは、精神病の健康診断・・・である。あなたは大丈夫ですか?・・・っていうのを調べるわけだ。向精神薬の流通を促進する・・・合成麻薬の促進だ。自殺者や異常犯罪の増加。そしてもちろん医療利権。

他にもトンでもない何かが動き出している気がするが、マスコミは他のニュースに忙しくて、肝心なニュースまで手が回らない・・・ということになっている。

この国を、国民ごと欲しがっている・・・のか?

ずいぶんアセっているようだ・・・けど、もう手遅れだ。彼らは空中分解する。みんな宇宙の法則の中に生きているのだから。


さて、今日も嵐だ。カミナリが凄まじい。高層域と中層域の気圧が違うのだろうか・・・。寒気が上空に入り込んでくる・・・と、天気予報では言っていた。

なんとも不思議な毎日で・・・おかげで、大きく育ったゼラニウムの枝が雨の勢いで折れてしまった。

実はこのゼラニウム、娘が持って来てくれた苗を・・・その強靭な生命力で護ってくれたようだ。


あ・・・気がつくと、カミナリが遠ざかってゆく。

2012年7月28日土曜日

自立機運



先ほどまで、ニコ生で孫崎氏×天木氏の対談を見ていた。戦後、いかにこの国の自立は拒まれていたか・・・その拒んでいたのが、実は自国の者だった・・・という。

だが、それはこの国の国民性をよく理解した政策をGHQは行なっていたからだろう。財界やマスコミを使って、実に巧妙だ。

けれど3.11以降、その流れも大きく変わりつつある。今まさに日本中で自立気運が高まっている。官邸前のデモは、その象徴的な例だ。

自立とは自らの「良心」に従って生きること。お金を稼ぐことでも人を集めることでもない・・・自分の「良心」に従えるか、貫けるか・・・。

「良心」がどういう作用を人々に及ぼすのか・・・その作用、反作用の現われ方を言霊は、前もって教えてくれる。だからこそ言霊は「母親」に喩えられるのかもしれない。数霊はその背中に、言霊はその言葉に・・・人としての生き方を学ばせてもらえる。

言霊は、この国だからこそ今に残った・・・のだとわたしは思っている。だからこそこの国は重要なのだ。世界を感謝系のエネルギーで満たせるのは、この国において他にない。

それにしても、わたしたちの自立を拒もう・・・という動きをあちこちに感じる。よほど自立してもらいたくないようだ。それとも、もっと大きな学びを用意しているのか・・・。

揺れる振り子が、片側に来たときに一瞬静止するように・・・極まった闇から光へ転換するその極で、ドロっと・・・数年間、止まってしまうような気さえする。

その静止状態をつくるために用意されているものに・・・さまざまな法律がある。マイナンバー(背番号制)、共謀罪、ダウンロード規制、消費税増税、TPP・・・。

そうそう、今朝から始まった福島での除染などは、ほんとに胡散臭い。

いまだに原発では放射性物質が大量に出続けているのに、そこへ除染はないだろう。ただちに再除染しなければならない理屈は子供でもわかる。

そのたびにお金を払う・・・ゼネコンにお金を流すために開始した除染ということだ。

微生物による放射能の無力化という方法を知らないはずはない。何をそんなにあせっているのだ。

除染は、生態系までも破壊する。自然と闘うことは愚かなことだ。自然に感謝こそすれ、牙をむいてどうするというのだろう。

2012年7月21日土曜日

「永遠」の命



わたしたちの身体は目に見えないもので出来ている。同時に、わたしたちの意識も目に見えないエネルギーで揺れている。

目に見えない命は、ゆらゆらと揺れながら・・・目に見えない世界で「永遠」に続いてゆく。そう、目に見えないものと同じように、わたしたちの命も「永遠」に続く。

「永遠」はこの世の言葉で正確に表現できない。「永遠」は動かない。動かずに、じっとわたしたちを包んでいる。

さらに言うと、わたしたち一人ひとりがそれぞれ「永遠」の命を持っているわけではない。わたしたちは「永遠」の中の・・・一部の「永遠」だ・・・ちょっとややこしいか。

銀河系が宇宙の一部でしかないように、わたしたちも全体の一部・・・つまり「永遠」の中の「個」としての「永遠」だ。

それでも「永遠」である以上、わたしたちは「永遠」を使うことが出来る。それをフリーエネルギーという。

フリーエネルギーは「永遠」なので無くなることがない。無くならないから、誰もお金を払わなくていい。フリーエネルギーを使って食べ物をつくると、食べ物も無くならない。だから、飢餓や奪い合いも存在しない。争いもおこらない。

上古代の人々は、そのことを知っていたはずだ。「永遠」についても、かなりの所まで読み解いていたと思う。

ところが・・・「永遠」は「永遠」に拡大するので、次の「永遠」へ向かおうとする・・・もっとややこしい。

次の「永遠」に向かうために・・・遠い昔「永遠」は、人間に「限界」を与えた。楽園は罪だと教えたのだ。「邪」である。邪気が入り込んで、分離が始まった。

古事記でいうと・・・「コノハナサクヤヒメ」と「イワナガヒメ」の部分かも・・・。ニニギノミコトは彼女たちを「美」と「醜」という邪気の目で見てしまった。そのときから人間には寿命という、命と肉体の分離が生まれた。

人々がバラバラになっても、意識の高い人々は「調和」しようと努力したが、分離のために発生した不安と恐怖のエネルギーが地球を覆っていった。

さらに不安と恐怖のエネルギーをエサとする何者かのチカラが後押しをして・・・人間の意識世界はとんでもない彼方まで流れ着いてしまった。

けれど、宇宙の法則がその暴走にブレーキを掛け始めたので、やがて引き戻しが始まる。

「永遠」を理解している人々は、そのことを感じているはずで・・・引き戻しのチカラが少しでも穏やかになるように・・・さまざまな場面で動き始めているはずだ。

今、世界では何が起きても不思議ではない状態だが・・・「永遠」は、わたしたちが存在しようが消えてしまおうが・・・そんなこと気にしない。「永遠」は動かないのだから・・・。

わたしたちの方が「限界」から「永遠」へと・・・「分離」から「調和」へとシフトすれば、さらに拡大するだろう「永遠」とともに・・・ひょっとしたら、肉体を持ったまま「永遠」の命を生きれるかもしれない・・・ぞ。


2012年7月14日土曜日

不思議な国


この国の神社ネットワークは他国に例を見ないが、これは大陸の文化が入ってくるより以前からこの国に存在していたはずだ。単純に考えても奈良・飛鳥以前には、すでに神社のネットワークが存在していた・・・と見るべきだろう。でなければ、大陸にも「鳥居」が存在していなければならない。

天武天皇が国書を編纂しようとされたのは、この国の埋れた何か・・・すでにその頃には、上古代の文化を理解・解釈できる人はほとんどいなかったと思える・・・を残そうとされたからではないか。天武天皇は吉野から伊勢へと逃れられた過去がある。それは古代の文化を残す人々と接する機会が多くあった・・・ということでもある。

古事記には言霊・・・つまり、宇宙の法則が記されている。フリーエネルギーについて・・・と言ってもいい。それは「無限」の仕組みだ。

上古代の・・・今風に言えば、超古代の科学(智恵)を神話のカタチとして残した。それは最良の方法で、そのお陰で現代まで残った。まさに奇跡だろう。これはその編纂に関わった太安麻呂や稗田阿礼たちのチカラと言ってもいいと思う。

大陸から支配的な・・・縦の文明とわたしは表現するが、チカラの文明が押し寄せてきたときに、上古代の人々は地下に潜ったのではないだろうか。何故なら、彼らは宇宙の理(ことわり)を知っていたからだ。

それはフリーエネルギーの正体のためでもあり、止めどない宇宙の願いでもあったろう。

宇宙には中庸に戻そうとする働きがある。何かに偏れば、それを元に戻そうとするのだ。たとえば、海が不純物に澱み始めると、自然は大きな渦をつくり海水を攪拌する。・・・台風だ。攪拌し、空気を中に取り込み、海水を再生させようとする。

海を汚せば海は荒れる。大気を汚せば大気も荒れる。つまり、天変地異は地球の浄化のシステムといえる。もちろん、人間のネガティブな感情もそういう宇宙の法則には逆らえない。

上古代人は地に潜り「イノリ」によって、チカラの文明に取り込まれた人々の争いや欲望の「気」を中和しようとしたのだろう。いつの日か、地上に暮らす人間たちが宇宙の理(ことわり)の存在に気づくことを信じて・・・。

そういえば、上古代の人々は「気」を感じ取ることが出来た。その「気」の流れをカタチに・・・平面に表したのが「流体文字」で、そこから「かな文字」が生まれたのかも・・・。

話しを元に戻すと・・・日本は中庸の国で、それは宇宙の理(ことわり)を現してもいる。

国民性にも現われていて・・・この国は2回の原爆実験(種類の違う爆弾を使ったのは、それぞれの影響を調べるためだとわたしは思っている)をされ、なおかつ都市への爆撃で10万人以上の民間人を無差別に殺傷されていながらも、アメリカと仲良くできる・・・信じられないほどだ。

ホントに不思議な国なのだ、この国は。

実は、これこそが中庸であり、人類が最終的に目指すべき「調和」でもある。その「調和」こそが、この次元における「愛」の最高の形。それは同時に、宇宙の願いでもある。

ところがテレビや新聞は何故かこの「調和」を嫌うように、いつも不安を吹聴しているが・・・おまけに政局はドロドロと溶け始めているようで・・・けれどそれは、先ほどの海の浄化と同じで「攪拌」が必要なのだろう。

政局の攪拌台風がどれほどのものか、ちょっと気になるが・・・上古代の人々の「イノリ」は、時空を越えてわたしたちの内なる宇宙にも届いているはずだ。不動心が芽生え、良心に従う・・・そういう人が確実に増えている。

政府は壊れても、この国はけっして壊れない。

言霊のことを知れば知るほど、深い感謝と静かな安心感があふれ出してくる。


2012年7月7日土曜日

ヒッグス粒子発見に思うこと


前回の臨時更新の中で・・・

「思い」がこの世に具象化するまでには・・・「先天十七神(17音)」と「後天三十二神(32音)」プラス「一神(1音)」の力を必要とする。

と、書いた。その翌日くらいに、素粒子の「ヒッグス粒子」の話しが届いていた。なんとも不思議な偶然だと、びっくりしている。

最初に質量を与えた粒子ということで「神の粒子」と呼ばれているらしい。「神」としての意味はたぶん違うだろうけれど・・・わたしの感じていることに近い表現だ。

日本経済新聞の社説を引用させてもらうと・・・「素粒子は宇宙誕生の直後に生まれ、最初は質量をもたずに光速で飛び回っていた。そこに水あめのようにまとわりつき、質量を与えたのがヒッグス粒子とされる。」

宇宙には最初「陰陽」がなかった・・・つまり質量がなかった。「ゼロ」だった。その宇宙を「愛」と言い換えてもいい。「愛」の質量は「ゼロ」だ。陰陽を持たない。

その「愛」に「情」が加わって初めて質量が生まれる。質量が発生すれば同時に「ハタラキ」が生まれ、この「ハタラキ」のことを「神」という。

・・・だから「神の粒子」・・・ちょっと違うような気がしないでもないが、まぁいいか。

「情」をかける・・・とは、「質量」をかける・・・ことで、「質量」をかけるとは、「圧」をかけること。「思い」の「圧」・・・をかける。密度が変われば「ハタラキ」が動く・・・「神」が動く。

言霊数での「17」は・・・「と」だ。これは「戸」のことかな? 岩戸の戸・・・「17」が開く?

言霊は宇宙レベルの科学だ。それは間違いない。今、人間の科学は言霊の足跡を証明しようとしている・・・のかそれとも、別の形で真実を捉えようとしているのか・・・「いのち」の所在をも見つけられない人間の科学では真実に届きそうにない。

人間の科学は産業なくして成り立たない。新たな発見は新たな産業分野を産みだすわけだ。けれど、産業のシステムは人を幸せにはしてこなかった。それは歴史をみれば・・・歴史どころか今の世界の現状を見ればよくわかる。

そのことについて、実にわかりやすい記事が、さきほどの日本経済新聞の社説の次の部分にあるので引用してみる。

7月6日 日本経済新聞社説から引用

前文略

CERNは日本からの140億円を含め、総額1兆円を投じて1週27キロメートルの巨大な加速器を造り、数千人の科学者が参加した。別の粒子を猛烈な勢いで衝突させる実験を千兆回以上繰り返し、ヒッグス粒子の痕跡を探し当てた。

自然の因果を説く理論を築き、実験で裏づけ、理論をさらに工業製品に応用する。基礎科学はこうして技術の進歩に役立ってきた。新粒子を産業応用できるかは未知数だが、理論が実験でほぼ確認され、基礎科学は面目を保った。

理論の土台作りではノーベル賞を受賞した南部陽一郎氏らが貢献した。実験には日本から科学者が100人以上加わり、企業も加速器の部材などを提供した。歴史的な発見に日本が深くかかわったことは誇りにしたい。

自然界はなお不思議にあふれている。宇宙は「暗黒物質」とよばれる未知の物質などで満たされているとされ、いまの理論では説明できない。今回の成果で物理学は新たな出発点に立ったといえる。

一方で、その解明に挑む実験装置は巨額の資金が必要だ。基礎科学の重要さは変わらないが、先進各国の財政が厳しいなか、研究テーマの選別が不可欠だろう。

注) CERN・・・欧州合同原子核研究機関

引用終わり

・・・理論を築き、実験で裏づけ、理論をさらに工業製品に応用する・・・わけだ。そうしてきた結果が、不毛の大地を生み出し、飢餓を呼び、難病奇病に苦しみ、途上国への搾取を繰り返し・・・というシステムを作り出してきた。

最後に述べられている・・・先進各国の財政が厳しいなか、研究テーマの選別が不可欠だろう・・・ということは、お金にならない研究は必要ないということだ。逆に言うと・・・ヒッグス粒子はお金になる・・・か?

せっかくの夢のある発見も興ざめしてしまうようで申し訳ないが、そんなふうに捉えてしまうわたしの根性がひねくれているのだ。

人間はその技術力に溺れてしまうときがある。まずは技術力よりも「こころ」の進化が先だと思うわけだ。まして、素粒子の領域となれば人間の意識エネルギーにも影響する。ひとつ間違えば、とんでもない作用を引き起こす・・・引き寄せる可能性がある。

・・・というよりも、地球が・・・宇宙が反作用を起こすかもしれない・・・。

「こころ」の進化が見られないうちは素粒子の解明もおぼつかないとは思うが・・・おぼつかないとは中途半端ということで・・・たとえば、ホントに超古代文明があったとして・・・ムーやアトランティスや・・・それらの文明が自らの中途半端な科学力に滅んでいたとしたら・・・。

早く多くの人々の「こころの戸」が開いてほしいと思う。「こころの戸」が開くとは「不安」が無くなるということだ。「不安」や「恐怖」が消滅するということだ。

そういうものを消滅させるために言霊のエネルギーを使う。そうすると、やがてみんな「自由」になり「調和」が広がるのだ。

2012年7月2日月曜日

「君が代」についての補足(臨時更新)


「君が代」が護り歌であることについて、少し言霊から説明しておこうと思う。

「思い」がこの世に具象化するまでには・・・「先天十七神(17音)」と「後天三十二神(32音)」プラス「一神(1音)」の力を必要とする。

詳しくは言わない。今は「君が代」についてだけ述べてみる。

和歌が三十一文字なのは、歌い終えて最後の三十二文字目に自分の「思い」が入るためだ。見えない思い・・・を載せて歌う。

だから、歌(思い)をくれた人への返し歌・・・という文化が生まれた。

つまり、三十二音の絵の中にひとつ分だけ窓が開いているわけだ。そこに自分が入るのだ・・・人も神・・・余韻と言ってもいい。

ところが「君が代」は、最初から三十二音なので窓がない。窓がないから入れない。

誰も入り込めないように歌われているのが「君が代」なのだ。誰も入れないから「護り歌」となる。

あたら疎かには出来ない歌なのだ。


2012年6月30日土曜日

夏越の祓いに寄せて


六月三十日は夏越(なごし)の祓いの日だ。ちょうど一年の半分。旧暦ならば・・・たしか今年は八月の半ばあたりになるはず・・・まさに夏越のとき。

(引用)・・・六月の大祓を夏越(なごし)の祓と呼びます。大祓詞を唱え、人形(ひとがた・人の形に切った白紙)などを用いて、身についた半年間の穢れを祓い、無病息災を祈るため、茅や藁を束ねた茅の輪(ちのわ)を神前に立てて、これを三回くぐりながら「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」と唱えます・・・(神社本庁hpより)

穢れを祓い清めるとは・・・邪気を祓い清めることと思う。邪気とは、邪(よこしま)な意識のことでいいかな。

邪気に捉われると何故か全体が見えなくなってしまうので、その状態を・・・もとの中心であるべき場所に戻せよ・・・というのが祓いなのだろう。

意識を中心に戻すのはそれほど難しくはない。偏っている自分に気づくだけで、ヒョイ・・・って簡単に戻ってしまう。

茅の輪(ちのわ)をくぐるのは、そのキッカケをつくるため。生まれ直す・・・ってことでいいと思う。輪の真ん中をくぐるのは、「輪」・・・「渦」の真ん中をいつも意識していなさい、ということだろう。ブレるんじゃないよってことだ。

それを、一年のウェーブの・・・山か谷かどちらかになる真ん中の日にするなんて、さすがだ。

ところで、茅の輪(ちのわ)・・・「血の輪」「地の輪」「智の輪」・・・等々、漢字にするといろいろ想像してしまう・・・けれど、漢字っていうのは知識を汲み出すように出来ているようで、どうもシックリとこない。

知識と感覚・・・わたしは感覚が先だ、やっぱり。

カナだけで「ちのわ」なら、言葉の響きや表情で見えない世界を感じれるような気がする。日本語はカナ・・・だからこそ言霊を感じ取ることが出来るのだ。

言葉の向こうにある「思い」を感じ取れる・・・ことが「奥歯にものの挟まった」・・・となるのか「言葉を濁す」っていうことになるのか・・・.

でも、神社の狛犬は「あ」と「ん」だ。「阿吽の呼吸」なので、言葉なんていらない。言葉がなくても分かり合える仲なのだ。

普通の犬やネコだって余計な言葉はいらない。睨み合っただけで相手のここを理解出来るのに・・・。人間は相手の気持ちを理解することが出来なくなった・・・と、少々乱暴ではあるが、新しい視点で人間を考えてみるわけだ。

そういうふうに考えると、古代の日本人はスゴかったわけで・・・たとえば薬草なんかも、きっと植物の波動を見極めていたのだろう。植物と会話してたわけだ。ま、今でもそういう人はいるけれど・・・そういうことが不思議ではなく、当たり前だったってことだ。

今、人類が歩いてる道が・・・「幹」なのか「枝」なのか・・・そんなこと未来にならなければ判らないけれど、わたしとしてはどうも・・・太い「枝」のような気がしてならない。

自分は自分の・・・たぶん、自分にしかわからない道を歩むしかないのだろう。

邪気を祓い清めるたびにわたしの身体は・・・酸性(老化)に向かおうとするのを中性(トコワカ)に引き戻される・・・つまり真ん中に引き戻される。

だから・・・「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」・・・となるのだ。これが、歳を取らない、フシギフシギの宇宙の科学。

2012年6月23日土曜日

「科学」と「スピリチュアル」の発酵


「科学」と「スピリチュアル」の垣根は最初からなかった。神から分離したときに、人間がかってに作ってしまった。

だからアダムとイヴのりんごは、分離のりんご・・・りんごはトーラスで・・・磁場を表している。人間は磁場をウチに持っているってことだ。

その磁場が「創造の御柱」で・・・そこに生まれる意識磁場が似たものを引き寄せる・・・未来を引き寄せる。

「罪」を創ったと思ったから「罪」を引き寄せたってことか・・・だから「神」と分離したってわけかな・・・。でも「罪」は「罪」じゃなく、「積」でもある・・・経験ってことだ。経験を積み重ねて、また「神」とひとつになればいいのに・・・。

さて、話しを戻すと・・・「科学」と「スピリチュアル」の垣根は最初からなかった。そんな垣根を作るからややこしくなったのだ。みんな知らないうちに、自分で自分をマインドコントロールしてしまう。

けれど、もう分離の時代は終わった。

分離していては「科学」も「スピリチュアル」も先へは進めない。つまり、実践に活用できずに朽ち果ててしまう。腐敗させてしまっては、先達に申し訳が立たない。発酵させてこそ未来は広がるのだ。

「科学」「スピリチュアル」のどちらにも言えることだが、実践なくして正常な「ハタラキ」は生まれない。「ハタラキ」が生まれないということはホントの「神」もホントの「科学」も生まれないということだ。

たとえば、実践に導かれた科学は「千島学説」にしても「ホメオパシー」にしても、ずっと爪弾きにされてきた。

なぜ弾き出したのか・・・それは簡単。理解できないからだ。
お金にならないものは理解できない・・・社会システム。

スピリチュアルな世界でもそうだ。実践がなければ、ただの妄想しか生まれない。
ところがその妄想は・・・お金になる。人が迷えばお金になる・・・社会システム。

おかしいね。

たぶん・・・男性性の左脳が、女性性の右脳を理解出来なかったのだろう。認めようとしないから「調和」できなかったのだ。

絵画についてのウンチクを学ぶことと、筆を持って自分で描くこととは違う。絵を描くためには別の脳を・・・内にいるはずの自分を動かさなければならない。

エネルギーの出所も、動き方も違う。自分で描くということは、自分を誤魔化せないということだ。内なる自分との協力関係がなければ、自分の絵は描けない。

ホメオパシーのレメディや微生物による放射能の無力化、あるいはフリーエネルギーの活用は、「科学」と「スピリチュアル」を分離していては理解出来ないし・・・実践できない。

実践できなければ人類の未来は危うい。

人間が作った垣根を、人間が壊せなければ、そのうち自然が・・・宇宙が壊しにくるよ、きっと。
人間だって、宇宙の法則の中にいるんだから。


2012年6月16日土曜日

戸籍のない社会


ここのところ眠くてしかたがない。倒れこむようにベッドに転がっては、ほっぺたにマクラの跡をつけている。

眠ってるあいだに魂が肉体を離れて・・・「あぁ 離れたなぁ」・・・という感覚を感じる。

肉体を離れた魂は、誰かと会議をしてるらしい。もちろん何の会議なのかは知らない。当然、誰と会ってるのかも知らない。

そのせいか最近は、やたら勘が冴えるようになった。


そういえばこないだ、福岡の大宰府で古い木簡が見つかった。1300年以上前に島評(しまのこおり)という場所に暮していた人々の戸籍だ。

この辺りはそのむかし「イト国」があった地域だ。そしてわたしは「怡土(いど)」に縁がある。

もちろん木簡が使われた時代よりずっとむかしの話しだが・・・唐津湾を挟んで反対側にはマツラ国の見借(みるかし)がある。前の日にこの辺りのことに思いを馳せていた。ニュースを見てびっくりだ。


最古の戸籍・・・こんなに昔から戸籍というのがあった。戸籍は徴税と懲兵のために作られる。それは間違いない。

「兵士」という文字が見える。裏には「進大弐」とあって、これは大宰府の職名だ。官位比較では正五位くらいらしい。それでも次官クラスのようなので、けっこう力があったのかもしれない。

名前はタケルベノナルトさん・・・ナルト? どこかで聞いたことがある名前だ。

女性の戸主もいる。夜乎女(よこめ)さん・・・か? 残念ながら、なんて読むのかわかない。

海の村では・・・確か女性の戸主の方が多かったはず・・・で、そうすると此処の人たちは、壬申の乱以降ここへ配属された・・・ともとれる。

ここは防人の国だ。どんな暮らしをしていたのか想像してしまう。


そんな戸籍が、ある日突然無くなったらどうなるだろう・・・。戸籍の無い・・・いらない社会・・・。理想だなぁ。

この時代には、戸籍を持たない人たちがずぶんいただろう。
人は誰のモノでもない、自分は自分のモノだから。自分のことは自分が知っていればじゅうぶん。

彼らは互いに助け合うので、朝廷の力などいらない。そして、自分たちが必要とするものを、必要なだけ手に入れる。余分なものはいらない。

必要以上に求めれば自然はバランスを崩し・・・自然の一部である自分たちもバランスを崩す。そういう人たちは宇宙の法則を肌で知っていた。

彼らはやがて自立コミュニティのリーダーを生み出し、始まったばかりの律令制度を拒みはじめる。少し後の・・・鬼にされた酒呑童子もそのひとりだった。

まだ、自分が何者なのかを・・・ちゃんと知ってる人たちがたくさんいた、遠いむかしの話だ。




2012年6月9日土曜日

きみが代


日本人は「見えない世界」を大切にしてきた。文化の中のいたるところにそれが現われている。和歌や俳句からわかるように、語られる言葉の向こう、表現される形の向こうにあるものを大切にしてきた。おまけに祈りの場所となると・・・全国に十数万社ある神社やお寺の他に、街角には小さな祠やお地蔵さんや・・・数え上げるときりが無い。

それは日本人が「見えない世界」と「見える世界」の関係性をよく知っているからだと思う。

「見えない世界」が「見える世界」を動かし「見える世界」が「見えない世界」に影響を及ぼす。「見える世界」と「見えない世界」はともに大切な役割を、それぞれに担っているのだ。

そういう国民性は、はるか昔の神話時代からすでに育まれてきた。

国生みのイザナキとイザナミのふた柱の神様の「キ」と「ミ」は、だから「気」と「身」といってもいい。

「気」は見えない世界(潜象世界)・・・あるいは「原因」の世界。
「身」は見える世界(具象世界)・・・あるいは「結果」の世界。

このふた柱の神が天の御柱の周りを回って国生みをする。その姿は原子の周りを巡る電子、太陽の周りを巡る地球・・・万物は回転運動のはてに生成されることを物語っている。

最初はイザナミから声を掛ける。つまり「結果」から始めたわけだ。だからうまくいかなかった。

犯罪が起こったという「結果」に、取締り強化という「結果」をかぶせても犯罪は無くならない。お腹が痛いという「結果」に、じゃぁ お薬でチラしましょという「結果」をかぶせても病気は無くならない。

それで今度はイザナキから声を掛けることにした。「原因」を先にしたわけだ。すると、ちゃんと国生みができた。

四国や九州を表す・・・「身ひとつにして、面(おも)四つあり」というのは三角錐と同じで、四つの面ということだろう。何かの結晶ともとれる。潜象世界から具象世界へ・・・結晶が集まって形となったということだ。

そしてさらにこの「気」と「身」は「君が代」の「きみ」でもある。

「君が代」の「きみ」は・・・だから天皇のことというより、天皇をも含む全体のことと思った方が正解に近いだろう。

漢字は便利だけれど、一音一音はっきりと区切ることの出来るカナ文化の日本では、一音一音カナにバラしてみるといい。言葉の向こうに隠れているものを感じることができる。

「き」と「み」がともに手を携えて、千代に八千代に栄えてきた。さざれ石の巌となりて・・・多くのさまざまな民族が「和」をもって大きな「巌」となった。これからも「苔のむすまで」・・・力を合わせて、常しえに栄えていこう。

「さざれ石の巌」とは、原子レベルから見た人体ともとれるし、多民族が集まって出来た国体ともとれる。はたまた、太陽系や銀河まで広げたってかまわない。相似象なのだから。

「君が代」とはそういう言霊を踏まえた護り歌だ。ある意味、地球レベルと言ってもいいと思う。

けれど先に書いたように・・・唄わないという「結果」に、処罰という「結果」をかぶせても問題はなくならない。

「原因」はいつも見えないところにある。見えないといっても遠いところじゃない。見えない世界は常にココにある。

「見えない世界」と「見える世界」は互いに影響し合うと言った。

「見える世界」で生まれる感情が「見えない世界」に伝わり。その「見えない世界」の波動が「見える世界」に色づけする。意識づけや引き寄せの法則といえばわかりやすい。

だから、拡声器でガナリ立てているようじゃ「君が代」の描く理想世界は生み出せない。そのことを踏まえてこの国を見渡してみると・・・なぜ「君が代」が歌われなくなったのか・・・なるほどと思ってしまう。

護り歌を見失うと、愛国心すらその表情を変える。

けれど、言霊の奥義が明かされた今となっては・・・ひょっとすると愛国心を越える時期に入ったのかもしれない。なにしろ地球レベルの「君が代」なのだから・・・。

2012年6月2日土曜日

破裂しちゃうよ、地球ごと


孫子の兵法に「用間」という章がある。スパイの用い方について・・・「間」とは「間者」、スパイのことだ。
「間を用うるに五有り。郷間有り、内間有り、反間有り、死間有り、生間有り。」
郷間・・・その地の住民を用いる。
内間・・・その国の官吏を用いる。
反間・・・敵の「間」を逆利用する。
死間・・・偽りの情報を持たせ、これを敵に伝えさせる。露見すれば命はない。
生間・・・得た情報を持って生還する。
「唯、名君、賢将のみ能く上智を以って間と為す者にして、必ず大功を為す」
名君・賢将といわれる人だけが、優秀な人物をスパイとすることが出来て、さらに大きな仕事を為すことができる・・・らしい。

周の時代の太公望も武王に仕えた「間」だといわれているので、スパイの歴史は・・・ゆうに3000年を越えるわけだ。
かのマキャベリの書にも「君主は陰謀を学べ」と書かれているらしい。君主が命を落としたり国を盗られたりするのは、戦争よりも陰謀の方が多いから・・・という。

マキャベリは孫子ほど古くはないけれど、それにしても・・・3000年も研究されてれば当然、今では相手を知る手立てはより巧妙になり、相手を操るための詳細な手引き書なんかもあるんだろう。日本の近代史のなかでも・・・アレ?って思うところもあったりする。たとええば、A級戦犯の中で死刑になったのはなんで陸軍ばかりなんだろ・・・とか。ここでは詳しく書かないけど・・・。

あの戦争で日本人の頭の中は、いったん白紙になったので・・・戦後はさらに・・・なんというか。
・・・あ、そういう話しはやめよう。ほっといても、いろんな場所で場面で表面に出てくる。政治家の怯えた顔を見てれば、だいたい察しがつくというものだ。

チベットでまた焼身自殺があった。31日のことだ。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2012053100126
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYE84U03J20120531
ウィグルのことだってある。中国内部は大変なんだろう。もう反日デモを組織する力は中国政府にはないかもしれない。

その中国を陥れようとするアメリカの方も怪しいものだ。焦りすぎだよ、まったく。往年の落ち着いた戦略は鳴りを潜めて、911以降・・・なりふりかまわなくなった。

中国とアメリカの次はロシアがやって来る。きっと日本が経済崩壊なんかでヘトヘト・・・みたいになった時だ。それが最後かな。

でも、日本はヘトヘトにはならないから大丈夫。

マスコミがいくらスピンコントロールしようとしたって、いくら不安なニュースばかり流したって・・・。
小さな力が横につながると、大きな力は手出しができなくなるのだ。そのことを一日でも早く多くの人々が気づけばいい。

この国の大地は、ほったらかしにしたってどっかの国のように砂漠にはならない。
この国の人々は、イザっていうときにはちゃんと横につながってゆく。すごい国なんだ。

あ・・・そうか。すごい国だから、へんなヤツらが欲しがるのか。けれど、曲がった力ではこの国を支配できない。無理やりしようとすると、ボム!!・・・って、破裂しちゃうよ、地球ごと。

2012年5月26日土曜日

遠くへ来たもんだ


細胞は、そのひとつひとつが生命体だ。それぞれの生命(いのち)を持ってる。人間は60兆の、生命(いのち)たちの集合体なのだ。

60兆の生命(いのち)たちは、それぞれの仕事を自覚をもって精一杯こなしている。ケンカなんかしない。それがかれらの誇りであり喜びだ。自分の使命を知ってるってこと。

どこかの部位の調子が悪かったり、偏ったりすると、それを補うために別のどこかの部位が・・・それこそ自分のことも忘れてホローに入る。かれらは自分のことなんて考えない。

かれらは時々・・・「これ以上は危ないぞぉ」・・・って信号をくれる。その信号を、人間は病気と呼ぶ。ところが人間は、わざわざ危険を教えてくれた細胞たちを邪魔者扱いするのだ。

でもだいじょうぶ。60兆の生命(いのち)たちはそんなこと気にしない。嫌われても嫌われても、問題が起こるたびに声を上げつづけてくれる。病気は彼らからのメッセージ。

だから・・・人間は、60兆の生命(いのち)たちの「無償の愛」で支えられているってことだ。言い方を変えれば・・・人間は愛で出来ているわけだ。

・・・と、こういうふうに考えると自分の身体が好きになる。だから、時々は彼らに喜び返しをしてやろう。

人間の病気は複雑になり、希少難病の疾患数は・・・たしか5000を越えたろうか。

いつまでたっても病気が無くならないのは、60兆の生命(いのち)たちの声が聞こえないからじゃないのか?・・・と思ったりもする。

右脳に直接響いてくる生命(いのち)たちの声は・・・左脳ばかりが活発になった現代人には、なかなか届かないのだろう。

左脳だけだとクルクルと空回りして・・・どんどん中心から離れていってしまう。

あ、そういえば・・・

「思えば遠くへ来たもんだ」っていう歌がむかしあった。関係ないけど。


2012年5月19日土曜日

「あ・たかまはらなやさ・わ」

アマテラスの言霊構造は、感情、感覚、芸術のフィールド。隠されていた女性性、あるいは右脳のはたらき・・・と言ってもいい。右脳が目覚め、左脳とのバランスをとりはじめる。

縦の五行は「あいうえお」じゃなく「あいえおう」の順になる。「え」が真ん中。難しいことは知らない。なんとなく・・・「え」の次元の話し・・・だということはわかる。そのくらいが調度いいのだ。

こういうことは左脳を使うんじゃなく、右脳で感じる・・・のだから。

その「あいえおう」の順番で「あたかまはらなやさわ」のそれぞれの行を埋めてみると・・・一番最後が「Wu」になる。

なるほどぉ・・・

スサノオは高天原を追い出されるときに爪を抜かれる。「ツメ」・・・「詰め」のことだ。最後のツメ。つまり・・・肛門が締められないってこと・・・生み出すエネルギーの言霊である「う」段がウ○コみたいに飛び散った・・・て、きたないなぁ。

いやいや、地球の迷惑かえりみず、我よしの大量消費文明ってことで・・・。

この「う」段の「う」~「す」の九音を「う」の九頭龍という。ツメを欠いた状態なので九頭龍が正常に動けなかった。「う」~「す」。それで、ウスが回りだす。だから「渦」になる。
アメノウズメが踊りだすと、アマテラスが現われる。

なるほどぉ・・・

このアマテラスの言霊構造を、上下に鏡写しにすると・・・五層のピラミッドが現われる。上空から見下ろした感じになる。これを「くしふるの霊顕満止(ヒラミツド)」という。「奇し布留の山」・・・ピラミッドの原型だ。

その真ん中・・・ピラミッドの最上段に「ふる」がふたつ上下に並ぶ。「ふるふる」・・・布留の山。万物を形作る原子は「ふるふる」と揺れている。脳波という波も「ふるふる」と揺れている。

神社で、お賽銭箱のところにぶら下がってる・・・あれを「ふるふる」すると、思いが具現化する・・・というわけだ。

身体の芯を通っている「創造の御柱」を、いつもピンと伸ばしていよう。ピンと伸ばして見上げるとほら、鈴が笑顔になってる。笑顔のくちもとになってる。だから「え」の次元。

神社本庁hp 参拝の祭に鳴らす鈴についてより転載

ぶら下がってる「ふるふる」の材質は「麻」だ。アマテラスの言霊構造の上段「あ」を見てみると「あ」~「さ」・・・つまり「アサ」。だから、アサは清々しいのだ。

同時に、「あ」~「さ」は「あ」段の九頭龍。「ふるふる」は・・・龍。九頭龍を「ふるふる」。

なるほどぉ・・・

ちなみに「アメ」とか「アマ」とかは、どこか別の場所にあるのじゃなく、自分の中にあると思えばいい。こころの・・・はたらき(個性のような、ヒラメキのような、決意のような・・・もの)だと思えばわかりやすい。

自分の中のウズメ、自分の中のアマテラス・・・。自分の内に神は有る。内に有るから「うちう(宇宙)」なのだ。

もうひとつ言うと・・・鏡餅は言霊構造をあらわしている。「百道(もち)」という。五十音は、それぞれ性質の違う五十(いそ)の神様・・・はたらきを表している。それを重ねると鏡写しで百神。だから「鏡百道(かがみもち)」。

毎年その「お鏡さん」を神棚に供えるのには、ちゃんと意味があるわけだ。

この国はホントに言霊幸わう国・・・気がつくと、いたるところに言霊エネルギーの発生装置が配備されている。それで国体が守られてきた。素晴らしい・・・。

先人たちの知恵が千年も二千年もつづく・・・すごい国だぞ、日本。





2012年5月12日土曜日

「あ・かさたなはまやら・わ」


ここには古い形の鳥居が建つ。鳥居(とりい)は十理霊(とりひ)といって、言霊の構造を表している。

この写真の場合、注連縄の先端は回転・・・「渦」を表しているのだと思う。「渦」は陰と陽・・・女性性と男性性でもあり、宇宙のリズムでもあり、原子の動きでもある。

この国にはいたるところに言霊が溢れている。形としてあるいは響きとして残された言霊たちは、先人たちが後世の人類に伝えようとした宇宙レベルの科学なのだろう。

たとえば、鳥居の最上部に横たわる笠木は、あ列十音の言霊配列で・・・
スサノオの言霊構造では・・・・・「あ・かさたなはまやら・わ」となり
アマテラスの言霊構造では・・・・「あ・たかまはらなやさ・わ」となる。

「あ」から「わ」・・・「アワ」だ。日本人はこの「アワ」のことを、何故かよく知っていたりする。

横の十列に縦の五行を合わせてゆくと50音となる。50音はそれぞれに陰陽のパートナーを持っていて・・・陰陽の渦・・・それぞれが動くと「ハタラキ」が現われる。

渦が動くとエネルギーが発生する・・・と思えばわかりやすいと思う。正確ではないけれど・・・ややこしくなるので、ここでは書かない。

注)「ん」はつなげる言霊で中庸をしめすので、今は「ん」は入れずに50音として進めてゆく。

ただ・・・50音のうちの一音だけ、遠いむかしにパートナーを隠されたようで、おまけにその一音はけっこう大事な一音で・・・それも「陰」の女性性。そのおかげで物質文明が暴走して、多くの不安や恐怖を生み出してしまった。

きっと「不安」や「恐怖」をエサにしている何者かが隠したんだろう。

その隠された文字がどれなのかは、重複している文字を調べるとすぐわかる。
重複しているのは・・・「い」「う」「え」の三文字だ。これらが入っているのは、や行とわ行。

さらに、や行とわ行を「Y」と「W」にすれば分かり易い。

まず、や行では・・・
「Ya・Yi・Yu・Ye・Yo」となる。「Yi」「Ye」というのは隠れ神として存在しているので問題ない。

それでは、わ行はどうか・・・。
「Wa・Wi・Wu・We・Wo」となる。「Wi」と「We」と「Wo」はそれぞれ「ゐ」「ゑ」「を」に相当するのだが、「Wu」に相当する文字がない。

そう、隠されたのは「う」のパートナー「Wu」だ。

「う」は「生む」や「生みだす」・・・物質文明を生み出した言霊。
そのパートナー、陰なので女性性・・・つまり、男性性の陽の「う」は彼女を隠されたのだ。ひとりだけ彼女がいない「う」は、だから暴れまわったわけだ。

ちくしょ~!!・・・みたいな。いやいや、これは科学の話しだ。

ところが、この「Wu」ちゃんも最近見つかったようなので、実のところそんなに心配はいらない。

どこに隠されていたかというと、人のこころの中に「戸」があって、その「戸」の向こうに隠されていた。その戸が開いたことを「岩戸開き」という。

五十の戸が開いたので「五十戸(いわと)」開き。「う」の戸が開いたわけだ。


「Wu」ちゃんがどんな文字かというと・・・「司」のカギの中の横棒と口を取って、カタカナのコを入れたような文字だ。

それが「う」の陰の役割をする。

「う」の陰の役割とは、たぶん・・・何のためにモノをつくるのか・・・ということを気づかせてくれる・・・こと。

陽の「う」とのバランスが戻れば、欲望の方向性を正して・・・欲を深めるのではなく、欲を高めることに気づかせてくれる・・・はず。

「利他貢献」「自他共生」

人は誰かのために生きている。それは一人の例外もない。みんな誰かのために生きている。

ということは同時に、誰かは自分のために生きてくれているということだ。

憎まれ役も、恨まれ役も・・・みんな誰かのために生きていて、誰かは自分のために生きてくれている。それが宇宙のしくみ。

だからこそ、自分らしく生きることが・・・つまりは誰かのためになるわけだ。

あと少し、キツイ時代が残ってるけれど・・・スサノオの言霊構造も、やがて正常な動きをとり戻す。




2012年5月5日土曜日

こどもの日

時間のことを考えていると、いつも何か・・・不思議な感覚になる。わたしは輪廻転生が理解できるのでなおさらだ。

前世を感得できる人に観てもらったら、わたしはここ最近・・・最近といっても二百年くらいだが、アジアに入りびたってるらしい。

中国、インド、ビルマ(ミャンマー)・・・と、それにも意味があるみたい・・・。

過去にこれらの国で生きていたということは、今この国々で生きてる人たちの中には・・・わたしの子孫がいるってことになる・・・わけだ。

もう少しつっこんで考えてみると・・・わたし自身も、今どっかの国で生きてる誰かの子孫ということになる。

つまり・・・みんなつながってる。

そう考えると、人と人との争いごととか、はたまた国と国との争いにいたるまで・・・先祖と子孫、子孫と先祖が争ってるってことになって・・・盗って盗られて、騙して騙されて・・・・。

いつまでバカなことやってるんだろ・・・と思う。魂の歴史と血の歴史が交差するのは成長するためだろうに・・・。


さてさて、今日はこどもの日だ。

そんなわけで、生まれ変わりの世界から鳥瞰してみると、実はこども達がわたしの先祖だった・・・ってことも有りえるわけで・・・こども達がいたからこそ自分が生まれてこれたってことも考えられるわけだ。

もちろん、来世ではわたしがこどもになるかもしれない・・・いや、ひょっとしたら・・・過去世に転生して、もう一度やり直す・・・という場合があるかもしれない。

時間は不思議だ。考えても考えても答えなんて出てこない。




2012年4月28日土曜日

「都会」と「月」と・・・大切な「夜」


「都会」の言霊数は「28」で、これは「月(28)」と同じだ。「都会」と「月」が同じなんて・・・と思うけれど、実は見えない部分でよく似ている。

「28」という数字は「ふ」の言霊数でもあるので、「ふ」の言霊の性質を持っていることになる。

「ふ」とは、ひふみの「ふ」、つまり「2」のことだ。「2」はサポート的な役割を担うエネルギーを持つ。表に現われずに、その動きを支え補助する働きをする。

見えない「月」の引力が地球の潮の干満を引き起こすように、「都会」の引力は人を見えない力で捉えようとするわけだ。


ちなみに、引力の言霊数は「96」。9と6は上下さかさまになっている。「96」は「あらがう(96)」ことでもあるのだ。正の力が生まれれば、同時に反対の力、負の力も発生する・・・というわけだ。


負の方向に向かったときの、「都会」と「月」の共通点・・・。
たとえば、「月」は自転していない。これが象徴していると思う。つまり止まっている。

「つき」の「つ」で言うならば・・・行き詰るの「つ」。
「都会(28)」の「と」で言うならば、「と(17)」は止まるで(28+17)・・・「停滞(45)」することになる。

都会の停滞感・・・季節感の喪失とか・・・夜と昼の区別がつかない街・・・などは、自転しない月の状態を表しているのかもしれない。

と、いうことは・・・節電で、夜が夜らしくなったのは、実は・・・ネガティブに向かうところを、「あらがう(96)」力によってポジティブの方向へ向かわせた・・・ということになる。

「夜」を取り戻すことは、「月」からのメッセージ・・・と言えなくもない。

「夜」は、想像以上に大切。何故なら・・・「夜(80)」は「希望(80)」と同じだから。
みんなが・・・すてきな「夜」を過ごせますように。




2012年4月21日土曜日

ケムシの見る夢


ある日、ビオラのプランターで毛虫が3匹、気持ちよさそうに日向ぼっこをしていた。

名前を調べてみると「ツマグロヒョウモン」という蝶々の仲間らしい。ビオラやパンジーが大好物だそうで、スミレの葉っぱも食べるという報告もあった。

わたしは、虫も殺さぬいい男である。だから・・・もちろんそのままにしている。



世間では「害虫」という言葉があるけれど、植物たちは虫に食べられるのが嫌じゃない・・・と、わたしは思っている。

たとえば、植物である野菜たちが食べられるのを嫌がっているのなら・・・人間の姿を感じただけでブルブルと恐怖におののいてしまって、あんなにおいしく人を喜ばせてくれるはずがない。


何の本だったか忘れたが・・・植物が農薬などで弱ってしまうと、その弱った身体を虫たちに食べてもらう。そして虫たちは食べたものを糞にして、あるいは自らの身体ごと土に還して、薬で汚れた大地を浄化してゆく・・・と、そんなことが書いてあった。

植物と虫が、いっしょになって大地を浄化させるということだ。なぜそういうことをするのかは・・・ややこしいから言えない。

Wikipedia日本語版より ツマグロヒョウモン♂

「害虫」というのは・・・「ばい菌」や「雑草」も含めて・・・みんな人間が作り出したもので、自然界には存在しない。

命はみんな必要・・・ということは、人間にとってもそういう命は必要・・・ということだ。人間はその価値に気づけないだけだ。


日向ぼっこをしている毛虫たちは、そんなことはどうでもよくて・・・こうして宇宙意識の中で静かに眠っている・・・ように見える。

日々、どうでもいいような「意識」に揺すぶられているわたしなんかより、ずっと神様に近いわけだ。

けれど、どうみても毛虫は毛虫で、あんまり気持ちのいいものじゃない。もう少しすれば賑やかな蝶々になって羽ばたいてゆくのだろうが、どう考えてもこの毛虫が蝶々に変わるか?・・・と思ってしまう。

毛虫の身体を造っているのと同じ成分で、こんな蝶々に変身するわけだ。これも不思議。何者かの計らいがたくさん詰っていそうだ。

Wikipedia日本語版より ツマグロヒョウモン♀

そんな「さなぎ」のことについてはまた・・・別の機会に考えてみよう。