2012年12月1日土曜日

ツムガリの太刀

わたしが世間の情報を知るのはほとんどネットから・・・で、その中に流れる空気感・・・のようなものは、如実に男性性中心の・・・あるいは、男性性が造り上げた・・・世界観が崩れてゆく姿だ。

ふと・・・琵琶湖は日本の子宮・・・ということを思い出す。

「チカラ」たち・・・は最後の悪あがきをしているのだろう。さっさと散ってほしいものだ。いさぎよさ・・・は、この国の美徳のひとつだと思う。


少し前、何故か古事記のヤマタノオロチの・・・あの場面を読み返していた。

ヤマタノオロチは「八」の判断力のこと・・・ならば、八拳剣の判断力で動く生き物・・・と言えるかな?

「八」とは・・・「アカサタナハマヤラワ」の十音から、主体の「ア」と客体の「ワ」を失った、八音。

昔の人は自分のことを「吾(アレ)」、あなたのことを「我(ワレ)」とよんでいた。だから・・・「ア」と「ワ」・・・「アワ」。「泡」「阿波」・・・。

・・・このことだけでも、いろんなヒラメキ・が生まれる・・・が、それはまたいつか・・・にしよう。

主体を失い、客体も失ってしまうと・・・そうなると何処へ向かっていいのか、はたまた自分が何者なのかもわからなくなってしまう。

暗闇で右往左往していると・・・「こっちだぁ!!」・・・と、何者かがタイマツをかざす。ついて行くよね・・・やっぱり。それを「依存」というけれど・・・。

酩酊したヤマタノオロチをスサノウは十拳剣で退治する。十拳剣。これはもちろん「アカサタナハマヤラワ」という十音。完璧な判断力。

言霊の勝利・・・というか、コトムケヤワス・・・ということか・・・。

オロチノの「尾」から出てくる「都牟刈りの太刀」・・・ここでは「剣」ではなく「太刀」となっている。

「絶ち分ける」と「繋がる」という「剣」としての判断力ではない・・・ということならば・・・「断ち切る」ということを現しているのか・・・。

その部分を「岩波文庫」より引用してみる・・・と。


・・・その中の尾を切りたまひし時、御刀(みはかし)の刃毀(か)けき。ここに怪しと思ほして、御刀(みはかし)の前(さき)をもちて刺し裂きて見たまへば、都牟刈(つむがり)りの太刀ありき。故、この太刀を取りて、異(あや)しき物と思ほして、天照大御神に白(もう)し上げたまひき。こは草薙(くさなぎ)の太刀なり。


「・・・その中の尾」・・・「尾」とは後ろのことで、五十音図でみると「ワヰウヱヲ」のことだろう。だとすると・・・「その中」とは「ウ」のことになる。

「御刀の刃毀けき」・・・毀れた・・・欠けたわけだ。「御刀の刃毀けき」の「御刀」とは「十拳剣」のことだ。つまり五十音図といってもいい。

ずっと以前に「ウ」のことはちょっとだけ書いたが・・・「ウ」だけが陰陽のパートナーがいない。「ウ」とは・・・根源的な感覚、五感、欲・・・などの次元。

ここにちゃんと表されているわけだ。

・・・ということは、この「都牟刈りの太刀」が重要になってくる。

「都牟刈りの太刀」の正体・・・もう少し探ってみよう。


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