2013年9月21日土曜日

陽極まって・・・

来年か再来年には・・・オリンピック中止・・・ということになるような気がする。こんな状況でオリンピックなんて、どう考えても正気とは思えない。

わかってて選んだのか、知らずに選んだのか・・・そこまでは知らないけれど、日本の代表団たちの演説に動かされて決めた・・・なんてことはない。

前から決まってたんだ、きっと。そんなこんなで、IOC内部のいろんな事も・・・ついでにひっくり返るかもしれない。

世界を元気にしたい・・・ならマドリッドだろうし、世界に平和を・・・ならイスタンブールだろう。東京のメリットは・・・と、考えても浮かんでこない。お金が・・・くらいだ。

もちろん現ナマじゃないだろうから・・・いいオモイをしたのか、これからするのか・・・するんなら誰がするのか・・・詮索すればキリがないが・・・原発や汚染水問題や・・・ひっくり返ることは山ほどあるんだろう。

・・・と言いながら、実はわたしにはちっとも興味がない。


ひっくり返るといえば・・・陽極まって陰となり、陰極まって陽となる・・・という自然の法則があるが、どうも今まで上にあった地獄がひっくり返りはじめているようだ。

上にあった・・・というのは、先にあった・・・というか、社会はそっちの方向に向かってた。

目指すべき社会人のあり方・・・世間的信用度・・・と思われていた常識が崩れ始めている。つまり、世の中を動かしてきた何かが崩れ始めている。

流れがググッと変わったので、いろんなことがひっくり返るわけだ。みんなボロが出てくる。ホントにそれで幸せなの?・・・という感じで。


地獄の特徴はいくつかあるけれど、その内のひとつは、縛りが多いこと。

法律や決まりが多くなればなるほど地獄に近くなる。窮屈になって息も出来なくなる。監視管理社会。

もうひとつは仮面が必要だということ。自分らしさを出すと迷惑がられてしまう。みんな同じ色でいることが善良な市民ということになる。

やがて自分というものが消えてしまう。自分が何者なのかわからない。

同じスピードで学べないものは弾き出され、隔離される。保護というなの優越感や利権が生まれる。

陰陽でいうと陽の極み・・・なのかな。極まると陰になるので、こまかな崩壊がそこらじゅうで起こってしまう。


そういう地獄が崩壊してゆく。それが宇宙のリズムなんだろうと、世の中の情勢を見ながら感じてしまう。おそらく3000年くらいのスパンなんだろう。

もちろん、宇宙リズムに合わせて地球も変化する。すでにそのスイッチは入っている・・・らしい。

だから地獄の仕組みの中で生きてきてた人は、その感覚をサッサと改めた方がいい。人間社会が造り上げた仕組みではなく、宇宙の摂理に合わせた感覚・・・うまく言えないが。

内にある「良心」の響き・・・のようなもの。

というか・・・まず、自らの内に有る「良心」に気づけるかどうか・・・って人もいるかもしれないけれど・・・。


人間の意識から出される波動が未来を創る・・・ので、人間の意識が宇宙レベルの感覚に変化してゆくと、穏やかに地球も変化できると思う。

その方が地球も安心なんだろう。

人間の意識が地獄のままだと、地球もガクンガクンとギアチェンジしなければならない。


ずっと闇に向かって進んでいたのが、カーブを曲がって今度は光に向きだした。光はもちろん天国・・・と、いう方が判り易いかも。

いろんな言い方はあるけれど、ようするに地獄とは反対の世界だ。地獄とは反対の常識がある。

・・・いや、常識という概念は無いかも・・・縛るものが無いのだから・・・。

天国と地獄、どちらが正しいのか・・・なんてことは言えない。お腹と背中・・・どっちが自分?っていうことだから。


ほんのちょっとしたキッカケで・・・あ、そうか・・・ってわかるのだけれど・・・何かそういうものを・・・そういうことに気がつける何かを創りたい。



2013年9月14日土曜日

オニ考

経験(オ)が煮(二)詰まる・・・あるいは、知識(オ)が煮(二)詰まった状態を「オニ」というのだろう。

経験が出口を失った・・・ということは、カルマを清算できなかった・・・ともとれる。知識が出口を失った・・・ということは、溺れてしまって過ちに気づかない・・・ともとれる。

戦争はカルマのオニを生み出し、縦社会は溺れたオニを造り出す。どれほどのオニの足跡を刻み・・・そしてこれからも刻んでゆくのだろう。

退治される側だけがオニではない。鬼征伐と称して自らを正当化しようとする側も、またオニとなる。

オニに怯え、オニを見つめることをしなかった平安貴族たちもまた、オニを育てるオニ・・・にしか成りえなかったのかもしれない。

やがて、チカラを持ったオニが国家を動かし、庶民はホトケにすがることになる。


・・・最近、警察や検察のスガタを見るたびに・・・あぁ、ここはオニの巣窟か・・・と思うときがある。

彼らは自らのオニに気づいていないのか、それともオニであることを自覚しているのか・・・そういえば「法」の番人なる言い方があるけれど・・・自らをエンマと見ているのだろうか・・・。

オニにならなければ守れないような法などいらない。


オニといえば「酒呑童子」だが、酒呑童子のようなオニはあちこちにいただろう・・・と、わたしは思っている。

彼らは縄文の血を引く、縄文のシステムで生活していた人々なんだろう。

どこかの国のネイティブと白人の関係を見ればよくわかる。日本では「賎民」と呼ばれた。「せんみん」・・・「先民」のことだ。

チカラと法でからめて、すべてを奪ってゆく。

縄文人は「オニ」の正体を知っていたのだろう、自らのオニを目覚めさせることを避けるために山に入った・・・と考えればよくわかると思う。

酒呑童子の国は理想の国なので、こころある人々はそこへ訪れ・・・中には居ついてしまう人もいたのだと思う。

これが「失踪」というこになって、こころよく思わない人々の鬼退治伝説につながる。

抑圧され、奪われ・・・中にはオニになってしまった縄文人もたくさんいたと思うが・・・そのカルマは時代を経て、後の人々に受け継がれてゆく。

カルマ・・・という経験は出口をうしない、煮詰まって、そこかしこにネガティブな波動を残して・・・とうとう、「今」につながった。


さて、このネガティブな波動を浄化させるには・・・たぶん、人間の意識波動しかないんじゃないか・・・とわたしは思っている。

それは、世界中にオニを生み出した、わたしたち人類の責任でもある。

「オ」の対は「エ」。「えがお」「えだ」「えらぶ」・・・どの道を選ぶのか・・・。「エ」は「オ」の経験智に対しての実践智でもある。

こころのオニを笑顔で抱きしめて、オニといっしょに考えれば・・・いい方法が見つかるんじゃないかな・・・たぶん。







2013年9月7日土曜日

人間は食べたものになる

前回、アメリカはシリアに参戦しないだろう・・・と書いたけれど、なんとも中途半端な姿勢になっているようで、議会の決定待ち? 参戦してもミサイル攻撃と空爆だけらしい。

それじゃ、アサドを倒すこともなく・・・かえって民間人の犠牲がふえて、さらに評判を落としかねない・・・ような気がする。

中途半端ではあるけれど、これで大きな何かが動き出しそうな・・・もうホントに逃げられないのだろう。


逃げられないといえば、日本も同じだ。海洋汚染から逃げられない。オリンピック誘致で、こっちもさらに掘り起こされてゆく。

やがて「世界」が乗り込んでくる・・・かもしれない。そうなれば・・・いや、そうなっても政府は何も出来ないと思う。ありゃりゃ・・・だ。どうするんだろ。


ただ、気になって・・・というか、こころに引っかかっているのが「・・・250キロ離れている」・・・と言ったJOC委員長のことば。

もちろんこの「・・・250キロ」云々というのは、福島へ帰ろうキャンペーンをしている政府の方向性とは矛盾していて、つまりは福島の切捨てを感じ取ることができる・・・が、わたしが引っかかっているというのはそういうことじゃない。

何かに動かされているような・・・皇族としてのことば・・・としてだ。2000年の歴史の中で、重要な立場にあり続けた皇族のことばには、それなりの「意味」があるのじゃないか・・・ということだ。波動のレベルで。

まだ、感じたことがまとまっていないので、ここには書かないが・・・どうも引っかかってしかたがない。


さて、日本の東1500キロの海底に大きな火山が見つかったそうだ。標高4000メートル・・・もちろん海底での話しだが・・・日本列島がみんな入ってしまうほどの裾野の広さらしい。

活動しているのか、眠っているのか、それとも死火山なのか・・・は知らないが、なんとなく、ちょっと不気味ではある。

こんなニュースに出会うたびに、人類は地球のことが何にもわかっちゃいないんだ・・・と思ってしまう。まるで、恋人のことが何もわかっていなかった・・・と、ある日、気がつくように。

なんで気がつかなかったんだろう・・・と、いろいろな意味で後悔しても手遅れだったりする。


たとえば・・・沸騰して素粒子の振動数が上がった水が、気体になって目には見えなくなる・・・ように、自らの意識の振動数を上げて、素粒子の次元から世界を眺めてみると・・・これは「神」に近い次元でもあるが・・・すべてのモノがひとつの生命体の中で暮らしている・・・ことがわかると思う。

・・・なかなか出来ないかな。

そうすると、食べたものが人間になる・・・という感覚が理解でき、さらに人間は、その食べたものになる・・・ということが理解出来ると思う。

だって、みんな同じこの宇宙の・・・似たような素粒子で出来ているんだから・・・。

人間のカラダは、今までに食べたもので造られているので、素粒子レベルで自分を診ることができれば、どの辺りがどういう波動を出しているのか・・・どういう共鳴の仕方をしているのかがわかる。

病気の原因が・・・見えてしまうまもしれない。便利だ。


人工的なものが増えれば増えるほど、自然から離れてゆく。だから地球のことがわからなくなるわけだ。

あ・・・恋人とは同じものを食べることが長持ちの秘訣・・・ということか。これはたぶん、地産地消にもつながるんだろう。

大地を食べる。大地につながる。


人間は食べたものになる・・・とは、食べ物だけじゃなくて、耳から目から入ってくる情報も同じで、こころに溜まる・・・こころを造るという点で、人工的なこころになってしまう。

そういう意味では、都会じゃ地球の・・・大自然の気持ちが伝わりにくい。おまけに加工食品がいっぱいで・・・人工的ということは機械的に片寄ってしまう。

地球から離れてしまうとどうなるのか・・・今の世相がそれを具象化しているんだろう。極まった物質至上主義。


都会を歩くたびに思うことがある・・・人は、むかし田舎を捨てたように、近い将来、今度は都会を捨ててしまうのだ・・・生きてゆくために・・・と。