2012年8月25日土曜日
「あおうえい」にしよう。
極東に火種があれば軍事予算を確保できる・・・と、いうことだろう。ハンドラーたちにとっては・・・ひょっとしたら、ゲーム感覚かも・・・。
宣戦布告と同じ意味を持つと知りながらあんなことをした大統領は、きっと自分のケツに火がついていていて・・・ひょっとしたら、ヤケクソになっているのかも・・・。
911の時のような自作自演の出来事を起こして、うまく軍事予算を手に入れたとしても・・・ひょっとしたら、今回はそれ以上のツケを、逆に自分が払うことになるかも・・・。
なぜかというと、ヤマタノオロチの体内にはツムガリの剣が眠っているからだ。
宇宙に横たわる法則は、遠い過去から遥かな未来まで変わることが無い。だから、その循環の中で・・・あるいは、繰り返す波のように・・・人類がそのことに気がつくまで、同じような出来事が繰り返される。
それはつまり・・・古事記の中には、この国の未来が書かれているということでもある。
ところで、日本神話を学校で教えなくなったのはGHQの政策だが、それは明らかに日本民族の衰退、消滅を目論んだものだ。
ひとつの民族を堕落させるには、三つの柱のどれかを骨抜きにすればいい。三つの柱とは・・・自然観・死生観・歴史観。
日本はこのどれもが際立っていた。
かのトゥインビーが言うように、神話を失った民族はホントに100年以内に滅びるのかもしれない。
あるいは・・・民族という分類が無くなり、人類は「ひとつ」になるのか・・・いや、それはない。民族は別々だからこそ「ひとつ」の意味がある。
なぜなら・・・「ひとつ」になれば「調和」という、人類の最終目標を見失うことになるからだ。
「調和」は、この次元での最上の愛・・・と言ってもいい。それは、グローバリゼーションでもニューワールドオーダーでも叶えることはできない。
あなたとわたしとは別のものだからこそ「調和」できるのだ。
さて・・・「アイウエオ」の配列は「ウ」が中心だが、これは「欲」が・・・良きにつけ悪しきにつけ物事の判断の中心になるということだ。
「イ」・・・生きるために・・・「エ」・・・選ぶことは・・・「ウ」・・・欲が元になっている。
だから、感情(のア)も理性(のオ)も遠くに置かれてしまう。
肉体を持って、なおかつ人間には元来向上心があるので「ウ」が・・・今はまだ中心でいいのだが、それならばいっそのこと、まっさらの気持ちから生まれた「アオウエイ」の配列に変えてしまえばいい。
理性の「オ」が先にあって、徳の「エ」が後ろを固める。そうなればきっと「欲」の形も変わってくるだろう。生み出すモノも変わってくるはずだ。
この「アオウエイ」の配列を天津菅麻(あまつすがそ)という。清々しい衣・・・という意味らしい。
感性のヒラメキ(ア)に理性と経験智(オ)が反応し、それに必要なものを生み(ウ)出し、徳(エ)をもって生きて(イ)ゆく・・・なかなかいい感じだ。
スキのない国家には、余計なチョッカイなどされないと思うのだが・・・あ、そうか。今回のチョッカイは・・・日本が金持ちだからか・・・な?
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