2012年10月27日土曜日
十拳剣
脱原発・反TPPの話は、この国のテレビでは流れない。保険屋さんのコマーシャルが増えたから? よくわからないが・・・。
放送業界には沢山の人が従事してるのに・・・みんな同じ主張のはずがない。しゃべっている人も、作っている人も。
もういいかげん自分の主張を放送で言ってもいいじゃないか・・・と思う。どこの政党を支持する・・・とか、誰の政策が気に入っている・・・とか。
なのに、どこの番組もよく似ているのは・・・つまり・・・この国のテレビは自分の「顔」を持たない・・・ということ。だから、カオナシ。
魂は、カオナシの人生を送りたかったのかなぁ・・・などと他人の魂の心配をしたりしている。
わたしにはカオナシの人生は送れない。どんな仕事をしていても、ちゃんと自分の顔が出てしまう。
あ・・・それで、寄り道ばかりなのかも・・・ま、いいけど。
そうそう、石原氏と小沢氏は仲が悪いそうで・・・それで、国民の生活が第一の結党パーティーの日にワザワザ合わせて、電撃辞任・・・?
いや・・・ホントのことは知らない。
けど、このことでマスコミの顔が、どっちを向いているのかがよくわかる。まず、間違いなく脱原発・反TPPでは・・・ない。
そんなふうに、今まで見えなかった社会のカタチが・・・構造が、ちょっとした出来事でよく見えるようになった。
ただ、よく見えるようになったから、正しいものとおかしなものの区別が出来るかというとそうではない。
よく見えるようになると、今度は自分の「判断力」が大事になってくる。選ぶチカラだ。
これも・・・自立に必要なこと。
自立した人が増えてくると、20世紀の常識が崩れてゆく。新しい時代へ向けての流動・混沌。今年は目に見えないところで、どんどん流れていた。
その流動の結果は来年・・・新しいカタチとして・・・どんなカタチかはわからないけれど、あちこちで生まれ始める・・・ような気がしている。個人レベルから国家レベルまで・・・さまざまに。
古事記の中に、千引きの石(いわ)を挟んでイザナギとイザナミが対峙する場面がある。
千引きの石とは結界のようなもので、イザナギの世界とイザナミの世界はココではっきりと分かれている・・・ということだ。
イザナミが押し寄せてくる西洋・・・大陸の物質至上文明だとするとイザナギは、物質至上では理解できない高天原の精神文明ということになる。
この国を食べようと襲ってきても、十拳(とつか)剣でバラバラに刻まれて・・・その正体が暴かれるわけだ。
「剣」は「太刀(絶ち)」と「剣(つるむ)」・・・絶ち分けて、組みなおすチカラ。つまり判断力を表している。
十拳(とつか)剣は「アカサタナハマヤラワ」の10音におよぶ完璧な判断力を表す。
八拳剣とは「カサタナハマヤラ」の8音で、主体「ア」と客体「ワ」を省いた判断力。原因も結果も何かわからず答えが出ない。
九拳剣とは「アカサタナハマヤラ」の9音で、客体「ワ」がない。これでは、どこへ向かうのか・・・迷走してしまって答えが出ない。
八拳剣は西洋の、九拳剣は東洋の・・・十拳剣は日本の精神文化・・・といわれている。いまこそ十拳剣で・・・この国らしい「心」を取り戻したい・・・気分だ。
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