2012年6月9日土曜日

きみが代


日本人は「見えない世界」を大切にしてきた。文化の中のいたるところにそれが現われている。和歌や俳句からわかるように、語られる言葉の向こう、表現される形の向こうにあるものを大切にしてきた。おまけに祈りの場所となると・・・全国に十数万社ある神社やお寺の他に、街角には小さな祠やお地蔵さんや・・・数え上げるときりが無い。

それは日本人が「見えない世界」と「見える世界」の関係性をよく知っているからだと思う。

「見えない世界」が「見える世界」を動かし「見える世界」が「見えない世界」に影響を及ぼす。「見える世界」と「見えない世界」はともに大切な役割を、それぞれに担っているのだ。

そういう国民性は、はるか昔の神話時代からすでに育まれてきた。

国生みのイザナキとイザナミのふた柱の神様の「キ」と「ミ」は、だから「気」と「身」といってもいい。

「気」は見えない世界(潜象世界)・・・あるいは「原因」の世界。
「身」は見える世界(具象世界)・・・あるいは「結果」の世界。

このふた柱の神が天の御柱の周りを回って国生みをする。その姿は原子の周りを巡る電子、太陽の周りを巡る地球・・・万物は回転運動のはてに生成されることを物語っている。

最初はイザナミから声を掛ける。つまり「結果」から始めたわけだ。だからうまくいかなかった。

犯罪が起こったという「結果」に、取締り強化という「結果」をかぶせても犯罪は無くならない。お腹が痛いという「結果」に、じゃぁ お薬でチラしましょという「結果」をかぶせても病気は無くならない。

それで今度はイザナキから声を掛けることにした。「原因」を先にしたわけだ。すると、ちゃんと国生みができた。

四国や九州を表す・・・「身ひとつにして、面(おも)四つあり」というのは三角錐と同じで、四つの面ということだろう。何かの結晶ともとれる。潜象世界から具象世界へ・・・結晶が集まって形となったということだ。

そしてさらにこの「気」と「身」は「君が代」の「きみ」でもある。

「君が代」の「きみ」は・・・だから天皇のことというより、天皇をも含む全体のことと思った方が正解に近いだろう。

漢字は便利だけれど、一音一音はっきりと区切ることの出来るカナ文化の日本では、一音一音カナにバラしてみるといい。言葉の向こうに隠れているものを感じることができる。

「き」と「み」がともに手を携えて、千代に八千代に栄えてきた。さざれ石の巌となりて・・・多くのさまざまな民族が「和」をもって大きな「巌」となった。これからも「苔のむすまで」・・・力を合わせて、常しえに栄えていこう。

「さざれ石の巌」とは、原子レベルから見た人体ともとれるし、多民族が集まって出来た国体ともとれる。はたまた、太陽系や銀河まで広げたってかまわない。相似象なのだから。

「君が代」とはそういう言霊を踏まえた護り歌だ。ある意味、地球レベルと言ってもいいと思う。

けれど先に書いたように・・・唄わないという「結果」に、処罰という「結果」をかぶせても問題はなくならない。

「原因」はいつも見えないところにある。見えないといっても遠いところじゃない。見えない世界は常にココにある。

「見えない世界」と「見える世界」は互いに影響し合うと言った。

「見える世界」で生まれる感情が「見えない世界」に伝わり。その「見えない世界」の波動が「見える世界」に色づけする。意識づけや引き寄せの法則といえばわかりやすい。

だから、拡声器でガナリ立てているようじゃ「君が代」の描く理想世界は生み出せない。そのことを踏まえてこの国を見渡してみると・・・なぜ「君が代」が歌われなくなったのか・・・なるほどと思ってしまう。

護り歌を見失うと、愛国心すらその表情を変える。

けれど、言霊の奥義が明かされた今となっては・・・ひょっとすると愛国心を越える時期に入ったのかもしれない。なにしろ地球レベルの「君が代」なのだから・・・。

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