国債という錬金術は近いうちに終わる・・・というか、うまく作用しなくらるらしい。国のお金が無くなるわけだ。
・・・それを見越して、最近やたらにジャブジャブと造っているのかも・・・。
国にお金が無いとなれば、お金を集めるのが政治家・・・という今の常識が崩れてしまう。つまり、今の政治家の値打ちも無くなるということ。
お金が流れないのなら、地方財政や地域産業・設備投資などは・・・今のシステムのままでは立ち行かない。
職員の給与だって退職金だって・・・市や町だって倒産するのだ、夕張市のように・・・。
徐々に・・・ならば対処のしようがあるだろうが・・・こういうことはわたしも経験があるが、ある日突然に・・・という感じでやってくる。びっくりするほどあっけない。
いよいよ破綻国家に変わって、資本が世界を支配する時代へと変わってゆくのだろうか・・・名実ともに。
まるで・・・近未来を描いたSF映画を観ているような感覚。
そういえば米国の保険会社が、日本政府が株主のはずの郵貯と手を結んだ。とうとうアヒルに喰われたのか・・・?。以前話題になった社内公用語を英語にしようというのも同じだ。カップヌードルのCMを思い出す。
たぶん・・・10月~11月・・・かな。日本だけじゃない。アメリカも中国も・・・みんなおかしい。何かを孕んでいて・・・なんとなくゾクゾクするような感じ。激動だ。
それでも、わたしの中では何故か・・・不思議と未来は明るい。明るい人は闇の時代でも明るいものだ。きっと・・・頭の中の常識というシステムが壊れているからだろう。変化こそ未来の種。
「・・・何が起こってもまず喜んで迎えねばならんぞ、近づいてくるのは呼び寄せたからじゃ、こんな嫌な、汚いものはごめんぢゃと申す人民もあるなれど、それは皆己の心の写しでないか。
内に無いものが外から近寄る道理ないのぢゃ、どんなものでも、喜んで迎えるとよろこびとなる結構な仕組み、よく会得せよ。」(日月神示 扶桑の巻 第十帖より抜粋)
常識の解体というのは何回か書いたけれど、医学や物理学や・・・学問といわれる世界での常識はいったん解体したほうがいい。それは身の安全のためでもある。
一例をあげると・・・たとえば、赤血球は腸で造られる。腸で造られた赤血球は全身に回って、その各部位において各細胞へと分化する。つまり、赤血球が各細胞に変化する。
飢餓状態になると今度は細胞が赤血球に可逆する。赤血球に戻る。
以上のように、千島学説からの視点で細胞や血液を見ると・・・赤血球に核が無い理由、皮膚細胞が内臓細胞に変化(ips細胞)する理由、断食による血液の浄化、骨髄以外で発見される幹細胞・・・などなど、いろいろと説明できるわけだ。
現代医学の常識というものに捉われていると、現在の医療システムから逃れられない。これは医療利権から逃れられないということでもある。
保険のシステムが危うくなるという今、病気への不安を考えるとやはり常識に捉われない正しい知識というものが必要になってくる。真実を知ることは、自覚や自立への道でもあると思う。
先書いた・・・お金を集めてくるのが政治家の仕事・・・などは、まさに凝り固まった「常識」のひとつだ。こんな「常識」が国難を招いたんだろう。
「・・・今に昇り降りで忙しくなり、衝突するものも出てくるぞ、他人におんぶされたり、車に乗せられていた人民たちよ、もうその時は過ぎているのであるから、自分の足で歩まねばならんぞ、大地を踏みしめよ、大地の気が身内に甦るぞ。」(日月神示 扶桑の巻 第十五帖より抜粋)
しかし、激動の時代がやって来る・・・と聞いて、何故かワクワクしているわたしは、やっぱり変人なんだと思う。やっと自由になれる・・・というような不謹慎な感覚。いやはや・・・。
2013年7月27日土曜日
2013年7月20日土曜日
ひとりごと
安倍内閣は消費税を成立させる役目を持っている。成立すれば・・・早期に解散だろう。
社会状況が本格的に転げ落ちてゆくのはそれから・・・いや、転げ落ちるとすれば・・・それからだ。
領土問題は選挙のために使われている。焦点を隠しながら、不安を煽って・・・こっちにいれば安全だ・・・というわけだ。
焦点はTPPと消費税、それと原発。
最近、ようやく大手メディアからも原発の問題点が出てきているようだが、そんな「フリ」は選挙が終われば消える。
状況がおかしくなってから選挙に不正があったことが発覚しても遅い。その事実は当然闇に消えることになる。
すでに野田政権時代に、ネット関連の規制の仕組みは出来上がっているので、大切な情報が国民のもとに示されることはない。
テレビ・新聞などの罪は重い。国民を煽動していることに一日も早く気づくべきだ。気づいて、どうするかは組織が決めるのではない。個人が決め個人が動く。そういう時代がすでに来ている。自覚と自立・・・というわけだ。
安定は希望ではない。安定はいつも腐敗を孕んでいる。だいいち、希望とは変化することだ。視点を間違ってはいけない。
さて、以前にも書いたと思うが、戦争は縦のチカラの爆発。強い弱いの世界。だから弱者は虐げられ陵辱される。つまり人間が動物次元に落ちることを戦争という。
だから、戦争を臭わす・・・あるいは、導こうとする政治家や資本家は、動物次元の思考を公的な立場で優先させる。当然・・・弱者のことは考えない。眼中にはない・・・ということになる。
かのポン引きや迷彩服の人たちは弱者のために何もする気はないだろう。弱者をダシに・・・することしか考えていない・・・と言ってもいいと思う。
それほどコキ降ろしていいものか・・・とも思うが、いや、きっと彼らは、知られてはいけないシッポを2~3本誰かに握られて、骨抜きになってしまったんだろう。
考えてみれば、気の毒な人たちだ。
ついでに言うと、戦争は儲かるビジネスでもある。戦争をすると、国家の借金はチャラになるが国民は疲弊する。ホクホクするのは、だから強者・・・戦争ビジネスを操っている一部の資本・・・だけだ。
そんなわけで、強者・・・権力にくっついている人たちはみんなよく似ている。
話はまったく変わるが・・・「ふんどし」について気がついたことがあった。
古代文明に生きていた人たちはみんな「ふんどし」を締めていた。ツタンカーメンだってそうだ。マヤ文明もそう・・・。
その「ふんどし」が、今も日本に残っている。
これは・・・この日本にも古代文明が存在していた・・・ということにつながらないだろうか。
そして、日本の場合は他の古代文明のように「消えた」わけではなく「隠れた」だけで・・・だから、もうそろそろ、その古代文明が甦る・・・と。
古代の人々は、いまの人よりもずっと魂とつながっていた。つまり「覚者」だった。「覚者」は怖れない、常識に捉われない、執着を必要以上に持たない・・・本当に自由な人のことだ。だからこそ「隠れる」ことが出来たんだろう。
最近、巷にもこの「覚者」が増えてきたように感じるのはわたしだけだろうか。
いつまでも前世紀の仕組みから抜け出せないでいると、そのうち進むべき道がなくなるぞ・・・と、遠い過去から教えてもらってるのに・・・早く気づけよ。
・・・と、ひとりごとを言ってみる。
社会状況が本格的に転げ落ちてゆくのはそれから・・・いや、転げ落ちるとすれば・・・それからだ。
領土問題は選挙のために使われている。焦点を隠しながら、不安を煽って・・・こっちにいれば安全だ・・・というわけだ。
焦点はTPPと消費税、それと原発。
最近、ようやく大手メディアからも原発の問題点が出てきているようだが、そんな「フリ」は選挙が終われば消える。
状況がおかしくなってから選挙に不正があったことが発覚しても遅い。その事実は当然闇に消えることになる。
すでに野田政権時代に、ネット関連の規制の仕組みは出来上がっているので、大切な情報が国民のもとに示されることはない。
テレビ・新聞などの罪は重い。国民を煽動していることに一日も早く気づくべきだ。気づいて、どうするかは組織が決めるのではない。個人が決め個人が動く。そういう時代がすでに来ている。自覚と自立・・・というわけだ。
安定は希望ではない。安定はいつも腐敗を孕んでいる。だいいち、希望とは変化することだ。視点を間違ってはいけない。
さて、以前にも書いたと思うが、戦争は縦のチカラの爆発。強い弱いの世界。だから弱者は虐げられ陵辱される。つまり人間が動物次元に落ちることを戦争という。
だから、戦争を臭わす・・・あるいは、導こうとする政治家や資本家は、動物次元の思考を公的な立場で優先させる。当然・・・弱者のことは考えない。眼中にはない・・・ということになる。
かのポン引きや迷彩服の人たちは弱者のために何もする気はないだろう。弱者をダシに・・・することしか考えていない・・・と言ってもいいと思う。
それほどコキ降ろしていいものか・・・とも思うが、いや、きっと彼らは、知られてはいけないシッポを2~3本誰かに握られて、骨抜きになってしまったんだろう。
考えてみれば、気の毒な人たちだ。
ついでに言うと、戦争は儲かるビジネスでもある。戦争をすると、国家の借金はチャラになるが国民は疲弊する。ホクホクするのは、だから強者・・・戦争ビジネスを操っている一部の資本・・・だけだ。
そんなわけで、強者・・・権力にくっついている人たちはみんなよく似ている。
話はまったく変わるが・・・「ふんどし」について気がついたことがあった。
古代文明に生きていた人たちはみんな「ふんどし」を締めていた。ツタンカーメンだってそうだ。マヤ文明もそう・・・。
その「ふんどし」が、今も日本に残っている。
これは・・・この日本にも古代文明が存在していた・・・ということにつながらないだろうか。
そして、日本の場合は他の古代文明のように「消えた」わけではなく「隠れた」だけで・・・だから、もうそろそろ、その古代文明が甦る・・・と。
古代の人々は、いまの人よりもずっと魂とつながっていた。つまり「覚者」だった。「覚者」は怖れない、常識に捉われない、執着を必要以上に持たない・・・本当に自由な人のことだ。だからこそ「隠れる」ことが出来たんだろう。
最近、巷にもこの「覚者」が増えてきたように感じるのはわたしだけだろうか。
いつまでも前世紀の仕組みから抜け出せないでいると、そのうち進むべき道がなくなるぞ・・・と、遠い過去から教えてもらってるのに・・・早く気づけよ。
・・・と、ひとりごとを言ってみる。
2013年7月13日土曜日
暗闇の中で探し物をしている
兵士たちはドロのように疲弊していた。大地にへばりついたまま動こうとしない。
最前線ではすでに銃弾も尽き、援軍を待っている。しかし兵士たちは、その援軍も役には立たないことを知っていた。何故なら、世界が戦っているのは「病気」という目に見えない敵だったからだ。
自国の識者は言う「技術は格段に進歩した 病気はすでに敵ではない」
さらにメディアは言う「兵士はみな保険に入ろう それで安心だ」
誰も病気が無くなるとは言わない。無くそうともしない。
「病気」は後から後からやって来た。その「病気」がどこからやって来るのか、実は誰も知らない。「病気」が何者なのかもよくわからない。
時折、兵士たちの頭上を砲弾が飛んでゆくが、その砲弾ですらどこからやって来てどこに着弾するのか・・・誰も知らなかった。
「もういいかげん やめませんか この戦い」
ぼくはそばにいた上官・・と思しき人物に語りかけた。
「ばっかもん!! わが国が病気に喰われてもいいのか!!」
そういってしたたか殴られたぼくは、その夜とうとう脱走した。いや、戦場から逃げ出したわけではない。ぼくはそのまま前線へ走った。兵士の群れを抜け出し、漆黒の闇へ向かって走り出した。
漆黒の闇の向こうに、「病気」という敵がいるはずだった・・・いや、いると教えられてきた。その時はまだ、ぼくもそう信じていた。「病気」は敵なのだと信じていた。
その敵にどうしても聞いてみたかった。何故戦うのか・・・そして、あなたは何者なのか・・・と。
ところが・・・最初のうちは意気揚々と進んでいたが、しばらく走り回ってその戦場の広大さに愕然とすることになる。見渡す限りの荒野。
ほどなくぼくは不毛地帯を足を引きずりながら歩くことになった。
どれほど彷徨ったかわからない。何回かの夜を向かえ何回かの朝に目覚めたある日、はるか彼方にひとすじの川が見えた。ぼくは川の光に勇気をもらい、少し足取りも軽くなっていった。
ところが、やっと辿り着いた川には・・・その周囲に一本の草木も生えていなかった。
心なしか悲しげなせせらぎの音を聞きながら、ほとりに腰を下ろしてぼくは考えた。たぶん・・・この川は、川である自分を見失っているんじゃないだろうか。
川は山と海をつなぐ糸。山は自分のエネルギーを川に託し、海は川から届けられた山の力を、さらに無数のいのちに分け与える。
自然の循環が、どこかで断ち切られたのだ。
ぼくはふと、自分の歩いてきた道を思い出した。人間の戦いが生み出した不毛の大地・・・。何処までも広がる荒野・・・。
人間の戦いが大地に薬物を撒き散らし。その薬物が川を汚した。あるいは戦いのための兵器を造るために、川の流れを変え汚物を川に流した。
流れることを拒めない川はその薬物や汚物さえも海へ届けてしまう。その悲しさに、川は流れることを拒み、やがて自分をも見失ってしまったのだろう。
ぼくはおもむろに、流れる水を手のひらですくって、乾いた大地へポトポトと垂らしてみる。小さな砂埃が舞って・・・すぐ消えた。
何度も何度も同じこと繰り返しているうちに・・・もっともっと、この乾いた川のほとりを潤したくなった。
やがて・・・ぼくは川の中にザブザブと入って・・・そして、気がつくとバシャバシャと岸辺に向かって川の水を両手でかき出していた。
かき出す水が岸辺の砂に落ちるたびに埃が舞い上がる。舞い上がってはすぐに消え、消えては掛け、消えてはまた掛け・・・そうしているうちに、しだいに岸辺が潤い始める。
「ほら きみが大地を守ってるんだよ きみが大地を甦らせてるんだよ」
ほら・・・ほら・・・。ぼくはビショビショになりながら、何度も何度も川の水をかき出した。
とうとう、もうこれ以上は動けない・・・というくらい疲れはてて、川から上がって横になった。寝そべったまま川を見ると、気のせいか川面がきらきらと光り始めている。
その光に、少し自信を取り戻したような・・・川の歓びを感じて、ぼくはなんとなく幸せな気分になった。
そうだ・・・ほんとはこういうことじゃないのか?世界を救うというのはこういう・・・その先の言葉がなかなか出てこない。言葉にならないもどかしい感覚。
少しはがゆい思いで岸辺に立ち上がると、上空で・・・ヒュー・・という音がした。次の瞬間ぼくを白い閃光が包む。人間の世界から放たれた砲弾が、目の前の川面で炸裂したのだ。
水がはじけ飛び、ぼくはゆっくりと後方へ飛ばされ、ころころと岸辺の砂の上を転がった。不思議な感覚だった。時間がゼリーのように重くなって、そしてそのドロドロとした時間の中を意識が暗闇の中に落ちていった。
(いつか・・・つづく)
2013年7月6日土曜日
はなび
何も考えずに、空っぽで過ごす。
人間は空っぽの方がいい。空っぽだと魂の声が響き易い。
「生」「老」「病」「死」・・・という四苦があるけれど、空っぽだとこんなものどうでもよくなる。
それは「流れるまま」というわけじゃなくて、つまり・・・「覚悟」が出来るということ。
「覚悟」が出来ると怖れるものは何もなくなる。魂の響きのまま。こういう人を「覚者」という。魂とつながっている。
魂は何でも知ってる。何でもわかっていて・・・わかっているから、あなたのすべてを愛している。すべてを「天意(あい)」で包んでる。
魂にありがとう。
魂が何かを思ってくれたおかげで、わたしは人間として産まれてきた。そして人間として生きていける。よかった。
話は変わるけれど、最近・・・まるで、社会全体が魔法にでもかかったように感じるのは、わたしだけだろうか。
ある理由があって、しかたなしにテレビを観ているわたしだが・・・とても不思議な感じがしている。何かに・・・あるいは何処かに引き寄せられるような雰囲気。
・・・あるいは、吸い寄せられる・・・と言うか・・・それは直線的なエネルギー・・・砂浜でやったロケット花火が、最後にヒューって消えていく、あの感じ。
昔の歌の文句じゃないけれど・・・もう、どうにも止まらない・・・みたいな。
その現象が、正しいのか間違っているのか・・・ということではなく、まさに「天の計らい」・・・で・・・何を書いているのだろう・・・自分でもよくわからない。
やがて、政府の力は地方に及ばなくなって・・・というか、もともと地方自治体は独立したものなので、たとえば、こころある指導者・・・導き手の多くいる地方自治体では地域通貨を発行して、人間味あふれた世界を創っていく・・・というような。
「円」が無くなるわけではなく、「円」は「円」として存在はするが、実質的機能は様変わりするんだろう。
そしてそれは・・・そんなに遠い未来の話しではなく・・・気がつくと・・・「国家」というものが消えていて、人々は自主的な横のつながりの中で生活を楽しんでいる・・・というようなイメージが、わたしの中には広がっている。
遠い遠い昔。まだ国家というものが無かった頃、人々は「和」の内にいた。
どんな争いごとも「和」の内にあるので、仲に立つ人格者・・・長老の助言で誰もが納得できた。
ましてや紛争になどに拡大するはずもなかった。
まだ、直線的な欲望が生まれる以前のことだが・・・。
人々はどこで曲がり角を間違えたんだろう。
たぶん・・・「原因」を見失ったとき。「結果」しか見えなくなったとき・・・だとわたしは思っている。
「結果」を「結果」で隠そうとする人間は操りやすい。「結果」を積み重ねて、積み重ねて、さらに積み重ねて・・・ヒューっと、花火のように消えてゆく。
「原因」は最初の入り口。「結果」は出口。けれど出口は次の「結果」への入り口でもある。だから次の「結果」を探して・・・つまり出口を探して、そして入り口に出る。
いくつもいくつも出口の入り口を通ってきたので・・・最初の入り口がわからなくなった。
こういう時は上から眺めればいい。ダンジョンを俯瞰しみればいい。それは常識を解体すること。そしたらホントの入り口が見つかる。
そしてホントの入り口は魂の世界につながっていることがわかる。「原因」の世界とは魂の世界。何故なら、この世は目に見えない世界から生み出されたのだから。
見えない世界の、見えない自分が見えた時、人は覚者に一歩近づく。
人間は空っぽの方がいい。空っぽだと魂の声が響き易い。
「生」「老」「病」「死」・・・という四苦があるけれど、空っぽだとこんなものどうでもよくなる。
それは「流れるまま」というわけじゃなくて、つまり・・・「覚悟」が出来るということ。
「覚悟」が出来ると怖れるものは何もなくなる。魂の響きのまま。こういう人を「覚者」という。魂とつながっている。
魂は何でも知ってる。何でもわかっていて・・・わかっているから、あなたのすべてを愛している。すべてを「天意(あい)」で包んでる。
魂にありがとう。
魂が何かを思ってくれたおかげで、わたしは人間として産まれてきた。そして人間として生きていける。よかった。
話は変わるけれど、最近・・・まるで、社会全体が魔法にでもかかったように感じるのは、わたしだけだろうか。
ある理由があって、しかたなしにテレビを観ているわたしだが・・・とても不思議な感じがしている。何かに・・・あるいは何処かに引き寄せられるような雰囲気。
・・・あるいは、吸い寄せられる・・・と言うか・・・それは直線的なエネルギー・・・砂浜でやったロケット花火が、最後にヒューって消えていく、あの感じ。
昔の歌の文句じゃないけれど・・・もう、どうにも止まらない・・・みたいな。
その現象が、正しいのか間違っているのか・・・ということではなく、まさに「天の計らい」・・・で・・・何を書いているのだろう・・・自分でもよくわからない。
やがて、政府の力は地方に及ばなくなって・・・というか、もともと地方自治体は独立したものなので、たとえば、こころある指導者・・・導き手の多くいる地方自治体では地域通貨を発行して、人間味あふれた世界を創っていく・・・というような。
「円」が無くなるわけではなく、「円」は「円」として存在はするが、実質的機能は様変わりするんだろう。
そしてそれは・・・そんなに遠い未来の話しではなく・・・気がつくと・・・「国家」というものが消えていて、人々は自主的な横のつながりの中で生活を楽しんでいる・・・というようなイメージが、わたしの中には広がっている。
遠い遠い昔。まだ国家というものが無かった頃、人々は「和」の内にいた。
どんな争いごとも「和」の内にあるので、仲に立つ人格者・・・長老の助言で誰もが納得できた。
ましてや紛争になどに拡大するはずもなかった。
まだ、直線的な欲望が生まれる以前のことだが・・・。
人々はどこで曲がり角を間違えたんだろう。
たぶん・・・「原因」を見失ったとき。「結果」しか見えなくなったとき・・・だとわたしは思っている。
「結果」を「結果」で隠そうとする人間は操りやすい。「結果」を積み重ねて、積み重ねて、さらに積み重ねて・・・ヒューっと、花火のように消えてゆく。
「原因」は最初の入り口。「結果」は出口。けれど出口は次の「結果」への入り口でもある。だから次の「結果」を探して・・・つまり出口を探して、そして入り口に出る。
いくつもいくつも出口の入り口を通ってきたので・・・最初の入り口がわからなくなった。
こういう時は上から眺めればいい。ダンジョンを俯瞰しみればいい。それは常識を解体すること。そしたらホントの入り口が見つかる。
そしてホントの入り口は魂の世界につながっていることがわかる。「原因」の世界とは魂の世界。何故なら、この世は目に見えない世界から生み出されたのだから。
見えない世界の、見えない自分が見えた時、人は覚者に一歩近づく。
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