この世は振動で出来ているので、振動数が下がれば氷のように冷たく固くなってゆくし、振動数が上がれば一般の・・・人々の目には見えなくなってしまう。
現代社会のさまざまなシステムが冷たく固くなってしまったのは、だぶんそういうことだ。意識の波動数が低くなってしまった。ちょっとやそっとじゃ動かない。次から次へと新手がやってくる。
それに気づいて手放そうと思っても・・・なかなか・・・逃げ出すには勇気と決断がいる。
けれど・・・よく考えてみると、上がるとか下がるとか、あったかいとか冷たいとかという感覚は・・・ようするに現世的なわけだ。この世の感覚。
あの世には上も下も無いわけで・・・善も悪も存在しない・・・というか、そういう区別ができないわけだ。だからこの世でのランク付けは意味を成さない。
ただ、生成発展するのが宇宙なので・・・この世では広がる感じがある。わたしなどは暖かく明るい方を選びたいが、中にはその逆を望む人もいるんだろう。
冷たく暗い方へ生成発展したい・・・という人がいても不思議はない。
あの世では、無限に縮んで・・・身動きの出来ないくらい縮んでも、それでも果ては無いかもしれないけれど、この世ではそうはいかない。
存在するためには「カタチ」が必要なわけで・・・ある限度を超えるとパン!!・・・となる・・・が、その先がどうなるかは知らない。バラバラになって・・・また最初から・・・石ころからやり直すんだろうか・・・。
さて、神崎という遊女(あぞびめ)で知られた場所がある。ここにいた女性たちは、元々「性」を生業としていたわけでない。
瀬戸内の大きな神社には必ず白拍子の集団がいた・・・と言われるように、見えない世界からのエネルギーが女性性を通して流れてくる・・・ということをいにしえ人は知っていたんだろう。
彼女たちは神事を執り行っていた。
ところが、やがて遊女(あぞびめ)から遊女(ゆうじょ)へと変質してゆくのは、平安末期を経て武家社会へと変遷している流れと並行しているように思う。
それと時を同じくして仏教が庶民の中へ浸透してゆく。名僧と呼ばれるひとたちが幾人も同時期に現れるのはこの時期をおいて他にはない。
この時期を、現代の学問のシステム・・・に囚われることなく調べればいろんなことが見えてきそうだ・・・が。
この神崎女たちの変質にも意識波動の変化があったんじゃないかとわたしは思っている。
見えない世界からのエネルギーが女性性を通して男性性に伝わり、それがまた見えない世界へと還ってゆくのなら、女性性の意識の波動数の低下は社会全体の波動数の低下・・・質の低下につながっていても不思議じゃない。
この時期の男たちはいったい何をしていたんだ・・・と思うが、別な話になるので、今は書かない。
この変遷は宇宙の呼吸のようなものなので、最近の女性たちの意識の高まりは、ちょうどこの頃の逆の流れということだとも言える。
その高まり方が、いままでのシステム・・・暗く冷たい方向への高まりなのか、新たな道筋となる、明るくあたたかい方向への高まりなのか・・・それによって世界の未来は変わってしまうのかもしれない。
五十音図の中で、母音とは両脇で永遠にそびえ立つ柱・・・で、父音はその間をチョロチョロと飛びまわっている・・・というのがわたしの印象なのだが・・・。
やっぱり・・・女性は偉大なんだ・・・ということなんだ・・・ろう。
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