2012年11月18日日曜日

タイムオーバー


資本が政治を喰う・・・姿がTPPならば、TPPの受け入れは物質至上世界の最終局面・・・と言えなくもない。

最終局面・・・極まった状態での場面は古事記の中にいくつもある。


たとえば・・・黄泉国からイザナギを追いかけてくる、ウジの集ったイザナミの姿・・・ウジとは「ウ」の字のことで、「ウ」とは「産む」「動く」など・・・物質文明を象徴する。物質文明の究極が資本・・・お金だ。

イザナギはイザナミとの間に千引きの岩を置いて、境界線をつける。


あるいは、若き娘を喰らいにやって来るヤマタノオロチ。

オロチは八つの頭と八つの尾を持つ・・・これは以前にも書いた、八拳剣の世界。不完全な判断力に導かれた文明。

スサノウはクシナダヒメを「櫛」に変えて、自らの髪に刺してオロチと闘うが・・・「櫛」とは、五十音図のこと。つまり言霊の原理とともに闘う・・・ということになる。


言霊・・・五十音図はフリーエネルギーの仕組みを示しているとすると、利他共生の精神文化を持つ民族でなければまともに扱えないだろう。

「我欲」をもって扱うと「我欲」に捉われた者が集まり・・・「恐怖」を持って扱うと「恐怖」に捉われた者が集まる。

引き寄せの法則は、フリーエネルギーだけに強力に作用するはず。


そんなわけでTPPは、いよいよ目に見えるカタチに・・・顕在化してきた大きなウズのひとつと考えて間違いない。

ウズは自然に生まれるものなのでしかたないが、せめて大難を小難に変えることが出来れば・・・だからもちろん不参加であるべきで・・・。


・・・あ。気がつくと日付が変わってしまった。

  

2012年11月3日土曜日

常識的な非常識人

問責決議・・・の時に、審議なしで決められていた原子力規制委員会人事について、この臨時国会が開かれている間に再度、審議しよう・・・という話しが却下されたようだ。

その理由が・・・今は非常事態だから・・・ということらしい。

事故の終息宣言は、だいぶ前に出ていたはずで・・・ということは、今もまだ非常事態中ということになって・・・あの終息宣言は何・・・忘れちゃった、みたいな・・・。


このあいだアメリカのえらい人が来て、政府にいろいろ注文していった。たしか・・・はげ頭の怖い顔の人だ。あの顔に逆らうにはちょっと勇気がいる。

海洋の放射能汚染の賠償額・・・という話しになったら、今まで日本が買った米国債・・・全部チャラにしたって足りないぜ・・・とか。

アメリカ軍がいなくなったら、よそから攻められて日本はクチャクチャになるぞ・・・だから原発止めるな・・・とか、いろいろまとめて言われたに違いない。

ぜんぜん知らないけど・・・。

だいいち、そんなこと言われなくても、日本の政府はすでにもうクチャクチャで・・・。


日本の歴史を読み返してみると、外からのチカラ(外来派)と内からのチカラ(国粋派)という、対照的なふたつのチカラがセメギあっていたことがよくわかる。。

古くは、蘇我氏と物部氏の争いが分かり易い。蘇我氏は外来派で、物部氏は国粋派・・・といえる。

外来派は、外へ出よう、外から吸収しよう・・・という人たち。国粋派は、いや、この国には高度な文化があって、それを守り主張すべきだ・・・という人たち。

その争いは幾世代を超えて、まるで時代の呼吸のように、外に内に幾度も同じような争いを繰り返しては、今この現代に現われている。

ちなみに、順番でいうと・・・今度は内に・・・の番かな。


それは、以前にも書いた「天津金木」・・・「アカサタナハマヤラワ」の50音図が左右に分かれることにつながるような気がする。

向かって左側の「ハマヤラワ」の真ん中には「ユ」・・・こちら側は物質文明を表している。

これを「ユダヤ」の「ユ」だとあえて言わないが、物質文明の究極が資本・・・お金だとすれば、まさにその軸を失って暴走してしまった世界・・・グローバル(外来派)な戦略の姿・・・だといえる。

お金漬けにされた仕組みから抜け出るのはたいへんだ。


50音図の向かって右側の「アカサタナ」の音図の真ん中は「ス」・・・これはスセリヒメノミコトか?彼女は物質社会を表すオオクニヌシノミコトの妃でもある。

古事記に記されているように、スセリヒメノミコトはオオクニヌシノミコトに課せられた多くの試練を導き助ける。

今の物質文明社会の暴走を鎮めるには、彼女の智恵と勇気が必要・・・ということか。

「ス」は「素(ス)」のことでもあり、本来の姿を表して内なるチカラを高めようとする姿勢(国粋派)だ・・・ともいえる。

今の物質文明社会の暴走を鎮めるには、彼女の智恵と勇気が必要・・・ということか。



バラバラになってゆく今の状況は、この天津金木の50音図がバラバラになり、新たに組みなおされてゆく状況・・・といってもいい。

つまり・・・今までの常識がバラバラになる。

経済大国といわれても、人々はちっとも幸せになれない。軍事大国といわれても、人々はさらに幸せになれない。

搾取される国があり、壊される国があり・・・人を疑う社会があり、人を殺める仕組みがあり・・・。今までの常識が生み出してきたものは、ちっとも未来を良くしない。

人々を幸せにするのは、経済でも軍事でもなかった・・・ということだ。人々が目指す未来は別にある・・・ということだ。

もひとつ言わせてもらうと、今の常識の中で力のある国家や会社や・・・それらに巣くう人々は、未来の常識の中で、まったくの非常識となる・・・ということだ。あの、怖い顔の外人も・・・。

あ、そういえば・・・

非常識な常識人のわたしは・・・常識的な非常識人にでも・・・なるのか・・・なぁ