誰かの幸せのためにこういうモノを造りたい、こういう知識を使いたい・・・そういう「イ」次元から放たれる意志エネルギーに導かれた物質文明ならば、これからもずっとずっと・・・宇宙レベルで進歩していくんだろう。
けれど、今のシステム・・・「ウ」次元に捉われた意志エネルギーによって大きくなった物質文明では、残念ながらもう進歩はできない。行き詰ってしまった。
宇宙生命としての循環性を失ってしまった・・・ということだ。あるいは・・・血液の危機を知らせるガンになってしまった・・・といえるかもしれない。もちろん地球人類がである。
進歩が出来ないということは、つまり文明の停止。だから、時間の停止ということ。マヤ暦がここで終わっているのは、たぶんそういうことだ。
ここでいったん終わり。そして人類は、大きなカーブを曲がることになる。自己実現から自己表現へのカーブ・・・かな。
普通、カーブを曲がるときはスピードを落とす・・・けれど、こんなに暴走している状態で、おまけにドライバーが前を見ていない・・・居眠りでもしているとなると・・・みんなガラガラとアッチの方に振り飛ばされてしまうだろう。
乗り物が大きければ大きいほど・・・積荷が多ければ多いほど大惨事になってしまう。まさに滅亡へ向かう・・・ことになる。
ところが、どんなに暴走していても、どんなに加速度を上げていても、ひとつだけ回避できる方法がある。それは・・・暴走へと引きずり込まれているクルマの・・・部品のひとつひとつが、何かに気づくこと・・・つまり目覚めることだ。
気づいた人から意識を向ける方向を変えてしまう・・・たとえそれが、自分だけで・・・身の回りに誰ひとり理解してくれる人がいなくても・・・。
目覚める人が多ければ多いほど無事に文明のカーブを曲がることができる・・・はず。
イメージとしては・・・クルマの駆動部分はズルズルと横滑り・・・それでも車体全体は、行くべき方向へ向いていく・・・まるで四輪ドリフト走行のような・・・。
桃太郎の昔話について少し・・・あのお話しに登場するおじいさんおばあさんは・・・実はイザナギ・イザナミなのだ。
だから桃太郎は、おじいさんおばあさんの思いのこもった「黍団子」をもらう。これは「キ・ミ団子」・・・である。
「桃」は「百(もも)」。本質の50音と、その運用法則の50音とでの・・・百。言霊50音図のこと・・・言霊のエネルギーといってもいい。
鬼が島の鬼の・・・「オ」は「オ」次元。経験智や知識のことで「ニ」は、その二次的なもの・・・だから科学や学問をあらわしているわけだ。つまり、物質文明であり、その文明が暴走している状態といえる。
親神のイザナキ神・イザナミ神に愛され育まれた桃太郎は、暴走する物質文明の鬼を退治して帰還する・・・が、実際は「退治」するのではない。鎮める・・・といった方が近いと思う。
その方法は?
犬は酸性で・・・「陽」。猿はアルカリ性で・・・「陰」。雉は・・・「空」。
お供をした彼らは、宇宙であり自然の法則を表しているわけだ。宇宙の法則を使うには、宇宙の心を知り、そこへ立ち返ることだ。
桃太郎は、そこへ立ち返って改めて現在の物質文明の現状を見てみた。そして、改めるべきところを改め、伸ばすべきところを伸ばしていった・・・すると、大きな平和が得られた・・・というわけだ。
このまま我欲に振り回され続ければ、人類も鬼が島の鬼と同じように、大自然、大宇宙の力によって・・・鎮められますよ・・・ということ。
桃太郎になるのか、それとも鬼のままで快楽に耽るのか・・・。今、それを問われているように思うわけです。
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