2012年9月29日土曜日

「たかまはらなやさ」再考

「ア」という主体と「ワ」という客体をつなぐ天の浮き橋の並びが「タカマハラナヤサ」・・・となると分断がなくなる。分断が無くなり調和へと向かう。これを「天津太祝詞音図」という。

「ア・タカマハラナヤサ・ワ」の五十音図を書いてみて「ア・カサタナハマヤラ・ワ(天津金木音図)」のそれと比べてみると、いくつかの興味深い違いが見えてくる。

「ア・カサタナハマヤラ・ワ」の天津金木音図は真ん中で別れる。「アカサタナ」と「ハマヤラワ」。

「アカサタナ」・・・明(あか)き悟りの田を成せ。(田とは言霊音図のこと)
「ハマヤラワ」・・・端(は)をまとめて八つに並べて和せ。

前は精神世界、後ろは物質世界・・・精神世界の側の真ん中には「ス」が入り、物質世界の真ん中には「ユ」が入る。

宮中行事である新嘗祭や大嘗祭での「主基田(すきた)」「悠紀田(ゆきた)」は、この言霊世界を表しているのだろう。

天津金木音図では分断されている「ス」と「ユ」が、天津太祝詞音図では向かって左の隅っこに仲良く並ぶ。

もうひとつは「キ」と「ミ」だ。これも天津金木音図では分かれてしまっているが、天津太祝詞音図になると、今度は右側に並んでいる。

「キ」は「気」、「ミ」は「身」・・・と「君が代」の記事に書いた。見えないものと見えるものが、仲良く手をたずさえて歩んでいこう・・・と。

言霊音図には、天津太祝詞音図(アマテラス)と天津金木音図(スサノウ)の他に・・・ここでは説明はしないが・・・赤玉音図(ツクヨミ)、宝音図(ツキヨミ)。それとそれらの基本構造をしめす天津菅麻(アマツスガソ)音図(イザナギイザナミ)とがある。

言霊音図は、社会の事象を判断するのに便利だ。あるいは、人間の行動や思考・・・つまり、コイツはどういう考えで動いているのか・・・なども含めて・・・。

縦の五音は空間・次元を表し、横の並びは事象の時間的変化を表す。天津太祝詞音図の縦は「アイエオウ」。

それぞれの音図に当てはめてみると・・・現代の社会情勢は、間違いなく天津金木音図に当てはまる。それもずいぶん偏った・・・極まった感がある。

言霊の仕組みを(人間の精神構造)解明したということは、遠いむかしに高い精神性を持った人々がいたことは間違いない。

なのになぜ・・・世界が物質至上に動き出したのか、数千年もむかしのことなので・・・わたしには実感としてわからない。高い精神性のままの方がしあわせなのだろうに・・・と思ってみたりもする。

それでも宇宙は常に生成発展しているので、物質至上世界で・・・分離分断での競争社会がどういうものなのか・・・知りたかったのかもしれない。

誰が?

・・・宇宙が? ・・・「いのち」が?

                       高天原成弥栄 高天原成弥栄




2012年9月15日土曜日

ふたりのヒメ


中国では大変なことになってるようだ。

イスラム諸国における反米と・・・現われ方は違うけれど、どこか同じ臭いがしている・・・いろんな意味で。

しかし、石原都知事も・・・どんな裏があるのかは知らないが・・・しょうもない事をしたものだ。14億集まったというけれど・・・日本企業の損益はそれどころじゃ済まないだろう。

中国当局は騒ぎを大きくしたくないようで、ネット記事の削除が尋常ではないらしい。
ま・・・その手の抑圧は、いつも尋常ではない国だけれど・・・。

たとえ当局が抑え込もうとしても、この騒ぎはもう少し大きくなるような気がする。

デモ隊には日当が出ている・・・とかいう話しも聞こえるし・・・だいいち、高級品や食料などが、タダで手に入るのだから・・・。

「ウ」次元の負のエネルギーが強力になればなるほど、時代の転換は大きく加速する。欲や保身に駆られた「我よし」の人々は、たぶんその役目を担っているのだろう。

「ウ」次元は主に西洋が、「オ」次元は主に東洋がその舞台で、やがて人類は「エ」次元へと移行するはずだが・・・なにぶん「ウ」次元と「オ」次元が強すぎて・・・なんとなく「ア」次元が歪んでしまったような気がする。

「ア」次元が素直に広がっていかなければ「エ」次元への移行は困難だろう。自己と他者が分裂したままだと上昇できないと思う。

その「エ」次元を担っているのが日本ということだが・・・だいじょうぶかなぁ・・・。

政治・経済・・・見ていると、どいつもこいつも「ウ」次元の亡者のような・・・あるいは「オ」次元の邪鬼のようで・・・。

そういうわたしも・・・たいしたモンでもないのだが・・・けれど、だいじょうぶだ。すでに一厘の仕組みは動き出している。その現われが今の世界の動きなのだと思う。

世界を見ながらふと、古事記の一場面を思い出した。それはニニギノミコトが姉のイワナガヒメを追い返して、妹のコノハナサクヤヒメと一夜を過ごす段。

このコノハナサクヤヒメとは・・・コの葉名を裂く・・・ともとらえることが出来るので、社会のさまざまなものを分離・分断してゆく「新自由主義」を表しているともとれる。

イワナガヒメを返してコノハナサクヤヒメだけを選んだので、父親のオオヤマツミノカミは「・・・木の花のあまひのみまさむ」(命は、木の花のようにもろくはかないものになるでしょう)と言う。つまり、この時をもって人類の命・・・寿命が短くなったというわけだ。

ところが、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメの姉妹を、ともにおそばに置いておけば・・・雪が降ろうが雨が降ろうが、いついつまでも岩のごとくに動じることなく、木の花の咲くごとくに栄えると言う。

このイワナガヒメとは「五十名が秘め」ととらえることが出来るので、言霊五十音のことだろう。

物質文明の極ともいえる新自由主義も、言霊五十音の精神宇宙が備わっていなければ、ガラガラと崩壊してしまう・・・というわけだ。

 

2012年9月8日土曜日

「渦」を見ながら


人は「福」を求めるが、この「福」とは「腹霊」のことで、お腹の中に住んでいる「欲望」のことでもある。

見えない思いが具象化してゆくエネルギーを孕んでいるわけだ。だから「欲望」がなければこの世もつまらない。

けれど、ずっとずっと昔・・・何かのキッカケでその「欲望」が暴走してしまった。つまり、それが物質至上。拝金主義・・・などという姿になってしまった。

たぶん「徳」や「慈しみ」を見失い、見失ったまま「欲望」を解き放ってしまったのだろう。

節分の時に掛ける「鬼は外、福は内」・・・という掛け声は、そういう暴走した「欲望」が生み出したものだ。

この場合の「鬼」は人間の本来の心・・・「良心」といえる。

「欲望」を満たそうとするときに「良心」が邪魔になるからウシトラに閉じ込めて「戸」を閉めてしまった。だから「鬼は外」。

それがウシトラ金神。金神の金は「神音(かね)」・・・おそらく言霊のことだろう。言霊五十音図ともいえる。

やがて「ウ」の戸が開いて、閉じ込められていた「良心」が世界に溢れ出す。それはつまり「人間とは何者なのか」という問いでもある。

角度を変えて見れば・・・「人間とは何者なのか」という問いを求められる出来事が、世界に溢れ出す・・・と見てもいい。

さらに「人間とは・・・」という問いは同時に、自分は何者・・・という問いかけでもあり、さらに自分は何を為すべきなのか・・・為すべき勇気はあるのか・・・という実践的な行為を求める呼びかけでもある。

すでに世界は・・・「どうなる」という時代から「どうする」という実践的な時代に入った。

何を実践するのか、どう形にするのか・・・それは世界に、あるいは心に溢れ出し始めている「良心」が導いてくれる。

さて、世間は凄まじいほどの勢いで渦巻いているが、これはすべてを真ん中に戻そうとする宇宙の法則が起こしたものだ。よほど偏った方向に人類は突き進んでいたのだろう。振り子は途中で止まれない。

わたしは少し離れたところで・・・常に真ん中を意識しながら・・・心地よい「良心」に身を任せて、大きな「渦」を見ている。自分の出番を待ちながら・・・。

2012年9月1日土曜日

みんなわかっていた



写真は、昨日の朝・・・の瑞雲。
・・・といいたいところだが、今のわたしにはそんなに素敵には見えない。

どうしてもエアゾルに見えてしまう。ケムトレイルという余計な知識が入ってしまって・・・いつのまにかわたしは、「邪」にしか見えない悲しい人間になってしまったみたいだ。


ACTAが強行採決・・・というよりは抜け駆けの採決ということになった。そして来年はTPPの年。

ケツに火がついた中国と韓国は、日本を悪者にして自国民をごまかしているが・・・それはきっと別の存在からの差し金で・・・チクチクとこれから突いてくるのだろう。

日本国内にあるウォンを売り飛ばしてしまえばいいのに・・・それとも買い占めるか?
金持ちの日本なら、そんなことも出来ると思うが・・・この国の中にも一緒にダンスをするヤカラがいるんだからしかたがない。

あの・・・維新の会は、どう見ても新自由主義の子供で・・・敵を作っては金儲けを企んでいる・・・ようだ・・・と、ここでは言葉をにごしておく。

ほんとにいろんな方面から仕掛けられているような日本。「日月神示」の中にもそういう御筆書きがあったが・・・はっきり思い出せない。

とうとう、日本のホントお役目がやって来た・・・と感じている。


「アオウエイ」を天の御柱といい、左側の「ワヲウヱヰ」を国の御柱と言う。天の御柱は主体であり、国の御柱は客体となる。このふた柱は、互いの存在を知らない。

余談だが、むかし山梨のとある山間を散策していた時のことだ。
里人もめったに通ることもないだろう小橋の下で、一本の月見草と出会った。

その時、始めてわたしは植物と・・・月見草という花と会話を交わした・・・と感じた。

天の御柱と国の御柱の関係は、ちょうど・・・人に見られることのない月見草と、その月見草の存在も知らない人間のようなものではないだろうか。

そのふたつの存在をつなげるのが天の浮き橋・・・「キシチニヒミイリ」の八音だ。
この八音を創造八神といい、物事が具象化してゆくための道を切り開く。

父韻というのは日本語では目に見えないが、ローマ字書きにすれば現われる。
「K・S・T・N・H・M・Y・R」

この父韻と天・国のふた柱の母音とが出会い子音を産む。子音の数は三十二音。
この三十二音が、事物を具象化する言霊・・・後天三十二神。

言霊五十神は、それぞれのエネルギーを放ちながら、その配列を変え人間のこころの構造を表し、万物を生成し、人間の意識宇宙をも創造してゆく。

五十音図を造ったいにしえの人々は、人間の心の構造を解明し、意識宇宙の個性を見極め、万物の最小単位まで知っていた。

宇宙レベルの科学をもちながら・・・いつの頃かわからないけれど、何らかの事情で、客体中心の・・・つまり物質至上の人々にその地位を明け渡し、地下に隠れた。

・・・何故だろう。

さらにその言霊が・・・言霊の参考書といわれる古事記の編纂1300年という節目に甦ってきた。

この意味は・・・?

宇宙エネルギーのハタラキを解明した・・・ということは、時空の構成要素もわかっていたかもしれない。ならば・・・数千年の未来の人々が、言霊の存在に気がつくことも・・・知っていた可能性があるのではないか。

こうなることは・・・わかっていた?