2014年1月11日土曜日

イルミネーション

いつ頃からかハッキリしないけれど・・・イルミネーションに感動しなくなった。何でだろう。いくら派手になっても・・・物足りなさでスッキリしない。

さまざまな色が巻き起こす光の・・・幻想的な世界。幻想・・・マボロシのせいなのか。それともわたしが鈍感になったのか・・・。

ああ・・・そうだ、鈍感になったというのが正しい。

年々規模が大きくなって・・・年々工夫がなされてゆく・・・が、それはたぶん、とめどない欲望の裏返し・・・のようで、よく言えば美しさや感動の探求なんだろうけれど・・・。

上昇拡大思考の現れ・・・とも、なんとなく違うような気がする。巨大になって、威圧感を増してゆく建造物のような・・・なんとなくそんな感じ。

毎年変化してゆくイルミネーションよりも、遠い昔から変わらない星のきらめきや、月のかがやきの方が、わたしにとっては感動的で・・・同時に安らぎを感じさせてくれる。



都会の夜景をながめながら・・・なんとも巨大なシステムになったものだ・・・なんて思うのは、ちょっとムードのない話だが・・・わたしはついつい都会のイルミネーションを見ると想像してしまうことがある。

闇の時代の象徴的な・・・その闇の持つ吸引力から離れられない人々。

巨大な権力構造・・・というか、経済システムというか・・・多少の人々の意識が変わったって何の変化も起こらない社会。小さな声は深い闇の中へ消えてしまう。

闇の中ではザワザワとウゴメク無数の声たちが、出口を求めて・・・自分勝手にさまよっている。

そこへ光をあてるのは、なんとも勇気のいることだ。ましてや手を突っ込むなんて恐ろしくてできない。

それでも、巨大なシステムの中にあるんだろう自分らしい生き方をめざして・・・周囲に流されることなく・・・向かうべき場所に向かって・・・闇の中を進む。

まるで巨大なイルミネーションに溶け込むような・・・電飾の球のひとつになった自分を美しいと思うような・・・なんとも納得のいかない感覚に包まれる。



そんなことを想像してしまうのは、たぶん・・・モノの世界に馴れすぎたせいだ。

何も見えていない人間が、なんでも見えている気になって・・・すべてをモノの次元で判断することを学んだせいだと思う。

物質世界がすべてだと思っているので、見えない世界が闇の世界に変化してしまう。闇の世界を恐れ、恐れながらも闇の世界をさまよってしまう。

けれど、そのままではどこまで行っても逃れられない。見える世界は見えない世界の内にあるのだから、当然といえば当然だ。

都会の闇の中で輝くイルミネーションは・・・そういう人間の感覚を表現しているのかも・・・。



さて、2014年はどんな年になるんだろう・・・と考えている。

岩戸が開いた・・・というのは、人間としての本質が表に出てくる・・・ということでもある。人間が人間らしくなる・・・と言ってもいい。

個性が顔を出すので、今までのように均一・均等を目指していては、きっとおかしくなってしまう。別々な個性が融合しあい・・・または摩擦しあい・・・新しい何かがアチコチで生まれる・・・そんな年になると思う。

だから、混沌はまだ続く。闇が濃くなるかもしれない。

闇の中に光が溶けるのか、それとも光の中に闇が溶けるのか・・・夜明け間近ということを考えると後者の方なんだろうけれど・・・うまく個性のレゴブロックがはまって、素敵な未来になればいい。


神から分離した人間が、グルッとまわってやっと還ってくる。その還るべき場所は・・・見えない世界から伸びている「軸」がわかれば間違えることもないはず。

システムが崩壊して、みんなバラバラになっても、「軸」さへ手放さなければだいじょうぶ。人間性をなくさなければだいじょうぶ。

「良心」が教えてくれるはず。

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