2014年3月15日土曜日

「ワク」の中の・・・

STAP細胞に関してのニュースを読みながら、なんとなく気になっていることがある。

それは「公開実験」・・・どちら側からも、ましてやマスコミからも、この言葉が聞こえてこない。わたしの調べや読みが浅いのだとは思うが・・・。

結局、ただの論文論争。机上の論争。STAP細胞の存在なんて・・・ようするに、ゴチャゴチャ出来ればなんでもいいような。


簡単な実験なら、公開実験にすればいいのに・・・とシロウトのわたしは思ってしまう。なんなら、どっかのテレビ局がやればいい。大スクープ・・・報道・・・バラエティー・・・?

実験するのは別人でもいい。やり方はわかっている。100回やって1回でも成功すれば・・・常識が覆ったことになる。

どうしてしないんだろう。公開実験をしてもいいくらい値打ちのある・・・ひょっとしたら、人類の未来が変わるかもしれないような発見・・・と言うのは大げさか?

この流れでいくと・・・そのウチに、ただの捏造疑惑ニュースとして時の闇に埋れてしまうんだろ。

「幹細胞の正体」もいっしょに・・・。


話しは変わるが・・・「博士」というのは「研究者」達のリーダー・・・だと、わたしは認識している・・・が、違うのかなぁ。

ついでに言うと、実験によってあらゆる疑問を解決してゆく人を「研究者」だとも思っている。

だから、いつも現場に立っているわけだ、博士というのは。現場で試験管を振ったり、フラスコを洗ったりしているわけだ・・・少なくともわたしの中では・・・。

けれど、どうも最近は違うようで・・・実験よりも論文の方が好き・・・なのかなぁ。


ところで、科学というのは「科(とが)」を背負った学問だといわれる。

どういう「科(とが)」かというと・・・見えない世界に背を向けた「科(とが)」。西洋風に言うと「神に背を向けた・・・」となる。

だから見えない世界のことはわからない。宇宙全体の・・・つまり、神が創りたもうた世界の、ほんの一部・・・一面しかわからない・・・ことになる。外に出ることが出来ない。

ましてや、極まったで現代では・・・すり鉢の底で蠢いているような世界では「真実」なんて大した意味を持たないんだろう。


でも、たとえ現実はそうであっても「真実」は消えないわけで・・・ちゃんとソコに・・・いやいや、わたしはあの論文が「真実」だ・・・という話をしているわけじゃない。

わたしは否定も肯定も・・・応援も攻撃もしない。論文なんてどうでもいいんだから。

だいいち、STAP細胞が本物であろうがニセ物であろうが、そんなことはおかまいなしに人体の中では常に「真実」が・・・日々そのハタラキを遂行している。

そのハタラキを内なる神・・・と言ってもいい。

その神に背を向けているかぎりホントのことはわからない。わからなければ科学の「ワク」から外の世界へ出ることも出来ない。固まってゆく。固まって固まって・・・やがて破裂することになる。圧縮爆発。


科学の世界だけじゃない。ホントにいろんな世界で「ワク」を見かける。

「ワク」の外から眺めると、いろんな風景が見えるのに・・・もういいかげん「ワク」から出ないと、そのうちに出れなくなる・・・と、特に最近のニュースで感じている。

「ワク」から出たくない人たちの炙り出しが始まってるような気さえする。あの人もこの人も・・・。あぁ、この人もそうだったのか・・・とか。

そんな思いで、一連のSTAP細胞のニュースを見ている。




0 件のコメント:

コメントを投稿