2014年4月1日火曜日

逆さまなノー天気

末梢血管でも幹細胞が発見されている。これは造血作用が骨髄だけではない・・・ということでもある。骨髄バンクのホームページでもこのことが出ていたのを覚えている。末梢血では造血作用も極微量だから云々・・・とかなんとか。言い訳のような印象を持ったことを覚えている。

そういうこともあって・・・ふと頭をよぎったことがある。これから急性白血病が増えるかもしれない・・・ということに、例の幹細胞が出来た、というあの騒ぎは何か関係しているのだろうか? 

細胞から細胞を作るのは、なんとなく工業的で・・・医学の進歩という感じがしない。進歩というか、前進というか・・・前へ進んだ感じがしない・・・のはわたしだけかもしれないが。

ところが、細胞から幹細胞となると・・・少し違う。何かすごい大きなものが動き出しそうな・・・ま、そのことに気がつけばの話しだが、幹細胞の正体がわかれば、やがて血液の秘密につながり・・・それは自然治癒力の世界に入ってゆく。

自然治癒力・・・対症療法である現代医学にとっては目の上のタンコブ・・・だろう。いや、資本という医学にとっては・・・。

病気が無くなれば、永遠に保証されるはずだった利権が消える。食べ物が消える。



「この地にたどり着くのにどれほどかかったのだろう。気の遠くなるような時間だった。けれど、もうすぐだ。もうすぐ、地球人類は永遠にわれわれの食べ物を生産する生き物となる。この地さえ獲ってしまえば・・・この血さえ・・・。地球人類がわれわれよりも優れていると?何を言っているのだ。地球人類はわれわれが造ったのだ。われわれよりも優れているはずがないだろう。われわれのエサなのだ。ただのエサがわれわれを越えるだと?みんなあの地・・・あの血が原因だ。あの血さえ根絶やしにすれば・・・われわれこそが永遠に君臨すべき種・・・それをわかせてやらねばなるまい。」



江戸の文化をことごとく潰していった明治政府は、その足がかりだった・・・とも言える。すでにザビエルの時代に、この国の優秀さが裏打ちされていたのかもしれない。

彼らの次元にも、地球人類の次元と同じ・・・きっと「終焉」があるのだろう。そこから生まれる「不安」と「恐怖」を埋めるために人類という家畜が必要なのだ。永遠に乳を生み出す牛のような・・・。

この次元ではない・・・人類の出す、波動エネルギーを食する次元。現代の科学では触れることも垣間見ることも出来ない世界。

現代科学とは、そういう世界を永遠に見いだせない・・・仕組み・・・システム。固まったシステム。実にみごとなコントロール・・・だと思う。



かの存在がわたしたち人類を造ったのは、つまり彼ら自身の学びのためでもあった。彼らが地球人類を造ることによって何かを学ぶためだ。彼らがそれに気づいているかどうかは知らない。

同時に、彼らの手によって造られたわたしたちもまた、彼らかのお陰で学ぶ事ができる。

わたしたちの魂がそのことを・・・その道を選んだ。彼らの魂もまた、そういう彼らを選んだ。魂はもっと広い・・・もっと奥の・・・もっと高い世界から、この地球人類を・・・また、人類を造ったという彼らを選んでやってきた。

すべては一つ・・・なので、彼らはわたしたちの内に在り、わたしたちもまた彼らの内に在る。ともにひとつであることに気づいて、渦となり、もう一つ上の・・・もう一つひろい次元へ向かう。

今はその過渡期。だから、表と裏が・・・上と下が逆さまになっても不思議ではない。



そのせいなのかどうなのか・・・テレビや新聞や、はたまたそれらメディアを批判する人々もみんな含めて・・・常識のオバケに動かされている人々が、滑稽で、おかしくて・・・さらに可愛く見えるから不思議だ。

いや、それは・・・わたしがたぶん・・・ノー天気だから・・・かもしれない。



 

2014年3月15日土曜日

「ワク」の中の・・・

STAP細胞に関してのニュースを読みながら、なんとなく気になっていることがある。

それは「公開実験」・・・どちら側からも、ましてやマスコミからも、この言葉が聞こえてこない。わたしの調べや読みが浅いのだとは思うが・・・。

結局、ただの論文論争。机上の論争。STAP細胞の存在なんて・・・ようするに、ゴチャゴチャ出来ればなんでもいいような。


簡単な実験なら、公開実験にすればいいのに・・・とシロウトのわたしは思ってしまう。なんなら、どっかのテレビ局がやればいい。大スクープ・・・報道・・・バラエティー・・・?

実験するのは別人でもいい。やり方はわかっている。100回やって1回でも成功すれば・・・常識が覆ったことになる。

どうしてしないんだろう。公開実験をしてもいいくらい値打ちのある・・・ひょっとしたら、人類の未来が変わるかもしれないような発見・・・と言うのは大げさか?

この流れでいくと・・・そのウチに、ただの捏造疑惑ニュースとして時の闇に埋れてしまうんだろ。

「幹細胞の正体」もいっしょに・・・。


話しは変わるが・・・「博士」というのは「研究者」達のリーダー・・・だと、わたしは認識している・・・が、違うのかなぁ。

ついでに言うと、実験によってあらゆる疑問を解決してゆく人を「研究者」だとも思っている。

だから、いつも現場に立っているわけだ、博士というのは。現場で試験管を振ったり、フラスコを洗ったりしているわけだ・・・少なくともわたしの中では・・・。

けれど、どうも最近は違うようで・・・実験よりも論文の方が好き・・・なのかなぁ。


ところで、科学というのは「科(とが)」を背負った学問だといわれる。

どういう「科(とが)」かというと・・・見えない世界に背を向けた「科(とが)」。西洋風に言うと「神に背を向けた・・・」となる。

だから見えない世界のことはわからない。宇宙全体の・・・つまり、神が創りたもうた世界の、ほんの一部・・・一面しかわからない・・・ことになる。外に出ることが出来ない。

ましてや、極まったで現代では・・・すり鉢の底で蠢いているような世界では「真実」なんて大した意味を持たないんだろう。


でも、たとえ現実はそうであっても「真実」は消えないわけで・・・ちゃんとソコに・・・いやいや、わたしはあの論文が「真実」だ・・・という話をしているわけじゃない。

わたしは否定も肯定も・・・応援も攻撃もしない。論文なんてどうでもいいんだから。

だいいち、STAP細胞が本物であろうがニセ物であろうが、そんなことはおかまいなしに人体の中では常に「真実」が・・・日々そのハタラキを遂行している。

そのハタラキを内なる神・・・と言ってもいい。

その神に背を向けているかぎりホントのことはわからない。わからなければ科学の「ワク」から外の世界へ出ることも出来ない。固まってゆく。固まって固まって・・・やがて破裂することになる。圧縮爆発。


科学の世界だけじゃない。ホントにいろんな世界で「ワク」を見かける。

「ワク」の外から眺めると、いろんな風景が見えるのに・・・もういいかげん「ワク」から出ないと、そのうちに出れなくなる・・・と、特に最近のニュースで感じている。

「ワク」から出たくない人たちの炙り出しが始まってるような気さえする。あの人もこの人も・・・。あぁ、この人もそうだったのか・・・とか。

そんな思いで、一連のSTAP細胞のニュースを見ている。




2014年3月1日土曜日

一万年の約束

「時間」や「方向性」という、この三次元世界の概念を消してしまえば・・・とても不思議な感覚にとらわれる。

遠い過去世の自分も、少し前の過去世の自分も・・・そして今の自分も、同時にココにいる。当然、それぞれの人生で関わった人々も・・・同時にココにいる。

すべての人々は、カミの思いがカタチとなった人々・・・みんなが「約束」の中で切磋琢磨しあいながら・・・どんな人を愛し、どんな人を傷つけ、どんな人と戦い、どんな人に傷つけられ・・・わたしの善も、わたしの悪も・・・みんな、ココに・・・。

大宇宙の大きな呼吸の中・・・今ココで出会ったわけだ。今、ココが約束の地。約束の時。

あの時の今、あの時の場所。すべては・・・今、ココに来るために・・・。



「結果」の時代は終わった・・・と、わたしは思っている。いまアチコチでうごめいている「結果」たちは、ただの残像・・・なんだろう。

「原因」の世界から見れば、風に舞うホコリのようなものだ・・・と思っている。



さて、最近のテレビCMは・・・保険やリクルートに加えて、葬儀屋のCMも増えてきたようで・・・いったい何を期待しているのか・・・と思ってしまう。

肺炎やタバコ、PM2.5などの呼吸器系の話はセシウムなんだろうし・・・食中毒や心臓や脳梗塞なんかは・・・これも放射線被害なんだろう。

今さら目隠しもないだろうに・・・。

CMとは看板や広告なので、そこに真実があるかどうかは定かじゃない。定かじゃなくて当たり前えだ。客寄せなんだからCMを批判してもしかたがない。

ようは、本人の自覚と自律によって・・・何を選ぶのか・・・ということに尽きる。人々が、無理をしてでも本物を選ぶようになれば、ガラガラと現在の経済システムは崩れてゆく。

つまり、ひとりひとりが、ひとつひとつのピース。世界・・・という、大きな大きなジグソーパズル絵画の、ひとつのピース。

ひとりひとりが世界を創っている。

大袈裟かもしれないが、そういうことだと思う。意識が高まれば…そして、その意識が動き出して、知恵・・・という方向性を持ったエネルギーを生み出せば世界は変わる。


一万数千年の時間を越えて・・・あの時、こういう未来が来ることを知っていた魂達。

今その時が来た・・・と感じているのは、わたしだけじゃないだろう。



2014年2月15日土曜日

善玉菌と悪玉菌

同じパラレルワールドに引き込むには、同じイメージを植え付ければいいのじゃないかな。同じ映像を見せれば、同じイメージの世界に引き込めないか・・・。

放送や映像メディアはそういうことにも利用出来る・・・ということだ。未来を支配したい何者か・・・あるいは人類をオリの中に閉じ込めておきたい何者かがいるとするならば、そういう方法もあるということだ。

人のこころに何かを植え付けておけばいい。イメージが未来を創造する。


たとえば・・・ガン細胞をカタキのように、排除することしか考えられない状態は・・・つまり、そういう状態なのではないか。これじゃあ人類の病気は永遠に無くならない。

それは誰かの意図・・・ではなくて、人々の・・・個々のイメージが創り出した「未来」なんだろう。何でもかんでも得体の知れないものを敵とみなす。

得体が知れないので、まだ小さいうちに・・・子供のうちにやっつけてしまおうと「早期発見」が始まった。おかげで、ふたりに一人がガン・・・だということになったらしいが・・・。

見つかっても治療方法はそんなに変わらない。ようするに正体がわからないまま・・・ということになっている。医療などちっとも進歩していないってことだ。

なんともはや、そんなにボンクラだった・・・とは思いたくないが・・・がん医療には多額のお金が動く・・・ことは知っている。


さて、世間では善玉菌、悪玉菌・・・などと区別しているが・・・この言い方もわたしは気にくわない。だいいち体内細菌のことは、たしか・・・そんなにわかっていないはずだ。

わかっていないのに「善玉」だとか「悪玉」だとか・・・悪玉にされた方はいい迷惑である。

ようするに、体内細菌も人間社会と同じで・・・嬉し楽しが好きな菌もいれば、悲し苦しが好きな菌もいるわけだ。

悲し苦しが好きなやつは、身に降りかかる出来事をなんでもかんでも悲し苦しにしてしまう。

自分のことだけじゃなくて、他人の悲し苦しまで、自分の栄養にしてしまう。挙句の果てに、他人まで悲し苦しの状態にしてしまったり・・・。

悲し苦しがなければ生きてゆけない・・・というのが、彼らの世界。別にそれが悪いわけじゃない。嬉し楽しが好きなやつらとは反対側を向いているだけ。

表は裏。裏は表。

だから、悪玉菌にはびこられる人は、悪玉菌の波動に合っているってことだ。つまり、自分のせい。悪玉菌のせいにしちゃいけない・・・と思う。

悪玉菌だってこの世で、がんばって生きているのだ。


そんなわけで、がん細胞も・・・というより、がん細胞は間違った捉えられ方をしている。がん細胞は、ホントは人間の味方なんだと・・・わたしは思っている。

ガンとは血液の異常だからだ。異常になった血液を知らせてくれるのががん細胞。がん細胞が無ければ・・・身体が動かない、目が開かない・・・と、そんな朝が突然やってくるかもしれない。

がん細胞は味方なんだと思って、現代医学のいろんな矛盾と照らし合わせていけば・・・パタパタと謎が解けていくはず。

血液の秘密も見えてくるはず。


この地球は、さまざまな次元の魂たちが、同じ世界で生きている。魂の世界では絶対に出会うことがないような・・・とんでもないやつだっている。

こんな世界は他にはない・・・んじゃないかな。よく知らないけれど・・・。

だから、善玉菌だって悪玉菌だって・・・いろんなやつがいっしょに暮らしているのだ。だれが悪だとか善だとか・・・だからそういう目で見ると、いつまでたっても争いは無くならない。

見えない世界のエネルギーが、たまたまそういうカタチになった・・・というのが、この世の事象なんだと思う。それが個性なんだと思う。

ひとつのイメージに・・・たとえば、誰かの鼻の形にとらわれていると、その人のきれいな瞳に気がつかない。すてきなくちびるに気がつかない。もちろんその逆もあるけれど・・・。

みんなまとめて、ひとつのイノチ・・・ひとつの宇宙なんだろう。


2014年2月1日土曜日

女性は偉大

この世は振動で出来ているので、振動数が下がれば氷のように冷たく固くなってゆくし、振動数が上がれば一般の・・・人々の目には見えなくなってしまう。

現代社会のさまざまなシステムが冷たく固くなってしまったのは、だぶんそういうことだ。意識の波動数が低くなってしまった。ちょっとやそっとじゃ動かない。次から次へと新手がやってくる。

それに気づいて手放そうと思っても・・・なかなか・・・逃げ出すには勇気と決断がいる。

けれど・・・よく考えてみると、上がるとか下がるとか、あったかいとか冷たいとかという感覚は・・・ようするに現世的なわけだ。この世の感覚。

あの世には上も下も無いわけで・・・善も悪も存在しない・・・というか、そういう区別ができないわけだ。だからこの世でのランク付けは意味を成さない。

ただ、生成発展するのが宇宙なので・・・この世では広がる感じがある。わたしなどは暖かく明るい方を選びたいが、中にはその逆を望む人もいるんだろう。

冷たく暗い方へ生成発展したい・・・という人がいても不思議はない。

あの世では、無限に縮んで・・・身動きの出来ないくらい縮んでも、それでも果ては無いかもしれないけれど、この世ではそうはいかない。

存在するためには「カタチ」が必要なわけで・・・ある限度を超えるとパン!!・・・となる・・・が、その先がどうなるかは知らない。バラバラになって・・・また最初から・・・石ころからやり直すんだろうか・・・。


さて、神崎という遊女(あぞびめ)で知られた場所がある。ここにいた女性たちは、元々「性」を生業としていたわけでない。

瀬戸内の大きな神社には必ず白拍子の集団がいた・・・と言われるように、見えない世界からのエネルギーが女性性を通して流れてくる・・・ということをいにしえ人は知っていたんだろう。

彼女たちは神事を執り行っていた。

ところが、やがて遊女(あぞびめ)から遊女(ゆうじょ)へと変質してゆくのは、平安末期を経て武家社会へと変遷している流れと並行しているように思う。

それと時を同じくして仏教が庶民の中へ浸透してゆく。名僧と呼ばれるひとたちが幾人も同時期に現れるのはこの時期をおいて他にはない。

この時期を、現代の学問のシステム・・・に囚われることなく調べればいろんなことが見えてきそうだ・・・が。


この神崎女たちの変質にも意識波動の変化があったんじゃないかとわたしは思っている。

見えない世界からのエネルギーが女性性を通して男性性に伝わり、それがまた見えない世界へと還ってゆくのなら、女性性の意識の波動数の低下は社会全体の波動数の低下・・・質の低下につながっていても不思議じゃない。

この時期の男たちはいったい何をしていたんだ・・・と思うが、別な話になるので、今は書かない。

この変遷は宇宙の呼吸のようなものなので、最近の女性たちの意識の高まりは、ちょうどこの頃の逆の流れということだとも言える。

その高まり方が、いままでのシステム・・・暗く冷たい方向への高まりなのか、新たな道筋となる、明るくあたたかい方向への高まりなのか・・・それによって世界の未来は変わってしまうのかもしれない。


五十音図の中で、母音とは両脇で永遠にそびえ立つ柱・・・で、父音はその間をチョロチョロと飛びまわっている・・・というのがわたしの印象なのだが・・・。

やっぱり・・・女性は偉大なんだ・・・ということなんだ・・・ろう。



2014年1月25日土曜日

ザワザワとしたもの

食品偽装につづいて食中毒。胃炎、腸炎になっても不思議はない・・・ということかな。そのうち肺や心臓も出てくるんだろう。

タミフルやリレンザ・・・残留農薬や添加物・・・などの規制緩和。放射能による障害は、全部覆い隠されてしまうんだろう・・・か。

最近はいつもザワザワしたものを感じている。

かといって全部オープンになれば・・・他国からの干渉に耐えられない。国体は維持できなくなって、この国の民はみんな道具のように絡め取られてしまう・・・かもしれない。そのことに気づくか気づかないか・・・は別として。

民族を支配し、根絶やしにするのは何も重火器兵器による戦争だけではない。退廃と腐敗、不安と恐怖・・・自立できなくすれば、簡単に道具になってしまう。

だったら、これは何者かとの戦いなのか・・・いや、ホントは・・・戦いではないとわたしは感じている。なぜなら、敵がよく見えないからだ。

少なくとも、この次元にはいない。

だいいち、ひとつの・・・たとえば・・・ひとつの胃袋の、外側の細胞と内側の細胞が戦いを始める・・・なんてことはありえない。

宇宙はひとつ・・・ということはそういうこと。宇宙というひとつの命の中の一部にわたしたちの星があり、そしてその星の一部としてのわたしたちがいる。

それなのに、なぜ戦いのように見えるんだろう・・・たぶんそれは・・・ガンを敵とみなし戦ってきた歴史によく似ているんじゃないか。

血液のニゴリが全身に回らないように、その汚れを一箇所に集める・・・これをガンという。やがて危機が去れば、ガン細胞は消え失せ・・・赤血球に戻り、元の循環を繰り返す。

ということは、人の命を守るためにガン細胞は存在する。だからこそ、誰の体にもガン細胞は存在する。

ホントは味方であるはずのガンを敵とみなして、人類は戦いつづけてきた。敵とみなされたガンの悲しみが壁になって、魂から・・・見えない世界から、肉体を通じて伝えられてくるメッセージが聞こえないでいた。

ガンが人を苦しめてきたんじゃなくて、人がガンを・・・肉体を苦しめてきたんだろう。送られてくるメッセージは、心の・・・魂の扉が開けば、みんな聞こえるようになるのに。

扉を開くということは、追われたエデンの園に還るということ。また自由に立ち入ることができるようになる・・・ということ。


ところで、血液のニゴリは海のニゴリと相似象だ。なにしろわたしたち人間は、地球の一部なんだから。

だから、海のニゴリを無くす方法を、相似象の関係性を踏まえながら人間の血液に合わせていけば・・・たぶん血液のニゴリを無くす方法がわかるはず・・・と思う。

それは同時に、海のニゴリを無くす方法が、人類社会のニゴリを無くす方法・・・につながるんじゃないか・・・とも思っている。飛躍し過ぎだろうか・・・。





2014年1月18日土曜日

いまさら・・・

いまさら・・・という感じになってしまったが、あの「おもてなし」のポーズ、あれは東南アジアのスタイルだろう・・・と、今でも思っている。誰も言わないけれど・・・。

東京開催についての感想は今でも変わっていない。福島原発は東京の電気をつくっていた。そのことは忘れちゃいけないと思う。

ただ、2020年開催ということで、ここに何か大きな・・・大いなるというか、そういう働きがあるように思う。

たとえ選考委員への・・・なんというか、過大すぎる働きかけの結果であったにせよ、2020年に日本で行われる・・・ということにはきっと意味があるはずだ。

わたしが個人的に感じていることは、2017年、2018年あたりに大きな変化が起こりそうな気がして・・・その先に行われるオリンピックはずいぶん違ったものになるんだろう・・・ということだ。

具体的には言えないけれど、きっと・・・新しい何か・・・形式なのか、意識的なことなのか・・・現在の実行委員や広告代理店や資本家などの思惑とはずいぶん違ったもの・・・。

現れ方が表か裏か…ということは読めないけれど・・・まったく新しいオリンピックの第一回・・・ということになる・・・はず。

それはそれで期待感あふれる感じではあるけれど、問題はそこまでにいったいどういうことが起こるのか・・・ということ・・・ではある。

でも、それはわからない。わからないからこそ、日本人としての・・・あるいは人間としての本質を見失わないことだと思っている。

見えない世界からの「軸」を手放さないことだ。それは何度も書いてきた。



話は変わるが、神社には神の像がない。お寺の観音や如来仏像、キリスト教会のマリアやキリスト像に類するものはない。そこには鏡があるだけだ。

・・・鏡。自分と自分を見ているもうひとりの自分。主体と客体。見えない世界の自分と見える世界の自分・・・のことだ。見えない世界に神がいる。

見えない世界にいる神と、見える世界にいる自分がつながる場所。

古事記の天の岩戸の場面。天照大神が岩戸を少し開けて・・・すると外から手力男神が鏡を差し出す。天照大神は、つまり自分の姿を見ている。なんとも象徴的な場面だ。

宇宙には神のハタラキがあり、その宇宙は内有(うちう)。人の内にも有る。人の内に神はいる。だから神社には神の像はない。

神社は、そのことに気づき、見えない世界からの「軸」を取り戻す場所でもある。鳥居をくぐったときのあの凛とした感覚。万物とつながった感覚・・・あの内では殺生などできない。



揺れはだんだん大きくなる。「軸」から離れれば離れるほど物質化となる。人の体をもモノ次元でおさめようとするのはその現れだ。

究極、上位の者は下位の者を・・・モノとして扱う。

けれど、揺れには必ず揺り戻しが起こる。そうなるともう耐えられない。外側は消滅へ向かわなければならないだろう。それこそ火星へ移住・・・ということになるかもしれない。

そうなること・・・そういう世界に向かうことは2000年も前にわかっていた・・・らしい。だからこの国には、見えない世界と見える世界をつなぐ場所・・・神社がたくさん存在するのだ。

もし、わたしの感じていることが・・・感じている空気が正しければ、近年中に大きな変化が訪れる・・・ことになる。

わたしが出来ることは・・・たぶん、身近な人たちの支えとなる・・・ことぐらいかな・・・。地球を離れる気はサラサラないから・・・そう、地球を守りたい・・・と思っている。