2012年5月26日土曜日

遠くへ来たもんだ


細胞は、そのひとつひとつが生命体だ。それぞれの生命(いのち)を持ってる。人間は60兆の、生命(いのち)たちの集合体なのだ。

60兆の生命(いのち)たちは、それぞれの仕事を自覚をもって精一杯こなしている。ケンカなんかしない。それがかれらの誇りであり喜びだ。自分の使命を知ってるってこと。

どこかの部位の調子が悪かったり、偏ったりすると、それを補うために別のどこかの部位が・・・それこそ自分のことも忘れてホローに入る。かれらは自分のことなんて考えない。

かれらは時々・・・「これ以上は危ないぞぉ」・・・って信号をくれる。その信号を、人間は病気と呼ぶ。ところが人間は、わざわざ危険を教えてくれた細胞たちを邪魔者扱いするのだ。

でもだいじょうぶ。60兆の生命(いのち)たちはそんなこと気にしない。嫌われても嫌われても、問題が起こるたびに声を上げつづけてくれる。病気は彼らからのメッセージ。

だから・・・人間は、60兆の生命(いのち)たちの「無償の愛」で支えられているってことだ。言い方を変えれば・・・人間は愛で出来ているわけだ。

・・・と、こういうふうに考えると自分の身体が好きになる。だから、時々は彼らに喜び返しをしてやろう。

人間の病気は複雑になり、希少難病の疾患数は・・・たしか5000を越えたろうか。

いつまでたっても病気が無くならないのは、60兆の生命(いのち)たちの声が聞こえないからじゃないのか?・・・と思ったりもする。

右脳に直接響いてくる生命(いのち)たちの声は・・・左脳ばかりが活発になった現代人には、なかなか届かないのだろう。

左脳だけだとクルクルと空回りして・・・どんどん中心から離れていってしまう。

あ、そういえば・・・

「思えば遠くへ来たもんだ」っていう歌がむかしあった。関係ないけど。


2012年5月19日土曜日

「あ・たかまはらなやさ・わ」

アマテラスの言霊構造は、感情、感覚、芸術のフィールド。隠されていた女性性、あるいは右脳のはたらき・・・と言ってもいい。右脳が目覚め、左脳とのバランスをとりはじめる。

縦の五行は「あいうえお」じゃなく「あいえおう」の順になる。「え」が真ん中。難しいことは知らない。なんとなく・・・「え」の次元の話し・・・だということはわかる。そのくらいが調度いいのだ。

こういうことは左脳を使うんじゃなく、右脳で感じる・・・のだから。

その「あいえおう」の順番で「あたかまはらなやさわ」のそれぞれの行を埋めてみると・・・一番最後が「Wu」になる。

なるほどぉ・・・

スサノオは高天原を追い出されるときに爪を抜かれる。「ツメ」・・・「詰め」のことだ。最後のツメ。つまり・・・肛門が締められないってこと・・・生み出すエネルギーの言霊である「う」段がウ○コみたいに飛び散った・・・て、きたないなぁ。

いやいや、地球の迷惑かえりみず、我よしの大量消費文明ってことで・・・。

この「う」段の「う」~「す」の九音を「う」の九頭龍という。ツメを欠いた状態なので九頭龍が正常に動けなかった。「う」~「す」。それで、ウスが回りだす。だから「渦」になる。
アメノウズメが踊りだすと、アマテラスが現われる。

なるほどぉ・・・

このアマテラスの言霊構造を、上下に鏡写しにすると・・・五層のピラミッドが現われる。上空から見下ろした感じになる。これを「くしふるの霊顕満止(ヒラミツド)」という。「奇し布留の山」・・・ピラミッドの原型だ。

その真ん中・・・ピラミッドの最上段に「ふる」がふたつ上下に並ぶ。「ふるふる」・・・布留の山。万物を形作る原子は「ふるふる」と揺れている。脳波という波も「ふるふる」と揺れている。

神社で、お賽銭箱のところにぶら下がってる・・・あれを「ふるふる」すると、思いが具現化する・・・というわけだ。

身体の芯を通っている「創造の御柱」を、いつもピンと伸ばしていよう。ピンと伸ばして見上げるとほら、鈴が笑顔になってる。笑顔のくちもとになってる。だから「え」の次元。

神社本庁hp 参拝の祭に鳴らす鈴についてより転載

ぶら下がってる「ふるふる」の材質は「麻」だ。アマテラスの言霊構造の上段「あ」を見てみると「あ」~「さ」・・・つまり「アサ」。だから、アサは清々しいのだ。

同時に、「あ」~「さ」は「あ」段の九頭龍。「ふるふる」は・・・龍。九頭龍を「ふるふる」。

なるほどぉ・・・

ちなみに「アメ」とか「アマ」とかは、どこか別の場所にあるのじゃなく、自分の中にあると思えばいい。こころの・・・はたらき(個性のような、ヒラメキのような、決意のような・・・もの)だと思えばわかりやすい。

自分の中のウズメ、自分の中のアマテラス・・・。自分の内に神は有る。内に有るから「うちう(宇宙)」なのだ。

もうひとつ言うと・・・鏡餅は言霊構造をあらわしている。「百道(もち)」という。五十音は、それぞれ性質の違う五十(いそ)の神様・・・はたらきを表している。それを重ねると鏡写しで百神。だから「鏡百道(かがみもち)」。

毎年その「お鏡さん」を神棚に供えるのには、ちゃんと意味があるわけだ。

この国はホントに言霊幸わう国・・・気がつくと、いたるところに言霊エネルギーの発生装置が配備されている。それで国体が守られてきた。素晴らしい・・・。

先人たちの知恵が千年も二千年もつづく・・・すごい国だぞ、日本。





2012年5月12日土曜日

「あ・かさたなはまやら・わ」


ここには古い形の鳥居が建つ。鳥居(とりい)は十理霊(とりひ)といって、言霊の構造を表している。

この写真の場合、注連縄の先端は回転・・・「渦」を表しているのだと思う。「渦」は陰と陽・・・女性性と男性性でもあり、宇宙のリズムでもあり、原子の動きでもある。

この国にはいたるところに言霊が溢れている。形としてあるいは響きとして残された言霊たちは、先人たちが後世の人類に伝えようとした宇宙レベルの科学なのだろう。

たとえば、鳥居の最上部に横たわる笠木は、あ列十音の言霊配列で・・・
スサノオの言霊構造では・・・・・「あ・かさたなはまやら・わ」となり
アマテラスの言霊構造では・・・・「あ・たかまはらなやさ・わ」となる。

「あ」から「わ」・・・「アワ」だ。日本人はこの「アワ」のことを、何故かよく知っていたりする。

横の十列に縦の五行を合わせてゆくと50音となる。50音はそれぞれに陰陽のパートナーを持っていて・・・陰陽の渦・・・それぞれが動くと「ハタラキ」が現われる。

渦が動くとエネルギーが発生する・・・と思えばわかりやすいと思う。正確ではないけれど・・・ややこしくなるので、ここでは書かない。

注)「ん」はつなげる言霊で中庸をしめすので、今は「ん」は入れずに50音として進めてゆく。

ただ・・・50音のうちの一音だけ、遠いむかしにパートナーを隠されたようで、おまけにその一音はけっこう大事な一音で・・・それも「陰」の女性性。そのおかげで物質文明が暴走して、多くの不安や恐怖を生み出してしまった。

きっと「不安」や「恐怖」をエサにしている何者かが隠したんだろう。

その隠された文字がどれなのかは、重複している文字を調べるとすぐわかる。
重複しているのは・・・「い」「う」「え」の三文字だ。これらが入っているのは、や行とわ行。

さらに、や行とわ行を「Y」と「W」にすれば分かり易い。

まず、や行では・・・
「Ya・Yi・Yu・Ye・Yo」となる。「Yi」「Ye」というのは隠れ神として存在しているので問題ない。

それでは、わ行はどうか・・・。
「Wa・Wi・Wu・We・Wo」となる。「Wi」と「We」と「Wo」はそれぞれ「ゐ」「ゑ」「を」に相当するのだが、「Wu」に相当する文字がない。

そう、隠されたのは「う」のパートナー「Wu」だ。

「う」は「生む」や「生みだす」・・・物質文明を生み出した言霊。
そのパートナー、陰なので女性性・・・つまり、男性性の陽の「う」は彼女を隠されたのだ。ひとりだけ彼女がいない「う」は、だから暴れまわったわけだ。

ちくしょ~!!・・・みたいな。いやいや、これは科学の話しだ。

ところが、この「Wu」ちゃんも最近見つかったようなので、実のところそんなに心配はいらない。

どこに隠されていたかというと、人のこころの中に「戸」があって、その「戸」の向こうに隠されていた。その戸が開いたことを「岩戸開き」という。

五十の戸が開いたので「五十戸(いわと)」開き。「う」の戸が開いたわけだ。


「Wu」ちゃんがどんな文字かというと・・・「司」のカギの中の横棒と口を取って、カタカナのコを入れたような文字だ。

それが「う」の陰の役割をする。

「う」の陰の役割とは、たぶん・・・何のためにモノをつくるのか・・・ということを気づかせてくれる・・・こと。

陽の「う」とのバランスが戻れば、欲望の方向性を正して・・・欲を深めるのではなく、欲を高めることに気づかせてくれる・・・はず。

「利他貢献」「自他共生」

人は誰かのために生きている。それは一人の例外もない。みんな誰かのために生きている。

ということは同時に、誰かは自分のために生きてくれているということだ。

憎まれ役も、恨まれ役も・・・みんな誰かのために生きていて、誰かは自分のために生きてくれている。それが宇宙のしくみ。

だからこそ、自分らしく生きることが・・・つまりは誰かのためになるわけだ。

あと少し、キツイ時代が残ってるけれど・・・スサノオの言霊構造も、やがて正常な動きをとり戻す。




2012年5月5日土曜日

こどもの日

時間のことを考えていると、いつも何か・・・不思議な感覚になる。わたしは輪廻転生が理解できるのでなおさらだ。

前世を感得できる人に観てもらったら、わたしはここ最近・・・最近といっても二百年くらいだが、アジアに入りびたってるらしい。

中国、インド、ビルマ(ミャンマー)・・・と、それにも意味があるみたい・・・。

過去にこれらの国で生きていたということは、今この国々で生きてる人たちの中には・・・わたしの子孫がいるってことになる・・・わけだ。

もう少しつっこんで考えてみると・・・わたし自身も、今どっかの国で生きてる誰かの子孫ということになる。

つまり・・・みんなつながってる。

そう考えると、人と人との争いごととか、はたまた国と国との争いにいたるまで・・・先祖と子孫、子孫と先祖が争ってるってことになって・・・盗って盗られて、騙して騙されて・・・・。

いつまでバカなことやってるんだろ・・・と思う。魂の歴史と血の歴史が交差するのは成長するためだろうに・・・。


さてさて、今日はこどもの日だ。

そんなわけで、生まれ変わりの世界から鳥瞰してみると、実はこども達がわたしの先祖だった・・・ってことも有りえるわけで・・・こども達がいたからこそ自分が生まれてこれたってことも考えられるわけだ。

もちろん、来世ではわたしがこどもになるかもしれない・・・いや、ひょっとしたら・・・過去世に転生して、もう一度やり直す・・・という場合があるかもしれない。

時間は不思議だ。考えても考えても答えなんて出てこない。