2012年6月23日土曜日

「科学」と「スピリチュアル」の発酵


「科学」と「スピリチュアル」の垣根は最初からなかった。神から分離したときに、人間がかってに作ってしまった。

だからアダムとイヴのりんごは、分離のりんご・・・りんごはトーラスで・・・磁場を表している。人間は磁場をウチに持っているってことだ。

その磁場が「創造の御柱」で・・・そこに生まれる意識磁場が似たものを引き寄せる・・・未来を引き寄せる。

「罪」を創ったと思ったから「罪」を引き寄せたってことか・・・だから「神」と分離したってわけかな・・・。でも「罪」は「罪」じゃなく、「積」でもある・・・経験ってことだ。経験を積み重ねて、また「神」とひとつになればいいのに・・・。

さて、話しを戻すと・・・「科学」と「スピリチュアル」の垣根は最初からなかった。そんな垣根を作るからややこしくなったのだ。みんな知らないうちに、自分で自分をマインドコントロールしてしまう。

けれど、もう分離の時代は終わった。

分離していては「科学」も「スピリチュアル」も先へは進めない。つまり、実践に活用できずに朽ち果ててしまう。腐敗させてしまっては、先達に申し訳が立たない。発酵させてこそ未来は広がるのだ。

「科学」「スピリチュアル」のどちらにも言えることだが、実践なくして正常な「ハタラキ」は生まれない。「ハタラキ」が生まれないということはホントの「神」もホントの「科学」も生まれないということだ。

たとえば、実践に導かれた科学は「千島学説」にしても「ホメオパシー」にしても、ずっと爪弾きにされてきた。

なぜ弾き出したのか・・・それは簡単。理解できないからだ。
お金にならないものは理解できない・・・社会システム。

スピリチュアルな世界でもそうだ。実践がなければ、ただの妄想しか生まれない。
ところがその妄想は・・・お金になる。人が迷えばお金になる・・・社会システム。

おかしいね。

たぶん・・・男性性の左脳が、女性性の右脳を理解出来なかったのだろう。認めようとしないから「調和」できなかったのだ。

絵画についてのウンチクを学ぶことと、筆を持って自分で描くこととは違う。絵を描くためには別の脳を・・・内にいるはずの自分を動かさなければならない。

エネルギーの出所も、動き方も違う。自分で描くということは、自分を誤魔化せないということだ。内なる自分との協力関係がなければ、自分の絵は描けない。

ホメオパシーのレメディや微生物による放射能の無力化、あるいはフリーエネルギーの活用は、「科学」と「スピリチュアル」を分離していては理解出来ないし・・・実践できない。

実践できなければ人類の未来は危うい。

人間が作った垣根を、人間が壊せなければ、そのうち自然が・・・宇宙が壊しにくるよ、きっと。
人間だって、宇宙の法則の中にいるんだから。


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