人は「福」を求めるが、この「福」とは「腹霊」のことで、お腹の中に住んでいる「欲望」のことでもある。
見えない思いが具象化してゆくエネルギーを孕んでいるわけだ。だから「欲望」がなければこの世もつまらない。
けれど、ずっとずっと昔・・・何かのキッカケでその「欲望」が暴走してしまった。つまり、それが物質至上。拝金主義・・・などという姿になってしまった。
たぶん「徳」や「慈しみ」を見失い、見失ったまま「欲望」を解き放ってしまったのだろう。
節分の時に掛ける「鬼は外、福は内」・・・という掛け声は、そういう暴走した「欲望」が生み出したものだ。
この場合の「鬼」は人間の本来の心・・・「良心」といえる。
「欲望」を満たそうとするときに「良心」が邪魔になるからウシトラに閉じ込めて「戸」を閉めてしまった。だから「鬼は外」。
それがウシトラ金神。金神の金は「神音(かね)」・・・おそらく言霊のことだろう。言霊五十音図ともいえる。
やがて「ウ」の戸が開いて、閉じ込められていた「良心」が世界に溢れ出す。それはつまり「人間とは何者なのか」という問いでもある。
角度を変えて見れば・・・「人間とは何者なのか」という問いを求められる出来事が、世界に溢れ出す・・・と見てもいい。
さらに「人間とは・・・」という問いは同時に、自分は何者・・・という問いかけでもあり、さらに自分は何を為すべきなのか・・・為すべき勇気はあるのか・・・という実践的な行為を求める呼びかけでもある。
すでに世界は・・・「どうなる」という時代から「どうする」という実践的な時代に入った。
何を実践するのか、どう形にするのか・・・それは世界に、あるいは心に溢れ出し始めている「良心」が導いてくれる。
さて、世間は凄まじいほどの勢いで渦巻いているが、これはすべてを真ん中に戻そうとする宇宙の法則が起こしたものだ。よほど偏った方向に人類は突き進んでいたのだろう。振り子は途中で止まれない。
わたしは少し離れたところで・・・常に真ん中を意識しながら・・・心地よい「良心」に身を任せて、大きな「渦」を見ている。自分の出番を待ちながら・・・。
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