2014年2月15日土曜日

善玉菌と悪玉菌

同じパラレルワールドに引き込むには、同じイメージを植え付ければいいのじゃないかな。同じ映像を見せれば、同じイメージの世界に引き込めないか・・・。

放送や映像メディアはそういうことにも利用出来る・・・ということだ。未来を支配したい何者か・・・あるいは人類をオリの中に閉じ込めておきたい何者かがいるとするならば、そういう方法もあるということだ。

人のこころに何かを植え付けておけばいい。イメージが未来を創造する。


たとえば・・・ガン細胞をカタキのように、排除することしか考えられない状態は・・・つまり、そういう状態なのではないか。これじゃあ人類の病気は永遠に無くならない。

それは誰かの意図・・・ではなくて、人々の・・・個々のイメージが創り出した「未来」なんだろう。何でもかんでも得体の知れないものを敵とみなす。

得体が知れないので、まだ小さいうちに・・・子供のうちにやっつけてしまおうと「早期発見」が始まった。おかげで、ふたりに一人がガン・・・だということになったらしいが・・・。

見つかっても治療方法はそんなに変わらない。ようするに正体がわからないまま・・・ということになっている。医療などちっとも進歩していないってことだ。

なんともはや、そんなにボンクラだった・・・とは思いたくないが・・・がん医療には多額のお金が動く・・・ことは知っている。


さて、世間では善玉菌、悪玉菌・・・などと区別しているが・・・この言い方もわたしは気にくわない。だいいち体内細菌のことは、たしか・・・そんなにわかっていないはずだ。

わかっていないのに「善玉」だとか「悪玉」だとか・・・悪玉にされた方はいい迷惑である。

ようするに、体内細菌も人間社会と同じで・・・嬉し楽しが好きな菌もいれば、悲し苦しが好きな菌もいるわけだ。

悲し苦しが好きなやつは、身に降りかかる出来事をなんでもかんでも悲し苦しにしてしまう。

自分のことだけじゃなくて、他人の悲し苦しまで、自分の栄養にしてしまう。挙句の果てに、他人まで悲し苦しの状態にしてしまったり・・・。

悲し苦しがなければ生きてゆけない・・・というのが、彼らの世界。別にそれが悪いわけじゃない。嬉し楽しが好きなやつらとは反対側を向いているだけ。

表は裏。裏は表。

だから、悪玉菌にはびこられる人は、悪玉菌の波動に合っているってことだ。つまり、自分のせい。悪玉菌のせいにしちゃいけない・・・と思う。

悪玉菌だってこの世で、がんばって生きているのだ。


そんなわけで、がん細胞も・・・というより、がん細胞は間違った捉えられ方をしている。がん細胞は、ホントは人間の味方なんだと・・・わたしは思っている。

ガンとは血液の異常だからだ。異常になった血液を知らせてくれるのががん細胞。がん細胞が無ければ・・・身体が動かない、目が開かない・・・と、そんな朝が突然やってくるかもしれない。

がん細胞は味方なんだと思って、現代医学のいろんな矛盾と照らし合わせていけば・・・パタパタと謎が解けていくはず。

血液の秘密も見えてくるはず。


この地球は、さまざまな次元の魂たちが、同じ世界で生きている。魂の世界では絶対に出会うことがないような・・・とんでもないやつだっている。

こんな世界は他にはない・・・んじゃないかな。よく知らないけれど・・・。

だから、善玉菌だって悪玉菌だって・・・いろんなやつがいっしょに暮らしているのだ。だれが悪だとか善だとか・・・だからそういう目で見ると、いつまでたっても争いは無くならない。

見えない世界のエネルギーが、たまたまそういうカタチになった・・・というのが、この世の事象なんだと思う。それが個性なんだと思う。

ひとつのイメージに・・・たとえば、誰かの鼻の形にとらわれていると、その人のきれいな瞳に気がつかない。すてきなくちびるに気がつかない。もちろんその逆もあるけれど・・・。

みんなまとめて、ひとつのイノチ・・・ひとつの宇宙なんだろう。


2014年2月1日土曜日

女性は偉大

この世は振動で出来ているので、振動数が下がれば氷のように冷たく固くなってゆくし、振動数が上がれば一般の・・・人々の目には見えなくなってしまう。

現代社会のさまざまなシステムが冷たく固くなってしまったのは、だぶんそういうことだ。意識の波動数が低くなってしまった。ちょっとやそっとじゃ動かない。次から次へと新手がやってくる。

それに気づいて手放そうと思っても・・・なかなか・・・逃げ出すには勇気と決断がいる。

けれど・・・よく考えてみると、上がるとか下がるとか、あったかいとか冷たいとかという感覚は・・・ようするに現世的なわけだ。この世の感覚。

あの世には上も下も無いわけで・・・善も悪も存在しない・・・というか、そういう区別ができないわけだ。だからこの世でのランク付けは意味を成さない。

ただ、生成発展するのが宇宙なので・・・この世では広がる感じがある。わたしなどは暖かく明るい方を選びたいが、中にはその逆を望む人もいるんだろう。

冷たく暗い方へ生成発展したい・・・という人がいても不思議はない。

あの世では、無限に縮んで・・・身動きの出来ないくらい縮んでも、それでも果ては無いかもしれないけれど、この世ではそうはいかない。

存在するためには「カタチ」が必要なわけで・・・ある限度を超えるとパン!!・・・となる・・・が、その先がどうなるかは知らない。バラバラになって・・・また最初から・・・石ころからやり直すんだろうか・・・。


さて、神崎という遊女(あぞびめ)で知られた場所がある。ここにいた女性たちは、元々「性」を生業としていたわけでない。

瀬戸内の大きな神社には必ず白拍子の集団がいた・・・と言われるように、見えない世界からのエネルギーが女性性を通して流れてくる・・・ということをいにしえ人は知っていたんだろう。

彼女たちは神事を執り行っていた。

ところが、やがて遊女(あぞびめ)から遊女(ゆうじょ)へと変質してゆくのは、平安末期を経て武家社会へと変遷している流れと並行しているように思う。

それと時を同じくして仏教が庶民の中へ浸透してゆく。名僧と呼ばれるひとたちが幾人も同時期に現れるのはこの時期をおいて他にはない。

この時期を、現代の学問のシステム・・・に囚われることなく調べればいろんなことが見えてきそうだ・・・が。


この神崎女たちの変質にも意識波動の変化があったんじゃないかとわたしは思っている。

見えない世界からのエネルギーが女性性を通して男性性に伝わり、それがまた見えない世界へと還ってゆくのなら、女性性の意識の波動数の低下は社会全体の波動数の低下・・・質の低下につながっていても不思議じゃない。

この時期の男たちはいったい何をしていたんだ・・・と思うが、別な話になるので、今は書かない。

この変遷は宇宙の呼吸のようなものなので、最近の女性たちの意識の高まりは、ちょうどこの頃の逆の流れということだとも言える。

その高まり方が、いままでのシステム・・・暗く冷たい方向への高まりなのか、新たな道筋となる、明るくあたたかい方向への高まりなのか・・・それによって世界の未来は変わってしまうのかもしれない。


五十音図の中で、母音とは両脇で永遠にそびえ立つ柱・・・で、父音はその間をチョロチョロと飛びまわっている・・・というのがわたしの印象なのだが・・・。

やっぱり・・・女性は偉大なんだ・・・ということなんだ・・・ろう。