2013年4月27日土曜日

マボロシの国


ホントにこの国はどうしてしまったんだろ・・・と、また感じることがあった。

マーガリンや味の素が健康に及ぼす影響について、あれだけ騒がれていたというのに・・・そのために、それらはこの国から出て東南アジアに流れていった・・・のに、今また普通に売られている。

まるで・・・過去の騒ぎなんて何もなかったような、そんな気さえする。

この国で認定された難病奇病は・・・たしか5000を越えたはで、そのすべてとは言わないが、わたしは食の質の劣化が大きな要因だと思っている。

身体の各部位と脳とをつなげる「道」がうまく繋がっていない。だから免疫機能や自己再生機能が正常に作動しない。トンチンカンな動きをしてしまう。

合成アミノ酸やトランス脂肪酸などがその原因・・・と思っている。もしくは、脳内伝達物質に何らかの影響をあたえている・・・とも。

ホルモン系統に影響を与えることはマウスなどの実験でわかっているはずで・・・それで日本から出ていったはずで・・・ホントにこの国はどうしてしまったんだろ。

その現状があまりにもアッケラカン・・・という感じなので、さらに奥へ・・・この国はホントに存在しているのか・・・という感覚にまで入り込んでしまった。

日本という国は・・・ホントはマボロシなんじゃないのか・・・と。

遠いむかし・・・少なくとも八幡の民が戻ってくるまでは、わたしはココに、今でいうところの「国家」は無かったと思っている。

それは文明が未熟だったというのではない。精神次元が高かったということだ。精神次元が高ければ「国家」という仕組みなどいらない・・・ということだ。

「大道」は、その当時・・・廃れていなかった。

やがて八幡の民を追いかけて・・・追いかけてきたのか、慕ってきたのか・・・よくはわからないが、多くの民がやって来る。それがいつの頃なのか知らないけれど・・・。

大陸における春秋戦国時代には、東方に宝の国がある・・・不老の国がある、といわれていたと聞く。

壬申の乱以降の、あの国書編纂は実に怪しい・・・いや、実に不思議。まるで唐からの「押し付け」のようだ。「国家」を無理やり押し付けられ・・・つまり属国として成立させられた・・・としたら。

日本は世界に類例を見ない、長い平和な時代が平安期と江戸期にそれぞれ200年ほど続くが・・・その平安期における平和は唐の滅亡が要因だろう。

宗主国が無くなったので、本来の高い精神性が表に現われた・・・といえないだろうか。

平安末期になって、宋との貿易によってまた・・・物質的チカラが入り込んでくる。長い平和の反動から「チカラ」の武家社会へと流れてゆき、応仁の乱へと向かうことになる。そして戦国時代。「国家」を失う。

江戸期の平和は、強力なキリシタン弾圧。それと鎖国。またもや閉鎖によって、本来の高い精神性が復活してくる。

幕末の混乱には疑問な点がいろいろあるが、とにかく西洋に合わせようとして日本らしさを捨ててしまった感がある。足軽政府に日本らしさを求めてもしょうがないが・・・。

そしてそのまま太平洋戦争へ誘導・・・終戦。再び属国。近々、植民地になるかもしれない。

さて、二度の長い平和は対外的に関係を絶った・・・のちに続いているが、歴史を振り返っても対外関係を絶ってしまってはその反動がいかに大きいかがわかる。

ヒカリとヤミを分離してしまってはいけない。

本来の高い精神性をもって、その高みから見下ろせば・・・なんて馬鹿なことをしていたんだろう・・・と、気づく時がきっと来る・・・いや、来るはず・・・来るかな?

この国は、日の出る国。「日(ヒ)」とは「霊(ヒ)」。言霊の・・・宇宙創造のエネルギーの幸倍(さちは)う国。護身のために「銃」を必要とするような、どこかの野蛮な国ではない。

世界中の人は、きっと日本が好きだと思う。そのことに、早く多くの人々が気づけば・・・いいのに。



2013年4月20日土曜日

勝ちさび・・・の果て

いまから思えば裁判員制度も、そういうことだったのか・・・ということがわかる。どこかの大学の秋入学の話や、どこかの会社の公用語が英語になる・・・という話も。ネット販売の会社が保険を始めたり・・・実にわかりやすくなった。

資本による世界統一。

政経・・・ではなく経政。政治よりも資本が前に来る。いや、上にくる。これは物質文明が極まったということだろう。

何千年も前に、「精神」ではなく「物質」による学びを求めて出ていった人々が・・・その学びの完成の報告に、この国に帰って来る・・・ということか。

時代はこの時を待っていたように急転回だが・・・大きな渦は、これから何処へ向かうのだろう。その先がよく見えない。

ひょっとすると彼らは・・・いや、彼らと言っても特定の人物や民族ではないが・・・彼らは、この国に入ると日本人の顔になり、そして日本人の顔で世界を動かそうとするかもしれない。

何故なら、かの国は世界中に悪評をフリ撒きすぎた。日本人の顔ならば世界は安心する・・・かもしれない。


古事記の中に、スサノウが高天原の田の畦を壊し、クソを撒きちらす場面がある。この田の畦とは、言霊五十音図の「田」のことだ。クソは「組素」。それぞれの言霊の組み合わせ。

つまり、宇宙の法則である言霊の仕組み・・・宇宙の理(ことわり)をバラバラにしてしまった・・・ということになる。

太陽も、地球も、人間の身体も・・・みんな宇宙の摂理・・・自然の仕組みで出来ている。

人類が、宇宙の法則から離れれば離れるほど、その反動は大きい。宇宙の持っている自然治癒の力・・・真ん中に戻そうとする力に人類は勝てない。

・・・というより、人類はその力の中でしか生きられない。


その段の最後に・・・天の服織女(はたおりめ)見驚きて、「ヒ」に陰上(ほと)を衝きて死にき・・・とある。

「ヒ」とは・・・(ホントは漢字にしたかったが変換できない)・・・「霊(ひ)」。陰上(ほと)は陰部・・・産まれ出でる場所のこと。

言霊のエネルギーが乱れてしまって、何も生み出せなくなってしまった・・・ということになる。未来が創れなくなってしまった・・・ということでもある。

そしてアマテラスは岩戸を閉じて、世界は暗闇となる・・・わけだ。

これは遠い昔に、実際に起こってしまった出来事かもしれない。エネルギーは時空のハタラキによって螺旋となるので、同じようなことを繰り返していると、再び同じような出来事が起こってしまう。


未来をどう創るのか・・・大きな渦に、答えを見出せない。


以前にも書いたが、年に二回執り行われる大祓のときに奏上される祝詞に、この状況を回避するための方法が宣られている。


「天津金木を本打ち切り末打ち断ちて 千座の置座に置足はして 天津菅麻を本刈り断ち末刈り切りて 八針に取裂きて 天津祝詞の太祝詞事を宣れ」
(あまつかなきを もとうちきり すえうちたちて ちくらのおきくらにおきたらはして あまつすがそをもとかりたち すえかりきりて やはりにとりさきて あまつのりとのふとのりとごとをのれ)


世界を変えるのは大変・・・でいて、とても簡単。人が求めるモノを変えるだけで世界は変わる。

資本は、お金の生まれない場所には興味がない。お金が生み出せない場所では生息できない。この辺に・・・なんとなくヒントがあるような気がする。



2013年4月13日土曜日

ヤミにヒカリをあてる


陰陽のハタラキは揺れを生み、波を生み、波動を生み、渦を生み、螺旋を生み・・・そのエネルギーは地球をもめぐっている。

東回りのエネルギーと西回りのエネルギーは、やがてこの国で交わって・・・交わったエネルギーは光となって闇を照らす・・・が、この「闇を照らす」とはどういう事象として現われるのだろう・・・などと考えている。

お金の世界では、今や陽のハタラキが極まってしまって・・・それでも留まる事を知らないまま、どこまでも吸引を繰り返している。陽極まって陰となるのもあと僅かな気がする。

もともと、八拳剣の判断力から生まれたシステムなので終わりが・・・行き着く場所がない。それは循環ではなく回転。螺旋での上昇は望めそうにもない。

あまりにもネガティブなエネルギーが多すぎで、間違いなく宇宙の法則に反している。宇宙の法則に反しているものは、やがて淘汰される。それが自然の摂理だ。

ところで日本は(81番)光(81)の国なので闇に光をあてるのは日本の役目なんだろうが・・・闇に光をあてるとはどういうことなんだろう。

わたしは、どうもこの国の歴史の中に何かがあるように思えてならない。隠された何か・・・忘れ去られた何か・・・。

三次元の世界である以上、闇の存在は必然だ。人間にお腹と背中があるように、光には闇が生まれる。切り離してはいけないものだ。
その切り離してはいけない闇に光があてられ、明るい場所に現われる・・・とは、真実が見出される・・・と単純に捉えてもいいのか?

確かに、政治や司法の闇が暴かれたことは事実だが・・・さらにもうすぐ医療や宗教の闇にも光があたるだろうが・・・それだけで人類は光のもとへ導かれるのだろうか。

彼らが、避難を浴び社会的に抹殺されてゆけば結局そこにまたネガティブなエネルギーは蓄積されてゆく。

数千年の間に生み出されたネガティブなエネルギーは計り知れないくらいあるだろう。そのチカラが、人類の意識の上昇を引き留めている可能性は大いにあると思う。

過去の時間の流れの中に閉じ込められたネガティブエネルギーは、きっと表に出たがっているだろう。自分たちの存在を知ってほしいに決まっている。

切り離してはいけない闇とは・・・わたしたちの先祖の生きた道・・・なのかもしれない。それはすべての人の魂の歴史でもある。そこに光をあてる。

・・・ヒカリ。

世界中に残っているネガティブエネルギーに光をあてるのが日本人の役目・・・だとしたら、なるほど納得がゆく。

日本は過去にあれほどの「無差別爆撃」を受け、二度の「原爆実験のモルモット」にされた・・・のに、こんな国に・・・いや・・・なんてお人好しで、あったかい国民性なんだろうか。

それはつまり、世界の闇に光をあてるために天が授けてくれた・・・とても尊いチカラ。


大きなチカラが、この国の尊厳を蝕もうとしている。人々の人生を我がモノにしようとしている。けれどヤミのチカラはヒカリ無くして存在しえない。

ヤミにヒカリが溶けるのではなく、ヒカリにヤミが溶けるのだ。

 

2013年4月6日土曜日

百花を知って一花を知らず


毎年、駐車場に咲くスミレ。何処からかやって来て、わずかな割れ目に根を下ろした。

少しだけ抜き取って、ここよりはちょっとはマシな場所で育てよう・・・としたことがある。けれどダメだった。

種を集めてプランターで育てようとしたことも・・・手を掛けすぎてダメになってしまった。

それ以来、ずっとそのままにしている。「ココがいい」・・・って言ってるようだ。

わたしとしては、もっと広い場所で・・・群生できるような広い場所で咲いてもらいたいけれど、彼らの気持ちは彼らにしかわからない。

そういえば、去年よりだいぶ大きくなった。また今年・・・種を拾い集めて、挑戦してみようか。今度はホッたらかしにして・・・彼らの力に任せて・・・。


アスファルトの割れ目で生きている草花は人間の目を気にしているとは思わない。だから、自分の境遇を悲しい・・・なんて思っていないだろう。彼らは「ただ生きている」。

けれど人間は不思議で、そんな彼らの存在を歌にしたりする。


花屋の店先にも綺麗な花たちが並ぶ季節になった。切花から鉢植えの苗まで・・・野菜の苗もたくさん出回っている。

いろんな品種が溢れ、色とりどりで・・・見てるだけで楽しくなる・・・というか、ついつい衝動買いをしているわたしだ。

それも・・・売れ残って、根っこもパンパンに張った・・・いわゆる瀕死寸前のものばかり。いや、ただただ生かせてあげたい・・・という思いが出てしまうのだ。

今は、去年買った「瀕死状態のハイビスカス」が気にかかっている。蘇ってほしい・・・。


花を育てながら思うのは・・・先のスミレの話しにも書いたが、手を掛けすぎてはいけない・・・ということだ。

この花はこう、この野菜はこう・・・と、いろんな知識が頭の中に詰っていても、結局はその植物の持っているチカラこそが最も頼りになる味方・・・なわけだ。

福岡翁のコトバを・・・ふと思い出す。


「人間は自然を壊せても、自然をつくることはできない。子供が玩具をいじって壊すようなものである。
人間の知恵は、いつも分別に出発してつくられる。したがって人知は分解された自然の近視的局部的把握でしかない。自然の全体そのものを知ることはできないで、不完全な自然の模造品を造ってみて、自然がわかってきたと錯覚しているにしかすぎない」

「人間は、本当に知っているのではないということを知ればよい。人知が不可知の知であることを知れば、分別知がいやになるはずである。分別を放棄すれば、無分別の知が自ずから湧く。知ろう、わかろうなどと考えなければわかるときがくる。
緑と赤を分ければ、その瞬間から真の緑や赤は消える。天地を分別すれば、天地はわからないものになる。
天地を知るためには、天地を分けず、一体としてみるしかない。天と人の融合である。
統一、合体するためには、天地に相対する人間を捨てる、自己滅却以外に方法はない」

                        福岡正信「わら一本の革命」より抜粋